第26話 六月一日、白に馴染む
六月の最初の朝は、教室が白かった。
衣替えの日だった。全員が白い夏服に変わって席に着いている。窓から入る朝の光が白を跳ね返して、実結は少し目を細めた。北海道の六月の光は、想像よりも直線的だった。
実結の夏服は、佳奈さんが手配してくれたものだった。「同じサイズだし」と言って、何でもないことのように出してきた白いシャツとスカートを、実結は昨夜ハンガーにかけたまま眺めていた。借りている制服の、夏版を借りている。それが当たり前のことになっている。
一時間目が始まる前、橘さんが前の席に横向きに座って話しかけてきた。
「やっぱり夏服のほうが楽だよね」
「そうですね」と実結は言った。
「冬服、重かったっしょ」
「確かに」
橘さんはいつもそうやって話しかけてくる。深くはない、でも途絶れない。実結はその感じに、もう慣れていた。
二時間目と三時間目の間の休み時間に、廊下で佳奈さんとすれ違った。夏服の白は佳奈さんによく似合った。冬服の紺地より、なんというか、輪郭がはっきりする。佳奈さんは佳奈さんのままだけれど、夏の佳奈さん、という感じがした。
「白って眩しいんだよね」と佳奈さんは言った。「晴れてると特に」
「見てるほうも眩しいです」
「そう?」と佳奈さんは笑って、「今日は撮らないの?」と言った。
「今日はいいかなって」
「実結って、撮らない日があるよね」
「見るだけの日もあるの。そう決めてるの」
「ふうん」
佳奈さんはそれだけ言って、また歩いていった。聞き流すのでも、納得するのでもない、「ふうん」だった。
OM-40はカバンの中にある。エバーレディケースに入れたまま、今日は取り出すつもりがなかった。昨日も、おとといも取り出した。今日はただ、白い教室の中で目を開けていたかった。
昼休みに、倉田さんが声をかけてきた。
佳奈さんの親友の、倉田美穂さん。沙織さんに連れられて喫茶小鳥遊に来た日も一緒にいたし、第一章の頃から顔は知っていた。あの時「薄い板みたいなの、なに?」と実結のスマートフォンに目を向けたのも倉田さんだった。でも、自分から踏み込んで話しかけてきたのは、今日が初めてだった。淡々としているが的確、と沙織さんが言っていた意味が、話してみると少しわかった。
「写真の話、聞いてもいい?」
「はい、いいですよ」
「どんな写真を撮ってるか、佳奈に聞いたんだけど」と倉田さんは言った。「佳奈の言ってることが、よくわかんなかった」
「佳奈さんの説明は感覚的というか......独特なので」
「そう。だから直接、実結さんに聞こうと思って」
実結は少し考えてから、「消えるものを撮っています」と言った。
倉田さんはしばらく黙っていた。「消えるものって?」
「うまく言えないんですけど。光とか、人の後ろ姿とか。一回しかない瞬間というか」
「カメラはそれができるんだ」
「フィルムは特に、そういう気がします」
「なんで?」
「デジタルと違って、現像するまで見られないから」と実結は言った。「撮った瞬間に確認できないので、信じて押すしかない。その分、撮った時の感覚が大事になる」
倉田さんはまた少し黙った。「瀬川くんも似たことを言ってた」
「瀬川さんが?」
「消えていく音を録ってるって。実結さんとは話が合いそうだって」
それは知らなかった、と実結は思った。瀬川さんが自分のことを話していたということも、倉田さんと瀬川さんが話しているということも。
「倉田さんは、写真とか音に興味があるんですか」
「機械は好き」と倉田さんは言った。あっさりと。「でも記録するものより、機械そのものが好きなのかもしれない」
「なるほど」
「佳奈が実結さんのこと、気に入ってるから」
「え?」
「だから話しかけた。聞いてみたかったの」と倉田さんは言った。それだけだった。説明も補足もない。ただ事実として置いた言葉だった。
倉田さんは自分の席に戻っていった。
実結は少し、その場に立ったまま昼の光を見ていた。廊下の窓から入る六月の光が、白い夏服の背中を照らして通り過ぎる。
誰かが気に入ってくれている、ということが、まだ少しうまく飲み込めない。ここにいることに、馴れていく。怖くなくなっていく。それが積み上がっていく感覚を、実結は最近、手触りとして感じることが増えていた。
六年生の遠足の集合写真みたいに、並ぶ前から結果を知っていることのほうが、写真は少ない。たいていは、現像してから初めてわかる。
カバンの中のOM-40の重みが、腰のあたりに届いていた。
今日は撮らない。でも、撮りたいものが、少し増えた気がした。




