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婚約者に店を売られたので、従業員全員と向かいに新しい店を開きます  作者: 渋谷 爽月


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43/50

第43話 勝った翌朝も、仕込みはある

 権利の訂正が出た翌朝も、林檎はひと箱ずつ剥いた。

 蜂蜜は量り、粉はふるう。

 世界が変わったような気がしていたのに、皮を剥く手順は変わらなかった。


 ニナが予約を読み上げる。

 ポールは箱を積み、テオは小石を焼く。

 マルタは私の切った林檎を見て、今日は少し厚いと言った。


「昨日の疲れが、指へ来ているね」

「そうかもしれない」

「なら、半分は私が」


 私は譲った。

 昔なら、大丈夫だと言い張っていた。


 午前、予約を取り消した客の一人が戻ってきた。


「疑ってしまって、ごめんなさい」


 私は首を振る。


「分からないことがあったら、聞いてください。説明できることをお伝えします」


 無理に以前と同じ量を買ってもらおうとはしなかった。

 彼女は小さな箱を選んだ。

 その箱が、また来る理由になればいい。


 常連のひとりは、訂正文を読んでいなかった。いつもの菓子を頼み、最近少し大きさが揃ったと褒めてくれた。

 テオが、その日の計量を担当したのだと言う。客は、そうなの、と彼へ笑った。

 私たちが長く悩んだ争いを知らなくても、目の前の菓子を喜ぶ人はいる。店の全部が、私の問題を中心に動いているわけではない。

 私はその当たり前に救われた。今日のお客様に必要なのは、今日のおいしさと、時間どおりの受け渡しだった。


 昼過ぎ、旧店の若い職人が買い物に来た。

 向かいの店は品目を変え、独自の商品を増やすという。


「蜂蜜ケーキを作れと言われなくなりました」


 彼の笑顔を見て、私は少し安心した。

 向かいが潰れなければ自分たちは勝てない、とは思いたくなかった。


 夕方、アドリアンが来た。

 彼は返済予定を確認し、期日どおりの入金を記録する。

 少し早く返せるのではと尋ねると、運転資金を見てからと答えた。


「余裕ができた時ほど、全部使わない方がいい」


 私は頷いた。

 勝った気持ちで、また無理を始めてはいけない。


 その日の最後、ガスパールから厚い封筒が届いた。

 今度の表紙には、提携提案、とある。

 私はすぐに開かず、先に、最後の林檎を切り終えた。

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