↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約者に店を売られたので、従業員全員と向かいに新しい店を開きます  作者: 渋谷 爽月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/50

第3話 婚約も、本日で終わりにします

「君が金を出せば、買い戻せる」


 翌朝、セドリックは開店前の店へ来た。

 昨日より機嫌がよかった。解決策を持ってきた人の顔だった。


「母方の祖母から受け取った預金があるだろう。あれと、宝石を売れば」

「売却代金は、どこへ行ったの?」

「ベルナール卿と僕の事業に。今すぐには動かせない」


 私は空の陳列台へ布をかけた。

 母が縫った布は、角だけ何度も繕ってある。


「私のお金で、あなたたちが売ったものを買い戻すのね」

「君が一番ここを守りたいんだから、合理的だろう」


 合理的。

 私が朝から晩まで働くのも、給料が足りない月に自分の取り分を減らすのも、彼はその言葉で褒めた。

 頑張る私が好きなのだと思っていた。

 都合のいい私が好きだったのかもしれない。


「父と話すわ」

「もう話した。結婚したら資金も一緒になるんだ。今使うだけのことだよ」


 彼は私の手に触れようとした。

 私は一歩退いた。


「結婚はしません」


 彼の手が、空中に残った。


「怒っているのは分かる。でも大事な判断を、勢いで」

「勢いで売ったのは、そちらでしょう」


 私の声は震えていた。

 震えを隠そうとすると、言うべき言葉まで飲み込んでしまいそうだった。

 だから、そのまま続けた。


「私は昨日まで、店を続けることをあなたに相談していました。あなたは、その店がなくなると知りながら聞いていた。売ったことだけではありません。私に選ばせなかったことが、嫌なのです」


 セドリックは扉を見た。外を通る人に聞かれないか、気にしていた。


「君のお父上に逆らうつもりか」

「父にも、同じことを伝えます」


「店が好きなのは、分かっているよ」


 彼は柔らかい声に変えた。


「ただ、僕たちには、もっとふさわしい暮らしがある」


 私は彼に連れられて行った宴を思い出した。紹介される時は、いつもベルナール卿の娘だった。菓子店を営んでいると話し始めると、彼は別の話題へ移った。

 恥ずかしかったのだろうか。問いただしたい気持ちはあった。けれど、彼の説明を聞いて納得できなければ別れられない、ということにはしたくない。


「私が望む暮らしについても、聞いていただきたかったわ」


 彼は口を開いたが、私はもう、自分の指を見ていた。


 指輪を外すのに、少し手間取った。

 厨房では邪魔になるから、いつも仕事の前に外していた。今日も同じ動作なのに、指の節がうまく通らなかった。


 最後に、するりと抜けた。

 小さな音を立てて、皿の上へ置く。


「婚約解消を、文書で申し入れます。今後の連絡は記録に残る形でお願いします」

「そんなふうにしたら、戻れなくなるぞ」


 私は皿を彼へ押した。


「戻るために、言っているのではありません」


 彼が出ていくと、壁の向こうで息を吐く音がした。

 厨房からテオが顔を出す。


「すみません。出ていくタイミングがなくて」

「聞こえた?」

「はい」


 私は頬に手を当てた。熱かった。


「立派な言い方なんか、できなかったわ」

「でも、全部分かりました」


 テオは小皿を私の前に置いた。

 形の悪い焼き菓子が二つ。


「味見してください。昨日の残り生地です」


 ひとつ齧る。少し焼きすぎていて、端が苦い。

 それでも、甘かった。


 奥でマルタが、開店の時間だと言った。

 私はもうひとつをテオへ返した。


「次は、火を少し弱くしましょう」


 次。

 まだ、その言葉を使える。

 そう思ったところへ、父からの使いが来た。


 差し出された封筒には、一行だけ書かれていた。


『店を捨てるなら、家に戻ってくる必要もない』


 私は封筒を畳んだ。

 今日の閉店後は、住む場所も探さなければならなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。