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婚約者に店を売られたので、従業員全員と向かいに新しい店を開きます  作者: 渋谷 爽月


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第17話 初めての黒字、初めての乾杯

 月の途中の給料日は、約束どおりに払えた。

 店を閉め、袋を渡す。

 ポールは額を確認して、今度は笑った。


「これで、子供の靴を頼めます」


 売り上げから材料費、賃金、家賃の日割り、燃料代を引く。

 設備の返済分も取り置きした。

 残ったのは、小さな硬貨の山だった。


「黒字です」


 テオが手を叩いた。

 私はその山を見たまま、泣いてしまった。

 悲しい時には泣けなかった。数えて、説明して、決めなければならなかったから。

 今日は、数えた後に泣けた。


 ニナが布を差し出す。


「売り物の布巾じゃないです。洗ってあります」


 笑うと、涙がまた出た。


 エダ夫人も招いて、厨房で食事をした。

 ポールの妻が作ってくれた煮込みと、パン。飲み物は林檎の薄い果汁。

 アドリアンには短い礼状を渡していた。彼も仕事を終えて顔を出した。


「融資で、乾杯に招かれたのは初めてです」

「催促に来る前に、一度くらい」


 私が言うと、彼は笑った。

 見慣れない、肩の力の抜けた顔だった。


 テオは煮込みを二度おかわりし、ポールは妻から預かった鍋を丁寧に洗った。

 ニナが、余ったパンを翌日の店へ回そうとしたところへ、エダ夫人が手を伸ばす。


「今夜食べる人がいるなら、今夜食べなさい。祝いまで倹約しなくても」


 皆が笑った。私は小さな利益を、すぐ次の不安のために隠したくなっていた。必要な分を確保した後なら、喜ぶ時間も持っていい。

 アドリアンは四人の話を聞き、誰が何を担当するかを覚えて帰った。私だけでなく、この店が続く人の顔を知ろうとしてくれているのだと感じた。


 マルタが杯を上げる。


「来月も、皆で給料を受け取れますように」


 大きな夢ではなかった。

 でも、今の私たちには、何より大切な願いだった。


 帰り際、アドリアンが階段の下で足を止めた。


「あなたも、給料を受け取りましたか」

「はい。帳簿にも、入れました」

「なら、安心しました」


 彼は私の目の周りを見て、何も言わなかった。

 見ないふりではなく、言葉にしないでおいてくれたのだと思う。


 夜、二階で母のレシピ帳を開いた。

 青いリボンの下に、小さな紙を挟む。


『最初の給料日。全員に払えた』


 翌朝、開店前に扉が鳴った。

 ガスパールが立っていた。

 手には、薄い封筒。


「今日は、買い取りのご相談です」


 私は昨日の硬貨を、引き出しにしまった。

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