第6話 融資の条件は、ひとつだけ
私の計画を聞き終えると、アドリアンは鉛筆を置いた。
「五種類だけですか」
「最初は。それ以上だと材料が増えて、売れ残りも増えます」
私は林檎パイ、バターの焼き菓子、蜂蜜の小さなケーキを指した。
どれも毎週買う常連がいる。残り二種類は、同じ材料で作れる季節の菓子だ。
「注文が少ない日は?」
「生菓子を減らして、焼き菓子を中心にします。配達の予約も受けます」
「あなたの給料が、入っていませんね」
紙を引き戻そうとした手を、彼の鉛筆が止めた。
「店長が無給で働かないと続かない計画なら、続けられる計画に直しましょう」
マルタが、小さく咳をした。
笑いを隠す時の咳だった。
「私の分も、入れます」
アドリアンは修繕費を調べ、中古のオーブンを扱う業者の名を書いた。
融資は必要額の全額ではなかった。私の資金も使う。ただし、生活費とひと月分の給料は手元に残す。
「なぜ、私に貸せると思うのですか」
彼は少し考え、納品の記録を出した。
「材料に問題があった時、あなたは先に連絡しました。返品する量も、使った量も、分けて伝えた。都合の悪いことを隠さない方だという判断です」
私は、雨で湿った粉を返品した日を思い出した。相手を怒らせるかもしれないと怖かったが、焼けない粉を黙って引き取る余裕もなかった。
彼が覚えていたのは、私の愛想ではなかった。
「今回も、悪い数字が出たらお見せします」
「良い数字も、お願いします」
彼はそう答え、もう一度計画へ目を戻した。
「返済期間は二年。利息はこちら。売り上げが遅れた時は、支払日前に相談してください。黙って材料費から回さないこと」
「担保は?」
「設備です。ご実家の財産や、レシピの権利は求めません」
私は説明を読み返した。
分からない言葉を尋ねると、彼は例を書いて答えた。三度質問しても、苛立たなかった。
「条件は、ありますか」
「この融資で、あなたが経営者であり続けること。それが今回の事業の条件です」
彼は新店の計画書を指した。
「あなたを外して、誰かに同じことをさせる計画には、お金を貸しません。ですが、仕入れも価格も、人を雇うことも、決めるのはあなたです」
私は息を吐いた。
差し出された手を、また誰かに預けるのだと思っていた。
これは、私が立っている場所へ、道具を置いてくれる提案だった。
「今日、署名しなくても?」
「明朝までに返事を。誰かに見てもらっても構いません」
帰り際、彼はエダ夫人の保証人についても話した。
商会を連絡先にできる。ただし、家賃が滞れば私へ先に連絡が来る。それも書面にする。
閉まった扉を見て、ポールが言う。
「読みましょうか。俺、細かい字は遅いですけど」
「ええ。一緒に」
五人で机を囲んだ。
その夜の最後に書いたのは、署名ではなかった。
『明日、オーブンを見に行く』
予定の一行が、未来になった。




