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あの、忘れられない停止液の匂い  作者: ちとせ鶫
第6章:8月/夏の感度、上がりすぎる

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第42話 サツエキで三時間

 集合は十一時、JR札幌駅の改札前だった。


 実結が着くと、沙織さんがすでにいた。「実結、こっちこっち」と手を振った。

 テニスラケットを振るかのように大きく。

 人が多い改札前で、全員に届くような声と手振りだった。


「早いですね」


「佳奈が遅刻するから、先に来た」


 佳奈さんは五分後に来た。OM-4Tiを首にかけていた。「遅れてない」と言った。


「ギリギリは遅刻と同じ」と沙織さんは言った。


「違う」と佳奈さんは言った。


 美穂さんは一番最後に来た。「ごめん」とだけ言って、特に謝った感じはしなかった。


     * * *


 四人で地下街に降りた。


 夏の札幌は、地下に人が集まる。

 外が暑いから、自然と地下通路を歩く。

 冬は寒いから地下を歩く。

 この街は年中、地下が動いている。実結はそれを、最初に来た春に不思議だと思っていた。今はもう、当たり前になっていた。


 先頭を歩くのは沙織さんだった。行き先を決めて、振り返らずに歩く。「このお店が新しくなったんだよ」「ここのソフトクリームが美味しいらしい」と情報が絶えなかった。


 美穂さんが途中で立ち止まった。


 カメラ用品の店だった。ショーウィンドウにレンズが並んでいた。


「見ていい?」と美穂さんが佳奈さんに聞いた。


「どうぞ」と佳奈さんは言いながら、店の前の床に降りる光の角度を見ていた。


 実結は美穂さんと一緒に店に入った。美穂さんはレンズのケースを一つ一つ確認していった。値段を確認して、スペックを確認して、また次を見る。


「カメラ、好きなんですか?」


「機械が好きなだけ」と美穂さんは言った。「写真は撮らないけど、構造は面白い」


「どんなところが好きなの?」


「光を集めて、記録する、というシンプルな話が、こんなに複雑になってるのが面白い」と美穂さんは言った。「瀬川くんも似たことを言ってた。音を記録することに執着してるって」


「そうなんですね」と実結は言った。「美穂さんと瀬川さん、よく話すんですか?」


「まあまあ。図書室で会うことが多くて」


 沙織さんが外から「何してんの、早く来て!」と呼んだ。美穂さんは「はいはい」と返して、でも最後にもう一枚だけレンズのケースを確認してから出た。


     * * *


 昼は、駅の近くのビルの地下の定食屋に入った。


 沙織さんが「ここが美味しいって先輩に聞いた」と言って選んだ店だった。

 四人でテーブルを囲んだ。


「実結、北海道の食べ物で好きなものできた?」と沙織さんが聞いた。


「ジャガイモです」と実結は言った。「何に入れても美味しい」


「東京と違う?」


「違います。ほくほくして、美味しいです」


「わかる気がする」と沙織さんはうなずいた。「わかんないけど」


 佳奈さんが笑った。実結も笑った。美穂さんは静かに味噌汁を飲んでいた。


     * * *


 食後、大通の方へ歩いた。


 外に出ると、八月の光が全部降ってきた。アスファルトが光を返して、眩しかった。沙織さんが「暑い」と言った。美穂さんが「暑い」と言った。佳奈さんはすでにOM-4Tiを持ち上げていた。


 実結もOM-40を取り出した。


 大通公園のベンチに人が座っている。木陰と日向の境目。その境目に立っている人の影が長くアスファルトに伸びていた。実結はそこにOM-40を向けた。シャッターを切った。


「何撮ったの」と沙織さんが覗き込んできた。


「影です」


「影?」と沙織さんは繰り返した。「なんで?」


「人は移動するけど、影は形を変えながら残るから」


 沙織さんがじっと実結を見た。「……実結って、なんか詩人みたいなこと言うよね」


「そうですか?」


「うん。佳奈みたい」


 佳奈さんが「ちょっと」と言った。


 沙織さんが笑った。実結も笑った。美穂さんは木陰のベンチを指さして「あそこ座れる」と言った。


     * * *


 三時間があっという間に終わった。


 夕方、解散の前に、四人でテレビ塔の近くに立った。沙織さんが「また来ようね」と言った。美穂さんが「うん」と言った。佳奈さんはOM-4Tiを下げて、空を見ていた。


 実結はOM-40のカウンターを見た。「23」。地下街・カメラ屋・定食屋・大通公園。全部が六本目のフィルムに入った。


 夏休みの、普通の午後が、ここにあった。


 1998年の夏が、ここにある。

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