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婚約者に店を売られたので、従業員全員と向かいに新しい店を開きます  作者: 渋谷 爽月


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第14話 安くしない勇気

「高くなったのね」


 最初に言ったのは、いつも朗らかな常連だった。

 私は喉に力を入れず、記念価格が終了したことを説明した。


「前と同じものなのに?」

「品質を保って、続けて作るための価格です。少量のお包みも用意しました」


 女性は少し考え、いつもの半分を買った。

 その背を見送ると、胸が痛んだ。

 けれど、いつもの量を無理に買ってほしかったわけではない。


 午前の客数は減った。

 ニナが席を立ち、店先の小さな札を動かす。


『お一人分からお包みします』


 昼休みの若い男性が、それを見て入ってきた。


「ひとつでもいいんですか」

「もちろんです」

「菓子屋って、箱で買わないといけないのかと思っていました」


 彼は小さな蜂蜜ケーキを買った。

 午後には、老婦人が二人分の焼き菓子を選ぶ。夕方には、父親が家族用の大きなパイを予約した。

 売れた数は少なかったが、捨てるものも少なかった。


 値段を見て帰った人もいた。私は出口まで追いかけたい気持ちを止めた。

 向かいの店が安いと言われれば、そうですねと答える。こちらの材料と大きさを尋ねられれば、それを説明する。

 人によって、今日使えるお金は違う。その人の選択を、私たちの価値の否定だと思わないようにした。

 ニナは、少量の包みを見やすい場所へ移した。多く買う人だけを歓迎しているように見えないように、と言う。

 私はその隣へ、一個売りの札を足した。価格を守ることと、小さな買い物を歓迎することは、一緒にできた。


 閉店後、私は帳簿を確かめた。

 昨日より売り上げは低い。

 なのに、材料と人件費を引くと、残る額は多かった。


「まだ黒字ではないけれど、近づいているわ」


 テオが深く息を吐いた。


「僕、店長が謝り続けるのを見るのが、嫌だったんです」

「心配をかけたわね」

「値段を説明する時、今日は謝らなかったから」


 私は新しい値札を見た。

 当然のように置かれている数字。

 朝はあれほど、怖かったのに。


 ニナが、客から頼まれたことを読み上げる。


「甘さが控えめなもの。持ち歩いて崩れないもの。あと、小さな子が自分で買えるもの」


 テオが、最後の言葉に顔を上げた。

 彼は作業台から小さな紙袋を持ってくる。


「これを、見てもらってもいいですか」


 中には、丸く焼いた小さな菓子が入っていた。

 真ん中に、指で押したようなくぼみがある。

 母のレシピ帳には載っていない形だった。

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