運命の人、占えるんですか?
二度目に占いの店を訪ねたのは、最初の鑑定から一か月ほど経った頃だった。
「こんにちは」
「こんにちは」
先生は、前と同じ席に座っていた。
机の上にはタロットカード。窓際には観葉植物。
何も変わっていない。
「お久しぶりですね」
「……あれ、覚えてるんですか?」
「ええ」
先生は、予約票に目を落とした。
なんとなく覚えていた。妙に楽しそうに話す人だったし、また来るだろうという予感もあった。
こういう予感は、占いの仕事をしていると、ときどきある。
「今日は、どうされました?」
「運命の人を探しに来ました」
「……前回と同じですね」
「まだ見つかってないので」
「そうでしたか」
先生はカードの箱を手元に寄せた。
そこで、ふと私の手を見た。
「……その爪は?」
「え?」
私は両手を持ち上げた。
「ああ、ネイルです」
「それはわかるんですが」
「狸ネイルですよ」
先生は、私の指先を見た。
薄い茶色の爪に、黒い模様。薬指には、小さな狸の顔が描かれている。
「……狸」
「はい。自分で作ったんです」
「そうなんですね」
「かわいくないですか?」
「……かわいいですね」
「でしょ。しかも、これ」
私は両手を胸の前に持ってきた。
「こうすると、ドロンって感じするじゃないですか」
忍者の印を結ぶ。
「……はあっ!」
勢いよく両手を前に突き出した。
その瞬間、机の端に置かれていた書類が、ぱらぱらと床に落ちた。
「…………」
先生は、床を見た。
私も床を見た。
「……ほら」
先生は少しの間、黙っていた。
「……やるじゃないですか」
「でしょ!」
私は得意げに笑った。
先生は立ち上がって、書類を拾い始めた。
「あっ、すみません。拾います」
「お願いします」
二人で紙を集め、机の上に戻した。
先生は端を揃えながら聞いた。
「いつから使えるんですか?」
「忍術ですか?」
「はい」
「失恋してからですね」
先生の手が、わずかに止まった。
「……そうですか」
「狸ネイルをして、川で飛び込んで遊んでたら、仙人みたいな人がいて。教えてくれました」
「……川で」
「はい」
「仙人に」
「そうです」
先生は私を見た。
「……お元気そうですね」
「元気ですよ」
私は笑った。
「そりゃ、前向きにいかないとね」
先生は、しばらく私を見ていた。
「……そうですね」
「先生、人の未来が見えることもあるんでしょう?」
「はい」
「だったら狸の忍術を使える人がいたって、おかしくないじゃないですか」
「……そういうものですか」
「そういうものですよ」
先生は否定しなかった。
ただ、書類を机の奥へ移動させた。
私はそれを見て、少し笑った。
「……先生、またやると思ってます?」
「念のためです」
「もうやりませんよ」
「ありがとうございます」
私は椅子に座り直した。
先生も席に戻った。
「……あ、でも」
「はい」
「忍術は嘘ですよ」
「そうでしょうね」
「えっ、わかってたんですか?」
「……書類は、手を突き出した風で飛んだように見えましたので」
私は、ちょっと残念になった。
「なんだ。騙されてくれたと思ったのに」
先生はカードの箱を開けた。
「川に仙人がいたという話も、嘘ですか?」
「それは本当かもしれません」
「……そうですか」
「……ところで」
先生は、カードを取り出しながら言った。
「前回、お別れはしていないとおっしゃっていましたよね」
「ああ」
私は、自分の爪を見た。
「……してましたね」
「そうでしたか」
「前に来たとき、別れたばっかりだったんです」
「はい」
「なんか、すぐ次の人を見つけないといけない気がして」
私は少し考えた。
「でも、今はそんなに急いでないです」
「……そうですか」
「はい。一人でも案外楽しいので」
「それは何よりです」
「まあ、彼氏は欲しいですけどね」
「そうでしょうね」
先生は、私の指先をもう一度見た。
「最近は、そういうことをして過ごしてるんですか?」
「ネイルですか?」
「はい」
「そうですね。あと、友達と遊んだり、行ったことのないお店に行ったり」
先生は、カードを机の中央に置いた。
「……では、今日は運命の人について占ってみましょうか」
私は顔を上げた。
「……え?」
「はい?」
「運命の人、占えるんですか?」
「占えますよ」
「……前、占ってくれなかったじゃないですか」
「そうでしたね」
「そうでしたね、じゃなくて」
私は身を乗り出した。
「前回、私、運命の人を紹介してほしいって言いましたよね」
「おっしゃってましたね」
「それで先生、カードを見て、今は立ち止まる時期だとか、自分の時間を大切にした方がいいとか」
「はい」
「言ってましたよね?」
「言いました」
「……あれ、何だったんですか?」
先生は、私を見た。
「失恋の直後に、次の恋愛について詳しく占うことは、あまりしないようにしているんです」
私は、固まった。
「…………」
「つらい気持ちから逃れるために、次の恋愛にすがってしまうことがありますから」
「……はい?」
「占いの結果が、そのきっかけになってしまうこともあります」
「……まあ」
「ですから、ご自分の足で立てていると判断できるまでは、詳しいお相手についてお伝えしないようにしています」
私は、しばらく先生を見つめていた。
「……ちょっと待ってください」
「はい」
「ということは」
「はい」
「前回は、運命の人について占ってなかったってことですか?」
「はい」
「…………え?」
先生も私を見ていた。
私は机に両手を置いた。
「お金を返してください。」
先生は、少しだけ黙った。
「……前回も、鑑定はしていますよ」
「運命の人を占ってくれると思って来たんですけど」
「お引き受けしたのは恋愛相談ですので」
「……そんな」
先生はカードを混ぜ始めた。
私は、まだ少し納得がいかなかった。
「……ちなみに」
「はい」
「今日、占ってもらえるようになったのは、どうしてですか?」
先生は少し考えた。
「……お元気そうなので」
「狸ネイルで判断しました?」
「それだけではありませんよ」
「じゃあ、忍術?」
先生は私を見た。
「……むしろ、あちらは少し心配でしたね」
私は思わず笑った。
先生は、何事もなかったようにカードを混ぜ続けていた。
その手元を、なんとなく眺める。
先生の手は、思っていたより大きかった。
肌は薄く、手の甲には細い血管が浮いている。シャツの袖を少しまくっていて、手首から肘にかけて、意外としっかりした筋肉が見えた。
カードを扱う動作は静かで、丁寧だった。
指先で角を揃え、束を返し、また混ぜる。
無駄な動きがない。
私は、しばらくその手を見ていた。
それから、ふと顔を上げた。
先生はカードに目を落としていた。
伏せたまつげが、思いのほか長い。
……へえ。
そんなことを考えていると、先生がすっと目を上げた。
目が合った。
近くで見ると、不思議な目をしていた。
色が薄いわけではない。
ただ、光の入り方のせいなのか、妙に澄んで見える。
別に、何か言われたわけでもないのに。
ほんの少しだけ、落ち着かない。
「では、三枚選んでください」
「はい」
私は、扇状に広げられたカードを眺めた。
「先生」
「はい」
「これ、どれ選んでも一緒ですか?」
「...いえ。全然違いますよ」
「じゃあ、結構重大な選択ですね」
「そうですね」
私は慎重に一枚目を選んだ。
二枚目。
三枚目。
先生は、順番にカードをめくった。
しばらく黙って眺めていたが、最後の一枚を見たところで、少し手を止めた。
「……近いうちに、面白い出会いがありそうですね」
私は身を乗り出した。
「えっ」
「はい」
「運命の人ですか?」
「そこまでは、まだわかりませんが」
「どういう人ですか?」
「……人かどうかも、少し曖昧ですね」
私は、先生を見た。
「……人じゃない?」
「いえ、そういう意味ではなくて」
先生は少し言葉を探した。
「新しいご縁があるのは確かなんですが、それが恋愛につながるかは、まだはっきりしないんです」
「なるほど」
私は真面目にうなずいた。
「運命の動物かもしれないってことですね」
先生は顔を上げた。
「……あながち、外れてはいないかもしれません」
「えっ」
「動物園に行ってみてください」
私は、先生を見た。
「…………動物園?」
「はい」
「なんでですか?」
「そこで何か、印象に残る出会いがありそうなので」
私は、自分の爪を見た。
それから先生を見た。
「……先生」
「はい」
「私が狸ネイルしてたからじゃないですよね」
先生は、少し黙った。
「……まあ、引っ張られることもあるかもしれませんね」
「あるんですか!?」
「占いも、完全に先入観から自由というわけではありませんから」
「じゃあ、ちょっと怪しくなってきましたね」
「……そうですね」
先生は、否定しなかった。
私は腕を組んだ。
「……でも、動物園かあ」
「はい」
「いつ行けばいいんですか?」
先生は、追加で一枚カードを引いた。
しばらく見つめる。
「……金曜日ですね」
「金曜日?」
「はい」
私は、先生を見た。
「……仕事してますけど?」
「そうですか」
「そうですか、じゃなくて」
「無理にとは言いませんよ」
先生は、カードを机に戻した。
私は少し考えた。
「……違う曜日に変更できないんですか?」
「変更?」
「土曜日の午後とか空いてますけど」
先生は私を見た。
「……そんな、美容院の予約ではないので」
「…………」
私は、思わず笑ってしまった。
「いや、でも、困るじゃないですか」
「そうですね」
「有給取るほどのことなんですか?」
「そこまではおすすめしませんね」
「じゃあ、どうしたらいいんですか」
先生は、少し考えた。
「仕事帰りに寄れる動物園は、ありますか?」
「……それは、ちょっと調べないと」
「では、調べてみてください。難しければ、今回は見送ってもいいと思います」
私は首をかしげた。
「……先生、あんまり行かせようとしないんですね」
「行くかどうかは、あなたが決めることなので」
「でも、面白い出会いがあるんですよね?」
「その可能性が高い、ということです」
「……見逃したら、どうなるんですか?」
先生は、少し黙った。
「別の出会いがあるかもしれません」
「またそのまんまじゃないですか」
「そうですね」




