第10話 最初のお客さまは、迷子でした
九時の鐘が鳴った。
扉を開けると、通りには旧店の呼び込みが立っていた。
こちらの棚には、焼き菓子と林檎の瓶が少しずつ。
私は布巾を畳み直した。
十分。二十分。
誰も来ない。
ニナは花瓶の花を切り、テオは奥で次の天板を待つ。
その時、緑の扉が細く開いた。
「ああ、いた」
アルノーさんだった。
「向こうで買うところだったよ。新しい人に蜂蜜ケーキを頼んだら、何のことか分からない顔をされてね」
「今日は、まだ焼けなくて」
オーブンの事情を説明すると、彼は焼き菓子を見た。
「これを二つ。家内が、硬すぎないものを探している」
私は割った見本を渡した。
薄くても、砕けすぎない。昨夜、マルタと厚みを決めた菓子だ。
「これなら、よさそうだ」
代金を受け取り、包んだ。
最初の硬貨は特別に保管したい気がした。けれど、特別な硬貨も、働いてもらわなければならない。
私は釣り銭箱へ入れた。
彼が帰ると、また静かになった。
ニナが私へ、店の奥へ戻るよう小さく合図した。窓へ客が近づくたび、私が顔を上げていたからだ。
「見張られているみたいだと、入りにくいかもしれません」
私は頬を押さえた。店が空いているのは私たちの不安で、通りの人の責任ではない。
奥で林檎を切り、次の瓶の準備をする。鈴が鳴ると、手を洗って出た。そうして迎えた客には、待ち構えていた時より自然に挨拶できた。
何も売れない時間にも、仕事はある。その順番を、私はまだ覚えている途中だった。
昼前、オーブンの職人が来る。交換した部品をつけ、火を確かめた。
今度は、左右の試験生地が同じ色に焼けた。
「使えます。ただ、明日も確認に来ます」
マルタが頷き、蜂蜜ケーキの仕込みを始める。
その香りが窓へ届く頃、扉が開いた。
アルノーさんが、奥さんと隣家の婦人を連れていた。
「まだあるかい。さっきのやつ」
婦人は林檎の瓶を見て、病床の娘に食べさせたいと言った。
瓶の大きさと保存方法を説明すると、二つ買ってくれた。
午後には、棚の半分が空いた。
大勢ではない。けれど、誰が何を買ったか、全員覚えていられた。
夕方、初日の売り上げを数える。
足りない。予定の額には、遠かった。
それでも、ゼロではなかった。
テオが最初の蜂蜜ケーキを持ってくる。
きれいに膨らんでいた。
「明日、売れますね」
「ええ」
頷いたところへ、客の鈴が鳴る。
見知らぬ女性が、包みを机に置いた。
包み紙には、ベルナールの名があった。
「昨日と味が違うの。責任者を呼んでちょうだい」
私は立ち上がった。
開店二日目を待たずに、旧店の問題が、通りを渡ってきた。




