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婚約者に店を売られたので、従業員全員と向かいに新しい店を開きます  作者: 渋谷 爽月


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19/50

第19話 半額の看板が立った朝

 昼までに来た客は、いつもの半分だった。

 向かいには列がある。

 テオが生地のボウルを抱えたまま、窓を見ていた。


「こちらも、少し安くすれば」


 私は帳簿を開いた。

 半額にすると、売るたびに材料と賃金の一部を持ち出す。

 たくさん売れるほど、給料の袋は薄くなる。


「今のままの菓子を半額にはできないわ」

「でも、このままだと」

「今日は、作る量を減らしましょう」


 テオが口を閉じる。

 彼には、後退に見えたのだろう。

 私にも、そう見えた。


 ニナは売れ残りそうな量を確かめ、午後の仕込みを止めた。テオの顔が曇る。


「作るのを止めたら、負けたみたいです」


 マルタが生地を冷蔵箱へ入れた。


「今日使う分を減らすんだよ。腕まで止めるわけじゃない」


 私は、空いた時間を新作の試験へ回すことにした。焼き方を変えた小石を、明日食べ比べる。売れない時間が全部無駄になるわけではない。

 窓の向こうを見る回数が、少しだけ減った。こちらの厨房にも、次へ進む仕事を置けたからだ。


 午後、アルノーさんが来た。

 手には旧店の紙袋もある。


「向こうのも買ったよ。孫が大勢来るからね」


 私は笑顔を保った。


「こちらでは、いつもの二つを?」

「ああ。家内の分は、ここで」


 お客様は、私たちの陣営に所属しているわけではない。

 安いものを買う日も、好みを選ぶ日もある。

 それを裏切りと感じたら、店に立てなくなる。


 閉店後、私は残ったパイを数えた。

 明日売れない分は、今日の失敗だ。

 従業員で分けても、帳簿から消してはいけない。


 ニナが、客の言葉を書いた紙を広げた。


「今日は、贈り物の相談が二件ありました。向こうの半額商品は、大きな箱で同じものが入っています」

「こちらなら、組み合わせられるわね」

「ただ、まだ誰もそれを知りません」


 私は明日の午後、常連を訪ねることにした。

 売り込みの前に、聞くために。


 ポールが道順を組む。

 テオは仕込み量を直した。

 向かいの行列は、夕方まで続いていた。


 私は窓の内側から、その列をもう一度見た。

 あの全員を奪い返す必要はない。

 私たちが役に立てる人を、まだ、十分に知らないだけだ。

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