第33話 レシピを盗まれたという噂
噂は、売り物より速く通りを回った。
問い合わせは増えたが、予約を取り消したのは二件だった。
全部を失った気がしていた私へ、ニナが数字を見せる。
「不安な方が、まず聞いてくださっています」
私は返答文を短くした。
母から相続した帳面を使用していること。
他店へ譲渡する承諾はしていないこと。
昔の共同制作分については、関係者に確認していること。
相手が悪いと書く代わりに、自分が確認できることを書いた。
調査中の部分を、断定しない。
それが弱く見えるかもしれないのは、怖かった。
予約を残した客から、菓子を包む時に声をかけられた。
「調べているなら、結果が出た時に教えて」
彼女は無条件に信じると言わなかった。それでも買ってくれたことが、ありがたかった。
私は、結果が出たら店内へ案内を置くと約束した。疑いを持つ人を敵にしてしまえば、説明する相手がいなくなる。
ニナは問い合わせの返事を二人で確かめた。怒っている時ほど、余計な一文を書きやすい。消した言葉は、客には見せずに紙の裏へ残した。
昼過ぎ、セドリックが来た。
「皆、心配しているぞ。君が法的な争いを抱えているんじゃないかと」
「心配になる話をしたのは、あなたですね」
「僕は事実を」
私は彼が署名した説明書の写しを出した。
「私の承諾を、いつ取得しましたか」
彼の視線が紙へ落ちる。
「結婚すれば」
「結婚していません。同じ返事を、もう何度もしています」
ニナが後ろで、時刻と発言を記録していた。
彼がその紙に気づき、声を低くする。
「人前で、こういうことをするな」
「次からは、書面でご連絡ください。今は営業中です」
出ていった後、足が震えた。
強く言えたから、平気なわけではない。
私は奥へ下がり、椅子に座った。
アドリアンが仕入れの確認に来る。
事情を聞くと、今後の材料の供給に影響はないと伝えた。
「必要なら、契約書を照合する人をご紹介できます」
私は頷きかけて、首を振った。
「あなたの商会まで、巻き込みたくありません」
彼はすぐ答えなかった。
その沈黙が、返事を急がせる人とは違った。
「紹介を受けるかどうか、今日決めなくても大丈夫です」
そう言って、机の端へ連絡先だけ置いた。
私はその紙を、帰った後も長く見ていた。




