第21話 坂上と河合の間
部室に全員がそろう、少し特別な放課後。
暗室の順番を待ちながら、
それぞれの“距離”が静かに浮かび上がっていきます。
坂上と河合の、
近すぎず、遠すぎず、
言葉よりも“間”で語られる関係。
そしてその“間”を見つめる実結の目も、
またひとつ深くなっていく──
そんな一話です。
木曜日の放課後、部室に部員が揃っていた。
珍しいことだった。
土曜の撮影以外で全員が同じ時間に部室にいることは、あまりなかった。
でもその日は、佳奈が「みんなで現像しよ」と言い出して、なんとなく全員が残ることになった。
暗室は数人ずつしか入れないから、順番で作業した。
待つ間、部室でそれぞれが過ごした。
久は撮影した写真のメモを取っていた。
有栖はライトボックスでネガを確認していた。
友里子は壁の写真を眺めていた。
坂上と河合は、二人でプリントの並びを検討していた。
* * *
実結は、椅子に座って焼き上がったばかりの写真を確認しながら、二人を横目で見ていた。
坂上がプリントを壁に並べながら、何かを言った。声は聞こえなかった。河合が少し笑って、首を振った。坂上が困ったような顔をして、別のプリントを取り出した。
二人の距離が、いつも一定だった。
近すぎない。でも遠くもない。
話しながらも、二人は微妙に体が相手の方を向いていた。正面ではなく、斜めに。それが、実結には面白かった。正面を向けない理由が、二人の間にある気がした。
「坂上先輩と河合先輩って」と実結は友里子に小声で言った。「仲いいよね」
「うん」と友里子は答えた。壁の写真を見ながら。
「なんか、ただの仲良しじゃないような」
「そうね」と友里子は言った。それだけだった。
「友里子は知ってる? 何か」
「見れば、わかる」と友里子は言った。
実結は二人を見た。
坂上がプリントを壁に当てて、河合に意見を聞いていた。河合が答えると、坂上がプリントの位置を少し変えた。また河合に聞いた。河合が答えた。
その繰り返しが、部長と副部長の仕事のやり取りのように見えた。でも仕事のやり取りにしては、少し間が多かった。答えてから、次を言うまでの間が。
「長い」と友里子は静かに言った。
「え?」
「二人の間が、長い。答えてから次を言うまでの間が。普通の会話より、長い」
実結は改めて見た。
確かに、間があった。河合が答えたあと、坂上が次を言うまでの、短い沈黙。その沈黙の中で、二人は少しだけ互いを見ていた。
「好きなんでしょ、お互い」と実結は言った。
「見れば、わかる」と友里子はもう一度言った。
「なんで言わないんだろ」
「部活の間は、言えないんじゃないかな」と友里子は言った。「言ったら、変わるから。今のままでいたい、っていうことかもしれない」
今のままでいたい。
その言葉が、実結の中で静かに響いた。
言葉にしてしまうと、変わってしまう。変わることが怖いから、言わない。
実結にも、言えないことがある気がした。
でもそれが何なのか、まだはっきりわからなかった。
* * *
暗室の順番が実結に回って来た。
引き戸を閉めた。緋色の世界に切り替わる。
今日焼くのは、公園で久を撮った写真だった。
池の縁でしゃがんでいる久の横顔。その視線の先には有栖がいたが、写真には写っていない。久の視線の方向だけが、画面の端に滲んでいた。
ネガをキャリアにセットした。ピントを合わせた。
像が投影された。
久の横顔が、台の上に現れた。しゃがんでいるから、視線が低い。でもその視線の先に、確かに何かがある。何かを見ている目をしていた。
印画紙をセットし露光し、現像液に沈める。
像が浮かび上がってきた。
久の横顔の、輪郭が出てきた。低い視点からの構図が、線路を撮る時と同じ角度だと気づいた。構造物を見る時と同じ目の高さで、有栖を見ていた。
止め時だと思った。停止液に移した。
作業灯の下で確認した。
いい写真だと思った。そのまま定着液に移す。
でもこれは、久には見せられないと思った。見せたら、久が何かに気づいてしまう。気づくことで、今の距離が変わってしまうかもしれない。
変わることが怖いか、と実結は自分に問いかけた。
答えはでなかった。わからなかった。
でも、変わることを選ぶ権利は、久自身にあると思った。
* * *
部活の終わりに、坂上が「来週の撮影場所、どこにするか」と全員に聞いた。
「円山動物園」と佳奈が言った。
「動物園?」と坂上は言った。
「動物園のインフラが見たい」と佳奈は言った。
「動物園のインフラって何?」と実結は思わず言って、その内容がおかしくて笑う。
「柵とか、小屋とか、給水器とか。動物のために人間が作った構造物。野村が好きそうじゃん」
久が「行きたいです」と即座に言った。
それを聞いて、全員が笑った。
「じゃあ円山動物園」と坂上は言った。河合が「部長っ、あっさり決めすぎ」と笑った。
その笑い声の中に、実結もいた。
弾かれていなかった。透明でもなかった。
来週の土曜日に、みんなで動物園へ行く。その予定が、実結の中にある。
それだけのことが、胸の奥に温かく落ちた。
坂上と河合の“長い間”。
言葉にしないことで守っている距離。
変わることを恐れて、あえて動かさない関係。
その静かな緊張を見つめながら、
実結は自分の中にも“言えないもの”があると気づき始めます。
暗室で浮かび上がる久の横顔。
見せれば変わってしまうかもしれない写真。
変わることと、変わらないこと。
その境界線に、実結はそっと立っています。
次の話では、
その境界線が、さらに深い場所へ沈んでいきます。




