第40話 元婚約者の最後の提案
「やり直そう」
セドリックは、箱を机へ置いた。
私は開けなかった。
「店のことも、誤解が多かった。君のお父上とも話した。結婚すれば、権利の説明を整えられる」
言葉の最後で、私は彼の顔を見た。
「結婚して、過去の説明を正しかったことにするのですか」
「今後のためだよ」
彼は、ここが以前より狭いと言った。
設備が足りないとも。
もっと大きい店を用意できると、約束した。
「向かいの店を売る前にも、私のためと言いましたね」
「だから、今回は相談している」
「では、私の返事を聞いてください。結婚しません」
彼は箱を押した。
「そんなに僕が嫌いになったのか」
嫌いだと言えば、傷ついた顔をされる。
まだ好きだと言えば、戻れると思われる。
私は、その二択から離れた。
「一緒に人生を決める相手として、あなたを選びません」
彼は、昔一緒に出かけた日のことを話した。私はその日の川辺と、帰りに買った花を覚えていた。楽しかったことまで、嘘だったことにする必要はない。
ただ、楽しかった記憶があるからといって、次の人生を同じ相手へ預ける必要もなかった。
「その日は、私も嬉しかったです」
そう答えると、彼は一瞬期待した顔になった。
「でも、今日の返事は変わりません」
私は続けた。良い記憶を認めることと、戻ることを、同じにしたくなかった。
奥で、ニナが紙を整える音がした。
私には仲間がいる。けれど、この返事を言うのは私だった。
「僕がいなければ、誰が君の面倒を見る」
私は机に置いた帳簿を見た。
給料、返済、仕入れ。自分で決めた数字が並ぶ。
「必要な時には、助けを求めます。あなたに世話をしていただくために、結婚することはありません」
セドリックは箱を引き戻した。
去る前に、商会の審査で不利な説明をしないでほしいと言った。
「確認した事実を、お伝えします」
私はそう答えた。
扉が閉まってから、膝の力が抜ける。
ニナが椅子を寄せた。
「座ってください。今の返事、立ったまま言った分だけ疲れます」
私は座り、深く息を吐いた。
指輪はなかった。
それでも、私の手は空っぽではなかった。




