第41話 契約書には、署名がありません
商会の確認会は、客の入らない会議室で行われた。
私は晒し者にする場を望まなかったし、ガスパールも取引資料を広場へ持ち出す気はなかった。
記録係が座り、セドリックと父が向かいへ座る。
文書士が、譲渡の承諾書の提示を求めた。
セドリックは売買契約書を出した。
「それは建物等の売買契約です。こちらが求めているのは、レシピ使用権の譲渡承諾です」
彼は、母の帳面を示そうとした。
その写しに、私の承諾の署名はなかった。
ソランジュの署名もなかった。
「婚約中で、実質的には」
「婚約中であることを、承諾取得済みと書いたのですか」
商会の審査担当が尋ねる。
セドリックは口を閉じた。
父は、建物の売却に同意したことを認めた。
レシピの権利まで私に確認していなかったことも。
私は、返事を求められた部分だけ答えた。
母の店でどれほど働いてきたかを、長く訴える必要はなかった。
商会は虚偽説明を認定し、セドリックの顧問契約を解除した。
損害の精算は、当事者間で改めて行う。
私に売却代金の返還義務を負わせる話ではないと、記録に残った。
審査担当は、セドリックへ反証を出す期限を告げた。彼がその場で話した言葉も記録に残す。
私は早く帰りたかったが、確認の手順が省かれることは望まなかった。急いで結論だけ出せば、後から、聞いてもらえなかったという争いが残る。
父は、私の持参した資料をもう一度見た。そこには、彼の署名した清算書の写しもある。
私ひとりの言い分を信じるかどうかではなく、それぞれが残した記録を比べる席になっていた。そのことに、私は少しだけ息をつけた。
最後に、訂正文の公開範囲を確認した。
誤った案内を送った取引先と、旧店の窓。
訂正文は相手の人格ではなく、権利の説明を修正するものになった。
会館を出ると、セドリックが私を呼んだ。
「これで満足か」
私は立ち止まった。
「私が同意したと、勝手に言われなくなるなら、必要なことでした」
それ以上は答えなかった。
彼の感情まで収めてから帰る義務は、もうない。
店へ戻ると、テオがオーブンを開けた。
林檎の灯りが、揃った色に焼けていた。
「お帰りなさい」
私は鞄を置き、手を洗った。
話し合いで勝つためではなく、ここへ戻るために、今日まで進めてきたのだ。




