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婚約者に店を売られたので、従業員全員と向かいに新しい店を開きます  作者: 渋谷 爽月


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48/50

第48話 あなたの店を、あなたのままで

 川沿いの道は、祭りの日より静かだった。

 私は彼の歩幅に合わせようとして、少し早く歩いていた。

 アドリアンが気づき、速度を落とす。


「疲れていませんか」

「大丈夫です。でも、もう少しゆっくりがいい」


 そう言えることが、嬉しかった。

 大丈夫という言葉の後に、本当の希望を置ける。


 橋の手前で、彼が立ち止まった。


「リゼットさん」


 店主でも、ベルナール嬢でもない呼び方だった。


「あなたに、好意を持っています。仕事で会えるからと、言わずにいるのは、違うと思いました」


 私は川の音を聞いた。

 返事を急がなくていいと言われる前に、伝えたいことがあった。


「私も、あなたと会いたくて、仕事の相談を増やした日があります」


 彼は目を見開いた。


「そうだったのですか」

「少しだけ。大部分は、本当に困っていました」


 彼が笑い、私も笑った。

 笑うと、胸の緊張が少しほどけた。


「助けていただいたから、というだけではないのです。分からないことを聞いた時に、待ってくれるところが好きです。嫌だと言ったことを、違う理由で押し戻さないところも」


 私は手袋の端をつまんだ。


「それから、香草の薄焼きを、もう一枚食べてくださった時が」


 最後まで言うと、頬が熱くなった。

 彼は、あの時が嬉しかったと答えた。


「私のために作られたものを、無理せず喜べたのは、久しぶりでした」


 彼は、私の前で初めて融資の説明をした日を覚えていた。


「契約を読んでいる時、四人の給料の額を何度も確かめていましたね」

「怖かったのです。店を守ると言って、人を困らせたくなくて」

「怖いことを隠さず話せる方だと思いました」


 私は川面を見た。強いから好きなのだと言われていたら、また強い顔を作ったかもしれない。彼は私の怖さを知って、それでも隣にいたいと言ってくれている。

 勇気がある日だけ会うのではなく、迷った日にも会いたい。そう思えたことが、何より新しかった。


 しばらく、二人で橋の欄干を見た。

 私は融資のことを、言っておきたかった。


「お金を借りていることと、今日のお返事は、分けたいです」

「はい。契約条件は、関係を理由に変えません。仕入れの相談も、ほかの担当者を挟めます」


 その答えに、安心した。

 恋をしても、仕事で意見が違う日は来る。

 違っても、相手の気持ちまで疑わずに話したい。


「店は、続けます」

「もちろんです」

「あなたに会う時間も、作りたい」


 彼が手を差し出した。

 触れてもいいかというように、少し離れたところで止まっている。

 私は自分から、その手を取った。


「私も、あなたが好きです」


 アドリアンは、すぐに握り締めなかった。

 私の指が落ち着くのを待って、そっと握った。


 帰り道、緑の扉の前で別れる。

 以前なら、明日の用件を確認していた。

 今日は、違うことを尋ねた。


「次のお休みも、会えますか」


 彼は、はい、と答えた。

 私は扉を開ける前に、もう一度振り返った。

 彼はまだそこにいて、手を振ってくれた。

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