3
その三
こうべを垂れつつも、
「ぜったいスーツですよ」
と何度も釘を刺していたので、翌日の山城さんは、きちんとネクタイまでしめてきてくれた。
ドンの好物はカツカレーである。そしてステーキである。
厨房をのぞくと、次男の二郎さんがロースカツを包丁でザクザク切っていた。
市外に住んでいる二郎さんが昼食の用意をしているのは理由がある。それは長男の嫁をうまく外すためである。
ドンは、嫁をファミリーの仕事に関与させないのは、実の娘さんから助言を受けてのことだとわれわれには明かしているのである。
カツカレーパーティーでカムフラージュされたこの秘密会議に出席しているのはドンとぼくと山城さんと内府である。
次男の二郎さんは、いつも込み入ったことにはかかわらない。
「船倉くん、赤ワインもあるよ」
などと食事の世話をしてくれるだけである。
ドンは、カツカレーだけでなく、マカロニグラタンをもお口をほぐほぐさせつつ食べていた。八十過ぎでこの食欲である。
そのドンは、真夏にカツカレーやステーキを食べる重要性を説くと、
「まずワシは謝らなくちゃならない。やっぱりG=Mの案を尊重すべきだったんだ。ワシの判断がまちがっていた。船倉くん、すまない」
と資料を差し出しつつあたまを下げてきた。しかも深々とあたまをさげてきたのである。
もちろんそんなふうにされたぼくは、G=Mとしてどんな案をかつて出したのかもわからないままに、ドンよりももっともっと低く、ほとんど這いつくばるようにして資料を受け取った。
「森中市長のお詫び行脚大作戦――そんな案、おれ出したかな……」
資料に記されている○○村は無名の大作家、蔵間鉄山の故郷であり、かつ鉄山の全作品の舞台である。
色の白いミユキちゃんが土地成り金の家に嫁いでしまった年は『太陽にほえちゃう?』というKの森テレビ制作の刑事ドラマがたいへん流行っていた。
ぼくも当時は夢中だった。
お部屋着だけでなく、お出かけ着としてもランニングパンツをもちいるほどの入れ込みようだったのである。
その年の九月、ミユキちゃんの結婚とランパン刑事の殉教という二つのダメージを受けたぼくはいきなり走るようになる。ランニングによってこの困難を乗り越えようとしたのである。それとお出かけ着としてランパンはいているのならすこしは走れよ、というような圧力を街並より感じていたからである。
「それで健康センターのジムでもしょっちゅう走ってるんですかぁ、アチッ」
「あっ、もっとお口をほぐほぐさせて食べなくちゃ、山城さん」
一年後、Kの森総合公園でおこなわれるハーフマラソンの大会に参加する。
この大会で赤木さんとおっしゃる年配のランナーと知り合う。赤木さんは『彼岸花』という小説の同人誌の編集長をしていた。
赤木さんはマラソンの大会とか豚汁みたいなやつの大会とかのたびにその同人誌をぼくに分けてくれた。それでわたくし船倉たまきはあるとき、
「ん? この小説は何なんだ!」
と『彼岸花』に作品を載せていた蔵間鉄山を見出したのである。
山城さんはやけどした舌を冷やすという名目でラガーの大ビンをもう一本開けていた。度胸満点である。そんな山城さんはさらにドンに、
「でも、なんで○○村なんですか? 選挙、関係ないじゃないですかぁ」
と無謀にもきいている。しかもビール片手にである。
さて、市長がなぜお詫び行脚をしなければならないのか。
それは去年の秋に地元の小学校の運動会で三時間も悦に入って得意のごあいさつをしてしまったからなのである。話が長いものだから低学年の女の子が貧血だか熱中症だかになってしまったのだ。
その低学年の女の子の田舎というか本籍地は○○村だった。よくおぼえていないが、だからぼくはてきとうにお詫び行脚の案を出したのだろう。その村に行けるからである。その村は鉄山作品の舞台だからである。
ちなみに当の森中市長は、
「わたしは船倉さんの指示にしたがい、その村をくまなく行脚する! たしかに、あっちでやったほうが、選挙に関係ないのだから、誠意が伝わるはずだ!」
と大乗り気でいるらしい。
○○村に栗原小巻のそっくりさんが住んでいる(らしい)という情報を幕臣経由できいたドンは、またぞろ栗原小巻関連で市民から批判を受けるのを懸念して、先の案をいったん棚上げにしていた。
しかしこちらの幕臣情報は若干の手違いがあった。○○村には栗原小巻ではなく、天地真理のそっくりさんが隠遁しているのである。
そんなわけで、いよいよ「お詫び行脚大作戦」の段取りを組むこととなったのだ。
内府は、
「トビッキリファミリーが勢力を拡大しています。そろそろなにか手を打ったほうがいいのでは」
と提案した。
「ワシもその必要性を感じている」
首にかけたナプキンで口もとを拭き拭きしつつドンは立ち上がる。
「健康というのは、不健康になって、はじめてそのありがたみがわかる。だから、市民が根底から健康になるというのは、われわれの存亡にじつはかかわる。絶倫もので、元気になり、秘事に精進しすぎて、体調を崩す。そんなときに、われわれが青汁やサプリメントを差し出す。体調がよくなった人間には、絶倫ものをまた提供する。突き落とすのもわれわれで、手をさしのべるのもわれわれなのだ。
水というのはある意味完結している。これをもって健康をめざす人間はもう秘事にもどってこないかもしれない……たしかに手を打つべきだな」
ドンはソファーのほうに移動した。そしてぼくに「そばに来るように」という仕種をしてくる。案の定耳打ちであった。
「この一件は全面的にG=Mに任せる」
「あっ、はい。わかりました」
「先代のG=Mは、船倉くんのことを自分以上に素質があるといってたぞ」
ドンはまたぞろテーブルにもどる。そして二郎さんにマカロニグラタンのおかわりをする。
「みんなも、おかわりあるぞ。あっ、ちがうちがう。いいかい、グラタンが熱かったら、こうするのだよ、内府」
「おお、見事なほぐほぐですな。ドン」




