第12話 第五層の主、大牙猪
異変はある朝、ギルドの掲示板に貼り出された一枚の紙から始まった。
**【緊急】第五層の主「大牙猪」が活発化。第四層まで上がってきている。Dランク以下の冒険者は、第四層以下への立ち入りを禁ずる。**
ギルドの一階は朝からざわざわしていた。
「おい、聞いたか。昨日、Dランクのパーティが二つ、やられたってよ」
「死人は出てないらしいが、全員骨を折られて、治療院行きだ」
「主が自分の階から出てくるなんて、何年ぶりだ?」
酒場の話を聞き集めると、だいたいこういうことだった。
迷宮の各層には、ときどき「主」と呼ばれる強い魔物がいる。第五層の主は大牙猪。家くらいの大きさのイノシシで全身の皮が岩のように硬い。ふだんは第五層の奥でじっとしているから、近づかなければ害はない。
それがなぜか急に暴れだした。
「討伐隊は?」
ノエルがマリーさんに聞いた。
「王都のBランクパーティに依頼を出しました。でも、到着までに十日はかかるそうです」
「十日……」
ルゥが心配そうに耳を伏せた。
「カイ兄。第四層まで来てるってことは、そのうち第三層にも来ちゃう?」
「……かもしれない」
ルゥの仲間の拾い屋たちは、第一層から第三層で働いている。スラムの子どもたちにとっては、迷宮の浅い層が唯一の稼ぎ場だ。主が上がってきたら、あの子たちは逃げ場がない。
「一度、様子を見に行こう。戦うかどうかは見てから決める」
Fランクの俺とEランクのノエルでは、本当は第四層に入れない。でも、立ち入り禁止の見張りは、第四層の入り口にしか立っていなかった。第三層の奥から、裏の細い抜け道を使えば、見張りに見つからずに下りられる。ルゥが拾い屋の仲間から聞いた道だった。
第四層はしんとしていた。
いつもなら出てくるゴブリンの群れが、一匹もいない。みんな、どこかに逃げてしまったみたいだった。
ルゥが鼻をひくひくさせた。
「……いる。すっごく、くさい。土と、血のにおい」
通路の先の広間にそれはいた。
でかい。
家くらい、と聞いていたけど、本当に家くらいあった。灰色の毛が岩のようにごつごつと体をおおっている。口の両側からは俺の背丈くらいある白い牙が、ぐいっと上に反り返っていた。
〔大牙猪 Lv28〕
俺のレベルは12。ノエルは14。ルゥは6。三人足してもあいつに届かない。
大牙猪は広間の真ん中で地面を鼻で掘り返していた。
俺は岩陰から、じっと目をこらした。
光の線が見える。でも、ほかの魔物とは、見え方がまるでちがった。線の上に岩みたいな分厚い皮が何層も重なっていて、線はそのずっと奥を走っている。急所の光る点は首のつけ根にあった。でも、皮の厚さは、たぶん俺の手のひらの幅くらいある。
ナナシの刃は指の長さくらいしかない。とどかない。
「ノエル、ルゥ。ためしに一回、当たってみる。無理だと思ったら、すぐ引く」
「はい」
「うん」
ノエルが盾を構えて前に出た。大牙猪がぎろりと顔を上げた。
ブモオオオッ!
地面がゆれるような鳴き声だった。大牙猪が頭を低くして突っ込んでくる。
ノエルは逃げなかった。+3の鉄の盾を斜めに構える。真正面から受け止めるんじゃなく、牙の勢いを横に流すように。
ごがあん、と、ものすごい音がした。
ノエルの体が横に二メートルくらい吹っ飛んだ。でも、転ばなかった。足で地面をけずりながら、ぎりぎりで踏みとどまる。
「今です、カイさん!」
大牙猪の首が横を向いていた。首のつけ根の急所が、こっちを向いている。
俺は銀の片手剣を両手で握って、急所めがけて突き込んだ。
ガキン。
手がしびれた。
剣の先は皮に少しだけめり込んでそこで止まった。光る点までまだ指二本分くらいある。とどかない。
+3の銀の剣でもあの皮はぬけない。
大牙猪が首をぶんと振った。剣ごと、俺は吹き飛ばされた。背中から地面にたたきつけられて、息がつまる。
「カイ兄っ!」
ルゥが石を投げて大牙猪の気を引いてくれた。そのすきにノエルが俺の腕をつかんで引きずるように通路へ走った。
大牙猪はしばらく追いかけてきたけど、狭い通路の手前で止まった。体が大きすぎて、入ってこられないのだ。
第三層まで逃げ戻って、三人で壁にもたれかかった。
「……だめでした、ね」
ノエルが肩で息をしながら言った。盾を持つ左腕が小刻みにふるえていた。
「ノエル、腕は?」
「平気です。しびれているだけです」
ノエルはそう言ったけど、顔色は真っ白だった。
俺は銀の片手剣を見た。
〔銀の片手剣 +3〕
なじみ ★★★☆☆
ひずみ ☆☆☆☆☆
刃先が少し欠けていた。
指二本分、とどかなかった。
その差を埋めるのは何だ。俺の力じゃ無理だ。レベルを一つ上げても解体屋の力は一つしか増えない。レベル28に追いつくころには、この街はめちゃくちゃになっている。長い剣を買う金もない。
だったら、剣そのものを強くするしかない。
+3から、+4へ。強化値が一つ上がると、武器の力は、ぐんと跳ね上がる。+3の今と、+4では、たぶん刃の通り方がまったくちがう。
帰り道、俺はずっと考えていた。
手元にある精錬石は、欠片を合わせてちょうど二個分。銀の装備は鉄よりも石をたくさん食う。一回の強化に精錬石が二個いる。
つまり、チャンスは一回だけだ。
公式の表なら、+4の成功率は七十パーセント。俺の計算だと、なじみ★3でプラス九、ひずみはゼロ。七十九パーセント。
五回に一回は失敗する。
失敗したら、剣は+2に下がる。石はなくなる。大牙猪には、もう手が出せない。
工房に戻ると、ガンツさんが炉の火を落としているところだった。俺の顔を見て、ハンマーを置いた。
「……何か、決めた顔だな」
「まだ、決めてません」
俺は屋根裏へ上がるはしごの前で立ち止まった。
「ガンツさん。明日の朝いちばんで金床、貸してもらえますか」
ガンツさんはしばらく俺の顔を見ていた。それから、黙ってうなずいた。
屋根裏のベッドの上で二個の精錬石を手のひらに並べた。
青い光が天井に小さくゆれていた。
第12話 了




