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      その二


 休憩室で湯涼みしていると、


「先に来て、すみれちゃんと飲んでらしたら」


 と料亭の女将からまたぞろ電話がかかってきた。約束の時間より早いが仕方ない。ぼくはコミュニティーバスに乗った。


 すみれクンは料亭の中庭で先月仕込んだキャンディー隊の振付を練習していた。


 遠目でも改善しなくてはならない〝恥ずかしがりやさん〟の雰囲気が感じられた。開脚のさいにはとくにである。


 専属コーチのわたくし船倉たまきは、やんわりそのことに注意を入れる。やってる感を出すためである。


「ところでどうだった? しゃぶしゃぶはひとりで食べたかい?」


「いいえ。ものすごく恥ずかしくて、和貴子さんに手を引いてもらうまで、店のなかにすら入れませんでした」


「そっかぁ――まあ、ちょっとハードルが高すぎたかもしれないな」


「でもわたし、一生懸命がんばるんで、これからも、もっともっと、すごい恥ずかしい課題をあたえてください、コーチ」


 すみれクンはドンの遠縁にあたる娘である。


 内府の話によると、極度の恥ずかしがりやさんだった娘を心配したすみれクンのお母さまが、ドンに直接相談したとのことだ。


 ぼくが恥ずかしがりや改善の専属コーチとして任命されたのは、映画監督の三原さんがドンに推薦したという説と、タキシード姿で連日おしるこ屋に通っていた実績を幕臣たちが過剰評価したという説と二説ある。


 ちなみにぼくはタキシードだけでなく、モーニングや羽織袴でおしるこ屋に出向いたこともあるのだ。


 タキシードや羽織袴を連日着ていたのは、あのドラマが流行っていた年だったから、三年ほどまえである。


 義姉の買い物に付き合って、たまたま帰りにそのおしるこ屋に寄ったぼくは、そこで家業のお手伝いをしていた色が白くてむちむち気味の高橋美幸ちゃんという子に一目惚れをしてしまった。それで連日おしるこを食べることとあいなったのである。


 しかしタキシードだとか羽織袴だとかという身だしなみは、幕臣の誰かが評価しているような偉大なる鈍感さがもたらしたわけではない。


 義姉のつぐみさんの助言をただ単にそのまま素直に受け入れただけなのである。ミユキちゃんにはけっこういい縁談が二つ三つあるらしいと界隈できいてきた義姉は、


「目には目を。羽織袴には羽織袴を! はい、たまきくん」


 と祖父の遺品を引っぱり出してきたのだ。


 何ヶ月かまえにおこなわれた誕生パーティーのさい、すみれクンは、


「きのうで二十二歳になりましたけど、まだわたしは、男を知りません」


 といつものように公言していた。


 そのとき一瞬、当時やはり二十二歳だった色の白いミユキちゃんのことを想い出しはした。それでもこの二年ほどは、蔵間鉄山《くらまてつざん》の小説にぼくは入れあげているので、いつまでも、うじうじかんがえたりはしなかったのである。乗り越えているのである。


 鯨の間のとなりの槇の間では〈シエスタ商事〉の佐分利さんと笠さんがもう一杯やっていた。いちおうあいさつする。


 ふたりは知り合いの結婚式の帰りにこちらに寄ったようだ。


「おまえンとこのチャーコちゃん、もうそろそろだろ」


「うちのは、まだはやいよ」


 などと語り合っていた。


 女将の和貴子さんが、


「おビールお持ちしましょうか」


 と槇の間に顔を出す。


 この女将さんの素性はいまだ謎である。ぼくの目からみると、年齢は三十五、六、あの色気を考慮しても、せいぜい四十くらいにしかみえない。


 しかし山城さんが断言するには、


「いやぁ、もっと歳はいっちゃってますよぉ。だって船倉さん、あの和服の着こなしですよぉ」


 とのことらしい。ちなみに叔父にあたる森中市長は、


「アイツは、わたしの好きな、栗原小巻のことも、歳がいっちゃってるといっている。船倉さん、拓也の意見を真に受けてはいけない! わたしはねぇ、栗原小巻が一番好き。そして二番はねぇ、佐久間良子だ!」


 といっているのである。


 酒にまつわるスキャンダルと栗原小巻にからんだ予算編成で何度も失脚しそうになったことがある森中市長は、ドンの助言で最近はファミリーの息のかかったこの〈高まつ〉でお行儀よく飲んでいるようである。


 たぶん見張り役のようなこともドンにたのまれている和貴子さんは、


「きょうのお昼も市長さんみえたんですけど、『この夏、わたしは、お盆休みを返上して、得意の話法をもって、パフォーマンスする!』って、息巻いててよ」


 としゃぶしゃぶの用意をしながらも心配していた。


「そうですか……あっ」


 もしかしたら明日の秘密会議は、森中市長のこの思い込みにかんしてのものなのかもしれない。


 しゃぶしゃぶを半分くらい食べたころに、


「いやぁ、この猛暑のなか、ずっとあのゼツリンフィーバーマンの衣装着てたんで、バテバテですよぉ」


 と山城さんが鯨の間に入ってきた。さっそく先のことを伝える。


「でも叔父さん、ふだんろくな仕事してないんだから、夏休みなしでも、いいんじゃないですか」


 甥っ子は無関心であった。それよりもすみれクンの身なりに注目している。


 今夜すみれクンが着ているお召し物は、専属コーチであるわたくし船倉たまきが、すみれクンの要望にお応えするために幕臣たちに執拗に陳情して用意したものである。


 向上心のある当の教え子クンは、


「これがコーチにとってのむらむらする服装なんですか?」


 と最近熱心に研究しているむらむら方面の確認をまたぞろ取ってきた。


 とはいえ、こんにちではあまり見かけなくなった旧式の体操着というのは、ある程度の年齢になると、いわゆるむらむらうんぬんは超越してしまっているようである。もはや神々しいのだ。


「だからひんぱんに、こうべを垂れてるんですね。わたし、ブルマのこのぴちぴちの感じをガン見してるんだと思ってました」


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