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その三十五
留守中、レンタルビデオ店から連絡があったという。翌朝さっそく出向く。
ずっと貸出中だった「びっくりピーチタルト新記録」の13巻がおかげさまで返ってきていた。
「キープしておきました。ホントはいけないんだけど」
と顔見知りの店員はいった。
「すいませんね。じゃあ悪いから当日返却で借りますよ」
船倉荘の畳の張替えはあさっての午後にやってもらうことになっている。だからぼくはまたK市にもどらなければならない。当日返却にしたのは、じつはそのためなのである。
以前にも述べたが、ぼくは「びっくりピーチタルト新記録」の1巻から12巻まですべて観ている。
ちなみに5巻から12巻までは全部マイケル・ジャクソンの選手権であった。スリラーのダンスを競い合うのだ。
住まいにもどって鑑賞してみると、13巻もやはり先の選手権なのであった。ピーチタルトの国民はぜんたいにスリラーのダンスに磨きをかけることに熱心なようである。
公園でランニングをするついでにまず徒歩でレンタルビデオ店に行って13巻を返す。
つぎに公園へおもむくと、范礼一さんがベンチにすわって菓子パンを頬張っていた。
「軍師!」
ミニスターはぼくに気がつくと、牛乳パックをベンチに置いてこちらに手を振ってきた。
「休憩ですか? ミニスター」
「ええまあ……いま途方に暮れてましてね」
范礼一さんはここのところ各国のお偉方と極秘に会っている。
「モンブラン帝国にも援軍を頼んだんですけど、いまは中立でいたいとか、もぐもぐいってて……」
「はあ」
「シュークリーム帝国もいまはシューアイス帝国と揉めてるから、他所様の国を援護する余裕はないっていってるし……」
交渉はずいぶん苦戦しているようである。
このように各国にはたらきかけているのは、ガトーショコラ帝国との〝いくさ〟が、いよいよはじまりそうだからである。
「まあ半年もしたら本格的に攻め入って来るでしょうね」
ミニスターは、ピーチタルト帝国は滅亡する運命なのかもしれないと、いつになく弱気になっていた。
「和睦はできないんですか?」
「いくつかの国が味方になってくれれば、和睦という方向にもっていけるかもしれませんが、いまのところむずかしいですね」
「モンブランとピーチタルトの関係は、いままでどうだったんですか?」
「あまり仲良くはないですね」
公園の芝生の広場では、ご高齢の方々がスピーカーを大音量にしてスリラーのダンスを練習していた。
ぼくは范礼一さんに、
「ピーチタルトはどうして〝スリラー〟が、こんなに盛んなんですか?」
ときいてみる。
「スリラーダンスは国技なんですよ」
「国技だったのか……」
ぼくはあることを思いつく。
「ミニスター」
「はい」
「ガトーショコラとのいざこざが収まるまで、『スリラー』にさらに予算をかけてもらえませんか?」
「といいますと?」
「さっき『びっくりピーチタルト新記録』の13巻を借りて観たんですけど、防衛学校のスリラーとか、かなり迫力があって素晴らしかったのです」
「ふむふむ」
「あれを十万人規模でできれば、ガトーショコラにたいして有利に立てるかもしれないんですよ。ぼくの個人的な……まあ一種の秘策なんですけど」
「いやぁ、天下のピーチパイドンさんがかんがえてくれた秘策であれば、きっとうまく行きますよ! もっと国民にスリラーを稽古させれば良いのですね?」
「ええ」
「ガトーショコラの件が収まれば西施子さんと結婚できるんです」
「ほお」
「さっそく皇帝にスリラーのことを告げてきますよ」
范礼一さんは自転車を立ちこぎして宮廷に向かった。
さて、ぼくの秘策というのは、つぎのようなことである。
船倉家の例のファミコン好きの兄貴は、いまはどうか知らないけれども昔はいわゆる「マイケル・ジャクソン恐怖症」だった。
兄貴はスリラーのミュージックビデオをもっていた姉の京子をだから当時かなり警戒していたのだ。
茶の間で京子がそのミュージックビデオを観ている場合は、
「たまき、京子があれ見終わったら、おれの部屋ノックしてくれ」
と食事時でもぜったい茶の間に来ようとはしなかったのである。
ガトーショコラ皇帝の跡取り息子は胸の谷間をちら見せしてもらったりなどして気に入っていただろうひとみさんの翌日の親切にたいし、そのハッピーセットの紙袋をどこかへ放り投げたのちに自室にひきこもるという対応を取っていた。
ピエロ恐怖症のあさ美お姉さんはマクドナルドのドナルドもちょっと苦手で、マイケル・ジャクソン恐怖症の兄貴はピエロもたしょう苦手だった。
だからドナルド恐怖症の跡取り息子は、マイケル・ジャクソンもぼちぼち怖いのではないかと推測される。
もし跡取り息子のスリラーにたいする恐怖心がわずかなものであっても十万人とかそういう規模でスリラーを見せつけてやれば、そのちっちゃな恐怖心も何倍にもなってドナルドに抱く恐怖と同等のものになるはずである。
ガトーショコラの国民もそんなふうに次期皇帝がスリラーとかにビビリまくっていたら国の行く末を案じてピーチタルトとの和睦をもとめるだろう。
わたくし桃パイドンは、よってミニスターの范礼一氏に先のようなお願いをしたのである。
ピーチタルトの丘総合公園のランニングコースで五キロほど走ったぼくは、スマホで音楽を聴きながら徒歩で住まいにもどった。
菊池さんは道すがらにある市場で買い物をしていた。
「外出するときは身を守るためにも、なるべく着るようにしてください」
と范礼一さんより支給されている幼稚園スモックを妻はちゃんと着てくれていた。
黄色い丸帽子もちゃんとかぶっていた菊池さんは、おなじく黄色いポーチからお財布を取り出すと、トマトとキャベツとニンジンの代金を、店のおばさんに背伸びするように手渡していた。




