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婚約者に店を売られたので、従業員全員と向かいに新しい店を開きます  作者: 渋谷 爽月


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33/50

第33話 レシピを盗まれたという噂

 噂は、売り物より速く通りを回った。

 問い合わせは増えたが、予約を取り消したのは二件だった。

 全部を失った気がしていた私へ、ニナが数字を見せる。


「不安な方が、まず聞いてくださっています」


 私は返答文を短くした。

 母から相続した帳面を使用していること。

 他店へ譲渡する承諾はしていないこと。

 昔の共同制作分については、関係者に確認していること。


 相手が悪いと書く代わりに、自分が確認できることを書いた。

 調査中の部分を、断定しない。

 それが弱く見えるかもしれないのは、怖かった。


 予約を残した客から、菓子を包む時に声をかけられた。


「調べているなら、結果が出た時に教えて」


 彼女は無条件に信じると言わなかった。それでも買ってくれたことが、ありがたかった。

 私は、結果が出たら店内へ案内を置くと約束した。疑いを持つ人を敵にしてしまえば、説明する相手がいなくなる。

 ニナは問い合わせの返事を二人で確かめた。怒っている時ほど、余計な一文を書きやすい。消した言葉は、客には見せずに紙の裏へ残した。


 昼過ぎ、セドリックが来た。


「皆、心配しているぞ。君が法的な争いを抱えているんじゃないかと」

「心配になる話をしたのは、あなたですね」

「僕は事実を」


 私は彼が署名した説明書の写しを出した。


「私の承諾を、いつ取得しましたか」


 彼の視線が紙へ落ちる。


「結婚すれば」

「結婚していません。同じ返事を、もう何度もしています」


 ニナが後ろで、時刻と発言を記録していた。

 彼がその紙に気づき、声を低くする。


「人前で、こういうことをするな」

「次からは、書面でご連絡ください。今は営業中です」


 出ていった後、足が震えた。

 強く言えたから、平気なわけではない。

 私は奥へ下がり、椅子に座った。


 アドリアンが仕入れの確認に来る。

 事情を聞くと、今後の材料の供給に影響はないと伝えた。


「必要なら、契約書を照合する人をご紹介できます」


 私は頷きかけて、首を振った。


「あなたの商会まで、巻き込みたくありません」


 彼はすぐ答えなかった。

 その沈黙が、返事を急がせる人とは違った。


「紹介を受けるかどうか、今日決めなくても大丈夫です」


 そう言って、机の端へ連絡先だけ置いた。

 私はその紙を、帰った後も長く見ていた。

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