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婚約者に店を売られたので、従業員全員と向かいに新しい店を開きます  作者: 渋谷 爽月


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第11話 同じ名前の、違う味

「責任者は私です。ただ、その商品は、向かいのお店でお買い求めになりましたか」


 女性は包みを開いた。

 母の店名が押された紙に、蜂蜜ケーキが載っている。表面の色だけは、私たちのものとよく似ていた。


「いつもの店で、いつものものを買ったのよ」

「はい。ですが、私たちは昨日からこちらで営業しています」


 女性は壁の看板を見上げた。


「では、違う店?」

「そうです。ご案内が行き届かず、申し訳ありません」


 返金するとは言えなかった。

 売っていないものを返金し始めれば、私たちの売り上げから、旧店の責任を払い続けることになる。


 ニナが椅子を勧めた。

 私は包みを閉じ、旧店の問い合わせ先を別の紙へ書いた。


「商品の件は、こちらへ。私たちの移転については、ご説明します」


 聞き終えると、女性は眉を下げた。


「でも、向こうの人は、味は変わっていないって」


 私は残っていた移転案内を渡した。

 彼女は新店の菓子を買わずに帰った。

 こちらが正しいことと、信じてもらえることは違う。


 ニナは客の言葉を記録し、怒っていた内容と、困っていた内容を分けた。

 娘の誕生日に間に合わなかった。以前の味を期待した。責任者が誰か分からなかった。


「私たちへ怒りたいというより、答えがほしいんですね」


 彼女の言葉に、私は頷いた。裏切られたのは自分だけだと思っていた。買う人も、同じ名前なら同じものが出てくると信じていたのだ。

 私は新店の案内へ、製造者が変わったことを明記するよう決めた。誰が悪いかを言う前に、今どこで何を買えるか、分かるようにしたかった。


 午後にも、似た問い合わせが二件あった。

 テオが苛立って言った。


「向こうへ、怒りに行きませんか」

「行くなら、案内を直していただくために」


 私は旧店を訪れた。

 新しい販売員は、配合が同じだと聞いていたと言った。ガスパールへ連絡すると、彼は厨房から出てきた。


「説明を確認します」

「こちらへ苦情が届いています。現在、別の製造者であることを表示してください」


 彼は窓の『変わらぬ味』を見た。

 自分で紙を剥がす。


「本日中に差し替えます。苦情は当店で受けます」


 誠実なのか、損害を止めたいのか。

 どちらでも、今は構わなかった。


 新店へ戻ると、ニナが試食の皿を用意していた。


「明日は、説明を聞いてもらう前に、食べてもらいませんか」


 私は蜂蜜ケーキを切った。

 中から立ち上る香りは、見知らぬ誰かの言葉では変わらない。

 小さな一口で伝わることを、先に信じてみたかった。

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