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 森の緑が途切れ、切り立った岩肌が牙を剥くようにそびえ立つ。その根元に、まるで巨大な獣が口を開けたかのような、暗く湿った入り口が口を広げていた。


 洞窟——。


 外の陽光を拒絶するその空間からは、外気の温かさとは対照的な、冷たく重い空気が絶えず溢れ出している。鼻腔をくすぐるのは、長い年月をかけて蓄積された土の重みと、岩肌を伝う水の微かな鉄臭。


(……行くしかない、か)


 モモが迷いなく一歩前へ出た。彼女の赤みを帯びた黄金色の毛並みが、闇に飲み込まれていく。僕もまた、肉球に伝わる石の冷たさを確かめながら、その後に続いた。


 一歩踏み込むごとに、世界から色が消えていく。代わりに研ぎ澄まされるのは、聴覚と嗅覚だ。


 ピチャリ、という水滴の音。


 それが洞窟の壁に反響し、空間の広さを僕に教えてくれる。前を行くモモの足音、彼女の微かな呼吸、そして独特の甘い体温の匂い。暗闇の中では、それだけが僕にとっての唯一の道標だった。


 数メートル進んだところで、不意に右前足が空を掴んだ。濡れた苔に覆われた滑りやすい岩場。爪が空しく石を掻き、バランスを崩しかける。


(おっと……!)


 咄嗟に尾を逆方向に振って重心を制御し、低く身を構える。隣でモモが「大丈夫?」とでも言うように、鼻先を僕の脇腹に寄せた。


 「問題ない」という意味を込めて短く鼻を鳴らし、僕たちはさらに奥へと歩を進める。


 洞窟の湿度は高く、呼吸をするたびに肺の奥が重くなるような感覚だ。だが、その湿った空気の中に、明らかに周囲とは異なる「異質な気配」が混じり始めた。


 ツン、と鼻を突くアンモニアに似た刺激臭。


 頭上の闇から、無数の微細な衣擦れのような音が降り注いでくる。


(……上だ!)


 僕が警告の唸りを上げると同時に、天井から巨大な影が舞い降りた。


 翼を広げれば僕たちの体長を超えるであろう、黒褐色のコウモリ——いや、その瞳は赤く不気味に発光し、口元からはナイフのような牙が覗いている。明らかに普通の野生動物ではない、この世界の「魔」を帯びた獣だ。


「グルゥ……ッ!」


 コウモリが超音波に近い鋭い鳴き声を上げ、旋回しながら襲いかかってくる。


 洞窟という狭い空間では、奴の飛行能力は脅威だ。だが、僕たちには「二人」の目がある。


 奴が僕を狙って降下してきた瞬間、僕はあえてその場に踏み止まり、ギリギリまで引きつけた。風を切る音が耳元で弾けた刹那、身体を反転させて横へ跳ぶ。


 視界の外から、モモが弾丸のような速さで飛び出した。


 彼女の鋭い爪がコウモリの翼を捉え、バランスを崩させる。水たまりを蹴立てる音が洞窟内に激しく反響し、敵の感覚を狂わせる。


 奴が体勢を立て直そうと羽ばたいた瞬間、今度は僕の番だ。


 岩の段差を利用して高く跳躍し、コウモリの死角へと入り込む。前世の人間だった頃には不可能だった、重力を無視するかのような三次元的な動き。シバ犬としての本能と肉体が、暗闇の中での正確な一撃を可能にしていた。


 数分間の激しい攻防。


 狭い洞窟内を縦横無尽に駆け巡る二匹の黄金色の影に、ついにコウモリは戦意を喪失した。奴は恨めしげな鳴き声を残し、さらに奥の深い闇へと消えていった。


 静寂が戻る。


 荒い息をつきながら、僕とモモは自然に歩み寄り、鼻先を寄せ合った。


 クン、クン。


 互いの毛並みに付着した敵の匂いを払い、傷がないかを確認し合う「クン活」。


 冷たい洞窟の中で、彼女の鼻先から伝わる体温が、何よりも確かな安心感を運んできてくれる。


(……君がいれば、暗闇だって怖くないな)


 光は小さく尾を振り、モモもまた、誇らしげに耳をぴんと立てた。


 洞窟のさらに奥、曲がり角の先から、今までとは違う「澄んだ空気」が流れてくるのを感じた。


 そこには微かな、けれど確かな光の気配がある。


 試練を乗り越えるたび、僕たちの足取りは力強くなっていく。


 黄金色のシバ犬と、赤みを帯びた相棒。


 二匹の影は、迷うことなく未知の深淵へと、再び歩みを進めた。


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