第15話 写真部、最初の日
誰かと同じ部屋にいるだけで、少し救われる日があります。
写真部の部室には、薬品の匂いと、夕暮れと、それぞれ違う「好き」が集まっていました。
これは、実結が“居場所”を一枚ずつ現像していく、春の記録です。
写真部の部室は、校舎の北棟の端にあった。
もともとは準備室として使われていた部屋らしく、窓が一つしかなかった。でもその分、壁が広かった。四面の壁に、歴代の部員が撮った写真が貼られていた。画鋲の穴が重なり合って、壁の表面がざらついていた。
放課後の部室に、人が集まってきた。
* * *
最初に来たのは、柏木友里子だった。
鞄からGR1を取り出して、部室の隅の席に座った。誰にも声をかけなかった。でも部室全体を、ひとつひとつ確かめるように見ていた。
「柏木」と佳奈が声をかけた。
「うん」と友里子は答えた。
次に来たのは、野村久だった。
「野村くんのカメラ、見せてもらってもいい?」と実結は聞いた。
「どうぞ」と久はカメラ(MZ-3)を差し出した。
「どんなの撮るの?」
「線路とか、橋とか。インフラが好きで。長くそこにある、動かないものが好きで」
* * *
美東有栖が来たのは、部員が一通り揃ってからだった。
佳奈を見つけた瞬間に、表情が変わった。灯りが点いたような変化だった。でもすぐに元に戻った。
「美東有栖です。入部させていただきたくて」
鞄からPen EE-3を取り出した。白いボディの、小さなカメラ。
「かわいいカメラ」と実結は思わず言った。
* * *
部長の坂上が黒板の前に立った。
「今年の活動について話す。目標は文化祭の展示。各自テーマを決めて撮り続ける」
「転入生の麻倉は」と坂上が実結を見た。「カメラは?」
「今はOM-40を使ってます。フィルムで。佳奈さんのサブ機を借りてる感じで」
「サブ機って言うな」と佳奈が奥から言った。「ちゃんと現役だから」
笑い声が起きた。
実結は、その笑い声の中にいた。弾かれていなかった。透明でもなかった。
* * *
部室の奥の扉が開いた。
五味先生が白衣のポケットに手を入れて出てきた。
「新入生が二人入ったのね」と五味先生は言った。「化学的に言えば、新しい試薬が加わったということよ。反応が変わる。悪いことじゃないわ」
「麻倉さん、暗室の使い方は佳奈から習ってるわね」
「基本的なことは」
「結構。わからないことがあれば聞きなさい」
五味先生は暗室に戻った。
停止液の匂いが、一瞬だけ濃くなった。
* * *
部活の終わりに、友里子が実結の隣に来た。
「OM-40、使いこなしてる?」
「まだ全然」
「フィルム、何枚撮った?」
「今日で九枚」
友里子が少し考える顔をした。
「残り何枚か、わかる?」
「わからない。フィルムを入れたのが佳奈さんで、今何枚入ってるか聞いてなくて」
「それでいい」と友里子は言った。「残り何枚かわからない方が、真剣に撮る。毎回が最後の一枚かもしれないから」
友里子はそれだけ言って、鞄を持って出ていった。
毎回が、最後の一枚かもしれない。
* * *
部室に、実結一人が残った。
実結は鞄からカメラを取り出した。
ファインダーを覗いた。
部室が、四角く切り取られた。
今、何を撮りたいか。
この部室を、と思った。誰もいなくなった部室を。夕光が橙色に染めている、この一瞬を。
息を止めた。
人差し指が、シャッターボタンに触れた。
乾いた軽い音が、部室に落ちた。
フィルムカウンターが、動いた。
「9」になった。
窓の外に、四月の夕暮れがあった。
実結の1998年が、静かに、一枚ずつ積み重なっていた。
フィルムには枚数があります。
だからこそ、一枚ごとに「何を残したいか」が写ってしまう。
1998年の放課後が、あなたの中にも静かに残ってくれたなら嬉しいです。




