19 隠し間の理(ことわり)
不自然な間取りには、理由がある。
そして、その理由は決して穏やかなものではない。
一枚の図が示したのは、隠された空間と――人の思惑だった。
以前、辰吉に見せた指図に、朱が入っている。
「これは、『桝屋』の?」
鏡之介が頷くと、信之助は真剣にそれを見つめ、
「あちこちに、妙なところがありますね」
と、つぶやいた。
「客が入れるのは、ここまでだ」
と、鏡之介が指した箇所は、店の奥行きの半分ほどのところ。
「そこから先は、納戸なんだろうが……」
鏡之介の言いたいことを、信之助が察した。
「少し広すぎる気もします」
「ああ。それに、この納戸、出入りするのは与八ひとり。しかも、いちいちご丁寧に鍵をかけている」
つまり、中を誰にも見られたくないということだ。そんなことを考えている時、水絵は朱で書き加えられた別のところに、違和感を感じた。
「鏡之介さん、ここはなんなんですか?」
壁と壁の間に、わずかな隙間がある。
すると、鏡之介はにやりと笑った。
「いいところに目をつけるな。これは、いわば隠し部屋だな。と言っても、人ひとりなんとか入れるくらいの余地しかねえがな」
「何のために?」
尋ねる信之助の声が、わずかに震えている。
「多分、信之助さんが考えているとおりだ。納戸は……盗品の隠し場所だろうな。で、この隙間は……人を匿う場所だ」
信之助が息を呑むのが分かる。水絵も、指先の震えを止めるために、両手をぐっと握りしめた。
鏡之介だけがひとり、落ち着いた声で言う。
「という訳で、俺たちが出張るのはここまでだ。水絵、叔父上――宇田川孝之進殿に、取り次いでもらえるか?」
宇田川孝之進に鏡之介を引き合わせてから数日後、その日はやってきた。
寺子屋に鏡之介は姿を現さず、代わりにやってきたのはお琴だった。
「信之助さんが、今日、日本橋は大変な騒ぎになるから、眞性寺においでなさいって」
その言葉に、水絵は、ああ、今日なんだな……と思った。
同心である叔父が出役したのだから安心だと、頭では分かる。だが、鏡之介はここにいない。つまり、「桝屋」に出向いている。そう考えると、「桝屋」の裏の顔を知った時のように手が震える。だが――。
「水絵姉ちゃん、鏡之介先生は?」
という新吉の言葉が、水絵を我に返させた。
「今日は、お休みよ。のっぴきならない用事があるの」
「それで、このお姉ちゃんは?」
新吉が、お琴をじろじろと見る。ぶしつけな態度に不機嫌になるのでは、と水絵は心配したが、杞憂だった。
お琴は、にっこりと笑うと言ったのだ。
「わたしが、鏡之介先生の代わり。鏡之介先生みたいに、難しい算法は出来ないけど、そろばんは得意なのよ?」
「それなら、そろばんの場所、教えてあげる」
と、お琴の手を引いていったのは、るい。
「新しいそろばん、きれいでしょ? 『浅葱屋』の若旦那さんがくださったんですって」
などと、得意げに話している。お琴が珍しいのか、ほかの寺子達も周囲に集まり始めているが、お琴はひとりひとりにちゃんと声をかけてくれている。
それを見て、水絵は「わたしもぼやぼやしてちゃ駄目ね」と、自分に気合いを入れた。
捕り物は、一日で終わったらしい。
水絵は、その様子を瓦版と岡っ引きの春太の話から知った。
鏡之介の見立て通り、「桝屋」は盗人の隠れ家だった。
取り囲んだのは、孝之進とその同輩である同心二人と、春太をはじめとする岡っ引きと手先十数人。
与八をはじめとする悪党はあっけなくお縄になったのだが、場所が日本橋だったこと、本来の主であった「桝屋久兵衛」の遺体が、本所の店の床下から見つかったことで、一時、大騒ぎとなり、瓦版は飛ぶように売れたらしい。
そして――。
瓦版に書かれていないことは、春太が教えてくれた。
「鏡之介先生、たいしたもんだったぜ」
春太は楽しげに言ったが、水絵は胸がざわついて、途端に不機嫌になる。
「俺たちが出張るのはここまでだ、なんて言ってたくせに。捕り物にまで出張っちゃったのね」
「いや、違う違う。隠し部屋とか、納戸の様子とか、分かるのは鏡之介先生だけだろ? だから、孝之進さまがお願いしたんだよ。『鏡之介殿の身は、南町奉行所の名にかけて、お守りする』って言ってさ」
けど、そいつぁ、ご無用だったな……と、春太は言った。
「鏡之介さん、腕は立つものね」
春太はうんうんと頷きながら、まるで自分の手柄のように話す。
「脇差し持ってんのに、一度も抜かなかったんだぜ? 相手の刀、ひょいひょいとかわしているかと思ったら、いつの間にか鏡之介先生の手の中にあるんだ」
まるで、手妻みてぇだったな、という春太の言葉に、水絵は一年前のことを思い出していた。ならず者に襲われた水絵を助けてくれた時、相手の合口が、いつの間にか鏡之介の手の中にあったことを。
だが、その手柄話を聞いても、水絵は嬉しくなかった。確かに、鏡之介の腕は立つ。捕り物の場でも、命を失ったり、怪我をすることはないのかもしれない。
それでも――。
「危ないことは、しないでほしい」
水絵は、春太に聞こえないくらいの小さな声で、そうつぶやいていた。
捕り物の翌日、鏡之介は何事もなかったように寺子屋に現れ、「桝屋」の一件については、なにも言わなかった。辰吉はなにか察していたようだが、棟梁に口止めされているらしく、やはりなにも言わない。
だから、水絵もなにも訊かず、いつもと同じように寺子屋の仕事をしていた。
こうやって日常が戻り、「桝屋」のことも忘れていくのだろう……と、思っていた矢先、孝之進が寺子屋に姿を現した。
寺子達が帰った頃合いを見計らい、訪ねてきたらしい。
孝之進は、鏡之介の力添えに改めて感謝の言葉を述べた後、少しためらい、それから重々しく口を開いた。
「実は、あの与八という男なのだが……あれは、下っ端だ。やつが加わっているのは、かなり大きな悪党の一味とみている」
「親玉には、たどり着けていない……ということですね」
鏡之介が言うと、孝之進はさらに言いにくそうに付け加えた。
「与八だけのことでは済まないのだ」
その一言で、鏡之介の表情が変わった。
「与八だけのことでは済まない」
その意味を知るのは、まだ先のことになる。




