第十六話 三夜のはずだった
収穫市の朝、夜窓質店の前には、開店前から二人の客がいた。
一人は籠を持った男の人。もう一人は、首から小さな守り袋を下げた女の人だった。どちらも一昨日の実演で私を見たという。
私は戸を開け、順番に話を聞いた。
籠の中身は卵だった。鶏が一日置きに青い卵を産むのが呪いではないかと聞かれたが、それは私の仕事ではなかった。鶏を診られる人のところへ行ってもらう。
守り袋のほうには、気になる糸があった。
それを預かっている間に、次の客が来た。
昼までに六人。
ありがたいことだ、と私は思った。
店の名前を知ってもらいたくて、広場へ机を出したのだ。望んだとおりになっている。
それでも、昼のパンを食べる時間はなくなった。
エルナさんは午前中、神殿で祝日の挨拶をする予定だった。時間は短くしてもらっている。私は店の戸口から、一度だけ祭りの旗を見た。
遠くで、椅子を買った日に一緒に聞いた歌が始まっていた。
歌詞の最後を、私はまだ知らなかった。
午後、ダンさんが記録の写しを抱えて来た。
後ろからエルナさんとイルマさんが入ってくる。エルナさんは仕事を終え、外套へ着替えていた。
「今日は、人が多いですね」
「繁盛してます」
私は胸を張った。
机の上には、まだ手をつけていない預かり票が溜まっていた。
エルナさんはそれを見たが、片づけたほうがよいとは言わなかった。まず自分の鞄を椅子へ置き、私がいつも使っている分類箱を、客から見やすい位置へ寄せた。
「お話を聞いた方の順番だけ、書いてもいいですか」
「お願いします。品物には触らずに」
「はい」
私は次の客を呼んだ。
その人は、祝福された靴の中敷きを持っていた。長く歩いても疲れないという品だ。旅の途中から、脱いだあとに足が酷く重くなるようになったという。
私は中敷きを木の板へ載せ、同じような糸がないか確かめた。
エルナさんは使い始めた時期と、一日の歩く時間を聞いている。
気づくと、私が質問する前に必要なことが紙に並んでいた。
ダンさんは奥の机で写しを仕分けてくれた。イルマさんは入り口を塞がないよう、人に立つ場所を案内する。
ひとりで始めた店に、三人分の動きが増えていた。
私はしばらく、そのことを喜ぶ余裕さえなかった。
客が途切れたのは、夕方だった。
エルナさんは私の手元へ包みを置いた。
「パンです。食べましたか」
「あとで」
答えた途端に、彼女の手が包みから離れなくなった。
「今、少し食べませんか。私も食べたいので」
私は時計を見た。
どうして、これくらいの時間がなかったのだろう。
半分にちぎったパンを受け取り、口へ入れる。腹が空いていたと、食べ始めてから気づいた。
ダンさんが広げた記録には、三か月前の日付が並んでいた。
北側の蓄魔石が停止したこと。非常時の接続に切り替えたこと。指輪に流す補助の働きを強くしたこと。
私はその下の、一行に目を留めた。
継続は三夜を限度とし、休止後に状態を確認する。
パンを持つ手が止まった。
「三夜」
エルナさんが、私の横から読んだ。
ダンさんは唇を結んだ。
「元の手引きには、そうあります。でも、ここで」
別の紙を置く。
日々の検査で異常を認めないため、当面継続する。
その文面が、日付を変えて何枚も続いていた。
検査値は、ほとんど変わっていない。
身体の訴えを書く欄には、短い言葉があった。
倦怠。入眠困難。手指の冷え。
備考には、加護への適応を観察、とある。
私は紙を見つめた。
そこには、知らなかった人の話は書かれていなかった。
つらいと言った人がいて、聞いた人がいて、それでも続けると決めた記録があった。
「この写し、全部、残せますか」
私が尋ねると、ダンさんはうなずいた。
「正式に閲覧を認められています。出所もつけてあります」
エルナさんは、しばらく一枚の紙を見ていた。
「この日、私、初めてお茶を落としたんです」
指が、端の日付に触れた。
「手が冷たくて、カップがうまく持てなくて。新しくいただいたものだったので、割ってしまったのが申し訳なくて」
彼女は、そこで息をついた。
私たちは何も言わなかった。
その沈黙の間に、外から祭りの笑い声が聞こえた。
「この紙を読んだ方は、私がカップを割ったことは知らないんですね」
「書かれていませんから」
ダンさんが、苦い声で答えた。
エルナさんは自分の手帳を開いた。
日付の横へ、小さく何かを書き足す。
私は彼女の手が止まるまで待ってから、次の紙へ移った。
先月末、台座の修復完了。
通常接続への復帰を試みたところ、指輪側より強い引き戻しを確認。聖女への影響を避け、中断。
「ここです」
ダンさんが言った。
「石は直った。でも、流れを切り替えると、今まで指輪へ届いていたものが、戻ろうとする。私はそのとき、別の台にいたので、詳しくは」
「エルナさん、この日に覚えは?」
彼女はゆっくりうなずいた。
「礼拝の途中で、胸が痛くなりました。そのあとは、治まったので。少し力を使いすぎたのだと」
私は紙に描いた三本の糸を見た。
腕へ。胸へ。神殿へ。
簡単には外せない、と言われた理由が、少しずつ形を持ち始めた。
ただ、どこが結びついているのかは、図だけではまだ追えない。
「戻ろうとするものを、別の器で受けられるかもしれません」
私は言った。
ダンさんが顔を上げる。
「ただし、どのくらいあるか、わかりません。指輪と設備を、同じ時刻に調べたいです。本人から無理に離す前に」
「立会いを頼んでみます」
彼は紙の端へ予定を書いた。
私は、ようやく残りのパンを口へ運んだ。
すっかり乾いていた。
エルナさんは、いったん神殿へ戻ると言った。今夜は店へ泊まるため、着替えを取りに行くのだという。祝日の用事を終えたマレイさんから報告も受け取るので、戻るのは遅くなるらしい。
私は、戸は開けます、と答えた。




