第五話 次に泊まる日の約束
登場人物紹介
■マレイ
神殿でエルナの身体を診ている、灰色の髪の治療師。
検査の結果だけで判断せず、本人が眠れたか、食べられたか、どこが痛むかを丁寧に確かめる。
面倒見はよいが、無理をする人にはきっぱり物を言う。エルナを心配するリゼも、彼女の前では説教を受ける側になりがち。
十時前、私は半年ぶりに大神殿の裏門をくぐった。
ついていくつもりはなかったのだが、エルナさんの右手を朝に調べて、考えを変えた。新しい枝は昨夜より伸びていた。本人はまだ眠いというし、すぐに問題が起こりそうには見えない。それでも、眠れたことだけを伝えて終わりにしてほしくなかった。
店には昼過ぎに戻ると札を出した。
馬車へ持ち込んだ鞄の中で、道具が小さく鳴る。呪いを収めた鈴は持ってこなかった。施錠した保管箱ごと、店の地下へ置いてある。
裏門の衛兵が私を見て眉を上げたが、エルナさんが先に挨拶した。
「私のお客さまです。診察室へご案内してください」
昨夜は私の客だった人が、今朝は私を客にしてしまった。
敷石の並びも、洗濯場から流れてくる石鹸の匂いも変わっていなかった。知っている職員とすれ違うたび、肩がこわばる。相手はエルナさんへ礼をしているのに、自分が何か聞かれるような気がした。
渡り廊下の途中で、私の鞄を持つ手に指が触れた。
「重くありませんか」
「平気です」
「半分、持てればいいんですが」
「鞄は半分にできませんよ」
「そうですね」
エルナさんが私の隣へ歩幅を合わせた。
ただそれだけなのに、早足で抜けたくなった廊下を、普通に歩けた。
治療師のマレイさんは、私を見るなり椅子を示した。
灰色の髪を後ろで束ねた、小柄な女性だ。書記官の療養を担当した人でもあると、エルナさんが教えてくれた。
「お礼を言うべきか、お説教をするべきか迷っています」
「私にですか」
「お二人にです。まず、どちらを聞きます?」
私とエルナさんは顔を見合わせた。
「短いほうから」
私が答えると、マレイさんは初めて表情を崩した。
「よく眠れましたね、エルナ様。顔色が違います。リゼさん、ありがとう」
それでお礼は終わったらしい。
続くお説教は長くはなかったけれど、二人で背筋を伸ばして聞くには十分だった。
不慣れな処置を受けるときは、身体を診ている人にも知らせること。改善があったときほど、そのあとを確かめること。具合の悪さを、相手が心配するからという理由で隠さないこと。
最後のところで、エルナさんが私の右手を見た。
私は見なかったふりをした。
「今回は、お二人で何をしたのか教えてください」
求められて、私は昨夜の作業を話した。わからない箇所は、わからないと言った。マレイさんはそのたびに質問を止めず、どこまでなら確認できたのかを聞き直した。
金の糸を見てもらうことはできない。
だから紙に描いた。指輪から腕へ、胸へ、そして神殿へ続く線。昨夜、枝を抜いた場所。今朝、新しく伸びていた場所。
マレイさんは図の余白へ、脈や手の温かさ、本人の眠気を書き添えていく。
「指輪からの供給は、睡眠中も続いていたんですね」
「見えた範囲では。街の設備に変化がなかったことは、別に確認をお願いします」
「ええ。結界を維持する係へ問い合わせます」
彼女はすぐ、傍にいた助手に頼んだ。
その速さに、私は言葉を失った。
半年の間、こういう話をするときは、まず祝福という呼び名について揉めるのだと思い込んでいた。けれどマレイさんは、エルナさんが昨夜より楽かどうかから話を始めた。
診察が終わりかけたとき、エルナさんが膝に置いていた手を持ち上げた。
「お願いがあります」
私とマレイさんが、同時に彼女を見た。
「リゼさんのお店で、何度か休ませてもらえませんか」
「エルナさん、それは」
私が何か言う前に、彼女は続けた。
「こちらで眠れるかどうかも、試します。指輪の様子を調べてもらう日は、移動がつらければ、そのまま休みたいんです。昨夜のように、どこへ行ったか隠すのはやめます」
マレイさんが私へ向いた。
「お店で受けられることですか」
それは、私の都合を聞く質問だった。
聖女様が望んでいるから引き受けなさい、と言われたわけではない。
私は朝の売上を失った帳簿と、祖母のベッドに積んだ荷物を思い浮かべた。それから昨夜、手を離すまでの短い時間を。
「毎日は、店が回らないです。あと、泊まるなら、ベッドをひとつ空けないと」
「承知しました」
エルナさんは身を引こうとした。
「でも、日を決めればできます。診るだけなら、閉店前に来てもらえば。泊まるのは、明後日以降なら」
自分でも、ずいぶん早く条件が出てきた。
「明後日ですか」
「今日と明日で、片づけます」
マレイさんは、紙の上に予定を書いた。
今日の午後は神殿の部屋で休む。明日の夕方、夜窓質店で指輪を確認する。泊まる日は状態を見て決める。処置を増やすときは、マレイさんにも来てもらう。
ひとつずつ、エルナさん自身がうなずいた。
「費用は治療費から出せるよう、私が話を通します。後日、見積もりをください」
「あの、呪い自体は買い取れる場合もあって」
「材料代も、あなたが店を閉めた時間も、同じではありませんから」
私は反射的に、ありがとうございます、と言いかけた。
その前に、隣でエルナさんが言った。
「リゼさんが損をしない額にしてください」
「それは、リゼさんに決めてもらいます」
マレイさんが私へ鉛筆を差し出した。
私は受け取り、紙の隅に、道具と金属の値段から書き始めた。




