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婚約者に店を売られたので、従業員全員と向かいに新しい店を開きます  作者: 渋谷 爽月


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第16話 商会長は、甘いものが苦手でした

「無理に召し上がらなくても」


 皿を引こうとすると、アドリアンは首を振った。


「好き嫌いで失礼をしたくありません」

「好き嫌いは、失礼ではありませんよ」


 彼は少し困った顔をした。

 いつも条件を明確に話す人が、菓子ひとつで迷う。その様子が、意外だった。


「甘いものは、ひと口で十分なのです。子供の頃、断ると祖父が悲しんで」

「それで、全部食べていたの?」

「はい。商談でも、癖で」


 私は皿を交換し、小石を半分だけ載せた。

 彼はそれを食べ、炒った麦の香りについて尋ねた。

 好かれるために全部食べる必要がなくなったら、味の話ができた。


「甘くない菓子も、置いてみたかったのです」


 彼が帰った後、マルタへ好みの違いを話した。


「菓子屋のお客様が、全員甘いもの好きとは限らないね」


 彼女は、夫への土産に買うが自分は食べない常連の話をした。ニナも、甘さを尋ねる客は以前からいたという。

 聞いていたのに、私は定番の説明で済ませていた。蜂蜜が好きな人のための店だと、自分で狭く決めていたのかもしれない。

 新しい商品は、一人のためでも始められる。でも売るなら、同じ好みの人へ説明できる名前と量がいる。私は試作の紙を、開発用の帳面へ挟んだ。


 翌日、私は試作をした。

 砂糖を減らし、乾燥させた香草を加える。最初の一枚は、ほとんどパンだった。

 マルタが笑った。


「減らせばいいってものでもないね」


 三度作り直し、薄く焼いたものを、次の納品日に出した。

 アドリアンは一枚を食べ、もう一枚へ手を伸ばした。


「こちらも、いただいていいですか」


 その一言が、どんな褒め言葉より嬉しかった。


「売り物にするなら、商会の事務員にも聞いてみましょう。お茶の時間に甘いものを食べない者が何人かいます」


 私は試作の残りを包んだ。

 包みを閉じる時、彼が言った。


「私のために作ってくださったのですか」


 顔を上げるのが遅れた。


「同じ好みの方も、いらっしゃると思って」

「ええ。ですが、最初は私でしょう」


 否定できず、頷いた。

 彼は包みを両手で持った。


「ありがとうございます」


 扉が閉まった後、ニナが札を差し出す。


「商品名、どうします?」

「香草の薄焼きでいいわ」

「商会長の、ではなく?」


 私は彼女を見た。

 ニナは無垢な顔で、棚の高さを測っていた。

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