13 花嫁の色
似合うものを選ぶことには、慣れている。
けれど、誰かの願いに寄り添って選ぶことは、
少しだけ勇気がいる。
その日、水絵は――ひとつの「答え」と、ひとつの「思い出」に出会った。
その日、水絵が長屋に戻ると、巣鴨の「鳴門屋」の旦那、利助が待っていた。
「水絵、早いうちに、日本橋の店に行ってくれねえか?」
水絵の顔を見るなり、利助はそう言った。
「日本橋の『鳴門屋』さんにですか?」
「ああ。『花菱屋』のお嬢さんが、また着物を見立ててほしいそうだ。縁談が決まったらしくてな」
行きます! とすぐに言いそうになる自分を、水絵は抑えた。お琴に会えれば、「おむすび 美味しい 思い出」の謎は解けるかもしれないが、そんな理由で行くのは失礼だと思ったからだ。
「ありがたいお話ですけれど、普段着ならともかく、花嫁衣装なんて、わたしの手に余ります」
「そう言わずに、行ってくれよ。お嬢さん、水絵に何か話があるようだったし」
そこまで言われてしまえば、断ることは出来ない。
「分かりました。それでは……」
と、次の寺子屋の休日に行く約束をした。
そして、利助が帰った後、水絵は母に言った。
「おっかさん、聞きたいことがあるんだけど……」
「ありがとう、水絵さん」
顔を合わせるなり、お琴は水絵にそう言った。
「…ええと、何のことでしょう?」
水絵が聞き返すと、お琴はくすりと笑った。
「あの判じ物、解いてくれたの、水絵さんなんでしょう? 信之助さんったら、自分が解いたって言えばいいのに、馬鹿正直に、寺子屋の水絵さんの手柄だって……」
お琴はとても楽しそうにそれを言う。もともと、色白で切れ長の目の美しい人だったが、今日はいっそう輝いて見える。一つ年上とは思えないほど、大人っぽい表情を見せた。
信之助さんとの縁談がまとまった嬉しさを隠そうとしない様子に、「本当に、信之助さんのことが好きなんだな」と、水絵は思った。
「それでね、水絵さん、どちらがいいと思う?」
お琴が指し示したのは、衣桁に掛かった二枚の打ち掛け。一つは白無垢、もうひとつは黒地に御所車の色打ち掛け。
どちらも、贅を凝らした品であることは、贅沢なものを見慣れない水絵にも分かった。
「わたしは、こういう……」
言いかけて、水絵は口を閉じた。おそらく、お琴が望んでいることは、それではない。
「お琴さんは、どちらがお好きなんですか?」
すると、お琴は白無垢をうっとりと眺めながら言った。
「わたしはこちらが好き。小さい頃から、憧れていたの、白無垢の花嫁さん……でも」
少しだけお琴の表情が曇る。
「お父様は、色打ち掛けにしなさいって。鳴門屋の大旦那さんも、『花菱屋』さんの格なら、色打ち掛けだって」
そういうことか……と水絵は思った。
「わたしは、白無垢がいいと思いますよ。お琴さんは色白だし、細面のお顔立ちだから、白無垢のほうが映えると思います」
すると、お琴の表情がぱっと輝いた。
「やっぱり、水絵さんは頼りになるわ。お母様も白無垢がいいと言っているし、なんとか、お父様たちにわかっていただくわ」
「それなら、『浅葱屋』の若旦那さんにも味方になっていただいたらいいんじゃないでしょうか?」
水絵の言葉に、お琴の頬が桜色に染まる。
「あ、あら、そうかしら。でも、信之助さんが色打ち掛けがいいって言ったら、どうしましょう」
「大丈夫ですよ。『浅葱屋』の若旦那さんは、落ち着いたものをお好みですから」
母から聞いておいてよかったと思いながら、そう言った。
「そうね、どうしようもなくなったら、お願いするわ」
お琴は白無垢を見つめながら言った。きっと、これを着て信之助の隣に並ぶ自分を思い描いているのだな、と水絵は察した。
「あ、それから、小紋もひとつ、選んでくれる?」
「ええ、もちろん」
日本橋の「鳴門屋」は、巣鴨の店より大店なので、反物も数も比べものにならないくらい多い。
その中から水絵が選んだのは――。
薄紅の地に、飛び柄の草花。
今まで、水絵が選んだものの中では、一番色が薄く、柄も幾分派手だった。
それを感じたのか、お琴も戸惑った顔をしている。
「……少し、明るすぎない?」
「これくらいがちょうどいいんですけど……もし、お嫌いなら別のものを探します」
すると、お琴は首を横に振った。
「好きよ。とてもきれいだと思う。でも……ちょっと派手かなって……」
「お好きなら、これにしましょう。きっとお似合いです」
水絵の声は自信に満ちていたから、お琴も笑顔で頷いた。
そして、ちょっといたずらっ子のような笑顔で聞いてきた。
「ねえ、あの『おむすび 美味しい 思い出』の意味、知りたくない?」
「知りたいです!」
とっさに答えてしまって、水絵は慌てて口を押さえた。
その様子に、お琴がくすくすと笑う。
「……すみません。差し障りがなければ、教えてください」
水絵の言葉に、お琴はもう一度ふふっと笑い、
「実は、水絵さんに話したくて話したくて、仕方なかったのよ」
と、前置きしてから、語り始めた。
「あの判じ絵は『神田祭』だったでしょ? あれはね、十年前の神田祭のことなの」
「十年前というと、お琴さんは……」
「わたしは八歳、信之助さんは二十二歳ね」
神田祭の時、酒屋は大忙しだ。当然、両親は子どもにかまってなどいられない。けれど、子どもは祭りに行きたがる。
「わたしは女中と一緒に祭りを見ていたのよ。でも、人出はすごいし、いろいろ気になるものはあるし……で、お決まりの迷子」
大騒ぎをすれば、誰かが気がついてくれると分かってはいた。けれど、それは出来なかった。子供心にも、「花菱屋の恥になる」と思ってしまったからだ。
「とにかく、自分でなんとかしようとして、あっちこっち歩き回ったんだけど、お祭りの時って風景が変わるから、もう右も左も分からなくなっちゃって。おろしたての下駄を履いていたせいで足も痛くなるし、お腹はすくし……」
それでも泣かなかったのよ、と言うお琴に、水絵はやはり大店のお嬢さんは違うな、と思った。
「わたしなら、とっくに大泣きしてます」
すると、お琴はちょっと照れた顔で「まあ、しまいには泣いてしまったんだけど」と、言ってから、話を続けた。
途方に暮れたお琴の耳に、低く落ち着いた声が聞こえてきた。
「『花菱屋』のお嬢さんですね」
「おむすび 美味しい 思い出」――
それはただの謎ではなく、
十年越しにほどかれる、小さな約束のかたちだった。




