あとがき
フランソワ・オゾン監督の代表作の一つに『まぼろし』という映画があります。
その中で、シャーロット・ランプリング演じるヒロインの中年女性は、旦那さんの死を受け入れられず、一緒に暮らしているかのように振る舞います。そのため、観ている方は、本当に生きているのか、死んでいるのか、そもそも最初から存在しないのか、途中までわからない、という映画です。
『蛍、または私のゴースト彼氏』は、オリジナル小説ですが、そのイメージを参考にした面があります(内容は似ていないと思いますが)。
この小説で表現したかったことの一つは、脳とは別に「体」が記憶や感情を持っていて、体が泣く、という感覚です。
瑠奈は、最愛の彼氏の死を受け入れないかわり、彼がいなくなるのは自分が愛されていないからだ、という問題に悩み始めます。一度はそちらを受け入れようとするものの、彼がもういない、ということは、脳が否認しても体が知ってしまっている。そして、親友の支えもあり、愛されたまま死別したことを受け入れる方を選ぶ……というストーリーを書こうとしました。
作中で、カッちゃんが語っている「灯台と蛍」の比喩は、太陽系外惑星を直接観測することの難しさを説明するときに、実際によく使われます(ただし、コロナグラフという装置を使って、直接観測する方法もあります)。
カッちゃんが行っているのは、間接観測と呼ばれる方法で、恒星のエネルギーと惑星の大きさ、恒星までの距離がわかれば、そこに水が液体として存在できるか=生命が存在し得るかまでを推測できる、というものです。
天文学は好きなので、また小説に使うかも知れません。
ムーンライトノベルズでも「月野ひかり」という名前で書いています。もし興味を持っていただけたら、そちらも読んでいただけると嬉しいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




