第36話 母の友人が焼いた菓子
水曜日、郊外の小さな家を訪ねた。
ソランジュは、窓辺の椅子から私たちを迎えた。
マルタの顔を見ると、二人は長く手を握り合った。
「黙って、娘に連れられて祭りへ行ったの。あなたの店が出ると聞いて」
卓上には、平たい焼き菓子があった。
私はひと口食べ、思わず母の帳面を見た。
蜂蜜ケーキとは違う。でも、香りの組み立てに覚えがある。
「私が作ったのは、これが最初。エリーズは、柔らかいものを作りたがった」
彼女は母と店を始めた話をした。
どちらも、お金はなかった。借りた厨房で失敗し、売れ残りを二人で食べた。
母が最初から完璧だったわけではないと、私はようやく本当に分かった。
ソランジュは私の菓子を作る時刻を尋ねた。私は朝の仕込みを説明し、休みを決めたことも話した。
「エリーズは、休むのが下手だったわ」
彼女は笑った。母に似ていると言われることを、私はいつも褒め言葉として受け取っていた。今日は、似なくてもよいところがあると知った。
マルタが、二人で休みを取り合った時の話をする。どちらも相手に任せられず、結局二人とも来てしまった日があったらしい。
母も、誰かに教わりながら店主になったのだ。
「なぜ、店を離れたのですか」
ソランジュは、自分の膝に置いた手を見た。
「夫が病気になってね。夜明けから店へ行く生活を、続けられなかった」
「母と、争ったのでは?」
「喧嘩はしたわよ。心配されすぎて、腹が立ったことも。でも、離れた理由はそれではない」
母は出資金をすぐ返そうとしたが、資金が足りなかった。
父が用意し、店舗の持分を引き受けた。
その後、父は店の由来を母ひとりの話にまとめた。
「エリーズは、何度も訂正しようとした。でも、私も表に出る余裕がなくて。便利な物語が残ってしまったのね」
私は帳面を開いた。
ソランジュは貼り紙を見て、表情を変えた。
「これは、私たちが最後に会った時にはなかった」
彼女の娘が、小さな木箱を持ってくる。
箱の中には、母とソランジュの名が並んだ紙があった。
「お約束を、二通作ったの。帳面に挟んだ方が、あなたのもの。ここにあるのが、私のもの」
私は紙を受け取る前に、手を拭いた。
母の声を聞く時と同じように、姿勢を正した。




