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第二十話 天井を焦がした聖女様

 私は、使いの持つ紙を読み直した。

 昨日の試験において、聖女の身体への影響を認めたため。

 間違ったことは書かれていなかった。

 だから、紙を丸めて投げつけるわけにもいかなかった。

 エルナさんが、私の隣で手を差し出した。

「拝見しても?」

 紙を渡す。

 彼女は最後まで読み、使いの神官へ向き直った。

「私は、判断について直接お話ししたいです。今日の練習でわかったこともあります」

「神官長は、本日は別の会合が」

「明日は、何時が空いていますか」

 相手が言葉を止めた。

「その時刻に伺います。空いていないなら、会合の前後に。私も予定を変えますから」

 穏やかだったが、受け取って引き下がる声ではなかった。

 使いは一度戻ると言った。

 エルナさんは礼を言い、椅子へ座り直した。

 私は、何か言うべきかと思った。

 でも、彼女はもうダンさんへ向いていた。

「今日の結果を、私が説明できるように教えてください。わからないところを、そのまま頷きたくありません」

 ダンさんが、机の上の小さな石を指した。

 私も鞄を下ろして座った。

 その午後は、派手な進展のない時間になった。

 何度も同じ図を見て、聞き違えたところを言い直し、使う言葉を減らした。

 石は力を溜める。神官たちは力を補う。指輪と届き方を合わせる。戻ってくる分を、リゼが器へ移す。

 エルナさんは、自分に何ができるかを書いた。

 力を送る間を教えること。身体に戻ってきたとき、黙らず伝えること。引かれる力に逆らって握り込まず、決めた方向へ流すこと。

 私にも、全部はできない。

 彼女にも、全部はできない。

 それが、少しずつ頼もしい形になっていった。


 馬車の支度ができるまで、私はエルナさんと、小さな礼拝室で待った。

 大きな広間の裏にある、窓の低い部屋だった。椅子の背には、座った人の手が同じ場所を撫でた跡がある。祭壇に置かれた花は、広場で見たものよりずっと短く切られていた。

 エルナさんは、壁際の椅子を選んだ。

「ここなら、足がつくんです」

 私は腰を下ろし、靴底で床を確かめた。

 少し低い。でも、大人の私なら、ほかの椅子でも足はつく。

 彼女は私の顔を見て、あ、と笑った。

「初めて来た頃の話です。十四歳でしたから」

「その頃から、お仕事を?」

「最初は勉強だけです。魔力が強いと言われても、思ったとおりに動かせませんでした」

 彼女は正面の壁を指した。

 高いところに、窓の形と合っていない、細長い染みが残っている。

「光を灯す練習で、あそこへ飛ばしてしまって」

「焦がしたんですか」

「はい。小さな灯りのつもりだったんです」

 私はもう一度、染みを見た。

 練習には、広すぎる跡だった。

「向いてない、とかは」

「思いました。隣で練習していた子は、すぐにできたので。でも、先生は、天井の埃も払えたと言ってくださいました」

「いい先生ですね」

「あとで、掃除もしましたけれど」

 エルナさんは、指輪のない左手を上へ向けた。

 今日はもう練習をしないので、光は出さなかった。

 その掌を見ながら、私は初めて、うまく祈れなかったこの人を想像した。いまより短い足で椅子へ座り、叱られるかもしれない天井を見上げている。

「どうして、続けたんですか」

 尋ねてから、答えにくいことだったかと思った。

 でも、彼女はしばらく考えていた。

「できたから、だと思います」

 意外な答えだった。

「練習をしたら、できるようになりました。灯りを一つ、消さずに朝まで保てた日があって。それを、誰かに見てほしかったんです」

 彼女は左手を下ろした。

「初めて結界を手伝ったのは、川の霧が濃かった年でした。ここへ避難してきた方たちが、窓の外を見ていたんです。灯りが戻るまで、誰も寝ようとしなくて」

 低い窓の向こうでは、乾いた落ち葉が溝に溜まっていた。

「私が力を送ったのは、ほんの少しでした。でも、朝に門が開いて、皆さんが帰っていくのを見たら、またやりたいと思いました」

「役に立てたから」

「それもあります。でも、嬉しかったんです。自分の練習してきたことが、こんなふうになるのかと」

 私は椅子の背へ手を置いた。

 窓から匙を外した日のことを思い出した。自分では外せなかったくせに、祖母の手元を見て、いつか同じことをしたいと思った。

 誰かにやれと言われる前から、好きだった仕事。

 だからこそ、うまくできなくなったときに、自分のほうを直そうとする。

「外したあとも、それまでのことは、嫌いにならなくていいと思います」

 私が言うと、エルナさんはこちらを見た。

「はい」

 返事はすぐだった。

 けれど、次の言葉には少し時間がかかった。

「それを、リゼさんに言ってほしかったのかもしれません」

 私は手の置き場所を変えた。

 何かを褒めるつもりで言ったのではなかった。それなのに、彼女の顔には、褒められた子供にも似た表情があった。

 どうしてよいかわからなくて、私は祭壇の花を見た。

「あの花、短いですね」

「大きな祭壇で折れたものを、こちらへ持ってくるんです。この部屋の花瓶が浅いので」

「捨てないんですね」

「まだ咲いていますから」

 淡い黄色の花だった。

 それを見ている横顔へ、窓の光が細く入っていた。金の髪の一本が、頬に触れている。

 私は取り払ってあげようとして、手を上げかけた。

 エルナさんが先に気づき、耳へかけた。

 行き先を失った手で、私は自分の袖を直した。

「この部屋は、誰でも来られますか」

「行事のない時間なら。どうしてですか」

「店へ来る人で、広いところは落ち着かないって言う人がいるので。神殿でお祈りをしたくても、みんなの前だと、何を言えばいいか困るそうです」

「言わなくても、座っているだけでいいと思います」

 彼女は、前を向いた。

「私も、今日はそうします」

 私はうなずいた。

 しばらく、隣に座った。

 時計を数える音も、道具を置く音もなかった。廊下から人の話し声が来て、遠ざかる。

 彼女の手が椅子の上で開かれていた。

 私の手とは、指二本分ほど離れている。

 触れたいと思った。

 具合を見るためでも、糸の動きを確かめるためでもなかった。

 そのことを、自分の中ではっきりさせるまで、私は動かなかった。はっきりしたあとも、動けなかった。

 廊下へ、イルマさんが迎えに来た。

 エルナさんは立ち上がる前に、私を見た。

「また、一緒に来ますか」

「はい。行事のない時間に」

「では、そのときは、この席で」

 私は、椅子の背へ指を置いた。

 引き受けた約束は、試験の時刻よりも、頼りない言葉だった。

 それでも、鞄の中のどの予定表より、忘れずにいられそうだった。

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