1 縁談一件、持ち込まる
色恋沙汰は苦手だ――と、当人たちは言う。
だが世の中というものは、そういう者に限って巻き込まれるらしい。
今回の相談は、若旦那の縁談。
さて、これはただの祝い話で済むのかどうか。
眞性寺の門を入ると、水絵はしだれ桜を見上げた。花の名残はなく、青々とした葉が茂っている。
その姿も、また美しいな、と水絵は思った。
昨日まで降り続いていた雨は止み、今日は空が明るい。
水絵は、着物の裾に目をやった。気をつけて歩いてきたつもりだが、思っていた以上に道はぬかるんでいた。
今日初めて着た灰桜色の単衣の裾は、少しだけ泥汚れがついてしまったが……。まだ、触らない方がいいだろう。家に帰る頃には乾くから、その時はらえばいい。
水絵は、それでも裾を気にしながら、本堂に向かった。
手習いを終えた寺子たちが、皆帰った後、師匠仲間の賢木鏡之介がふっとひとつため息を吐いた。
「お疲れのようですね」
声をかけると、鏡之介は苦笑した。
「長雨もうっとうしいが、たまに晴れると、寺子たちの落ち着きがなくなる――困ったもんだ」
本気で困った口調ではなかったが、その気持ちは水絵にも分かった。
「そうですね。たまの晴れ間だから、遊びたくてしょうがないんでしょう」
外に出て遊びたがる寺子たちを、机の前に留まらせておくのも師匠の仕事とは言え、なかなか疲れる。
それでも、春先からの「猫又騒動」の大変さを思えば、ずっと楽なのだが。
そんなことを考えながら、ふたりで後片付けをしていた時――。
「ごめんください」
と、声がかかった。
「あら、花吉さん」
寺子の千代の兄、花吉だった。
花吉を本堂に招き入れながら、水絵は礼を言う。
「この前は、猫の絵、ありがとうございました」
「あの絵のおかげで、助かった。礼を言う」
奥から出てきた鏡之介も、頭を下げる。
花吉は、とんでもないというふうに手を振った。
「いえいえ。こちらこそ、描かせていただけて、ありがたかったです。あの草双紙は、千代もとても喜んで読んでいましたし」
などと、三人は、ひととおり「猫又騒動」についての会話を交わしたが、ふと、花吉が真顔になった。
「実は、おふたりにちょっとお知恵を借りたいのですが……」
鏡之介と水絵は、一瞬顔を見合わせたが、すぐに鏡之介が言った。
「俺たちに出来ることなら……まず、話を聞かせてくれ」
いつものように「俺たち」とひとくくりにされたことに、水絵は引っかかりを憶えたが、あえて文句は言わなかった。
花吉はほっとしたようで、話を続けた。
「実は……兄のことで……」
「兄というと『浅葱屋』の若旦那のことか?」
鏡之介の問いに、花吉は頷く。
「……めったな人には聞けない話なんで」
確かに、そうだな……と水絵は思った。
花吉は、今は水絵と同じ長屋に住む夜鷹蕎麦屋の弥一の孫――千代の兄として暮らしているが、本当は『浅葱屋』の花板をしていた次男だった。
ある事情から、『浅葱屋』を出て、今は、花吉と名を変え、長屋で暮らしている。
鏡之介と水絵はその一件に関わっていたから、数少ない事情を知る者なのだが……。
「ああ、でも、わたしたちより、祐光先生にお願いした方がいいかもしれませんね」
水絵自身はまだ十七歳。人に知恵を貸すほどの世間のことをよく知っているわけではない。鏡之介は齢三十になるが、世間離れしているところがあるから、とんでもないことを言い出しそうだ。
祐光師なら、僧侶という立場から、まっとうなことを言ってくれそうだと思ったのだが、花吉は、ひどく気まずそうな顔をした。
「祐光先生には、ちょっと言いづらいことなんです。その……色恋沙汰なもんで」
意外な言葉に、鏡之介と水絵は、また顔を見合わせてしまう。
鏡之介は、ひとつ咳払いをすると、花吉以上に気まずそうな顔で言った。
「そいつは、俺たちの手にあまるな。色恋沙汰にはとんと縁がねえ」
今日二度目なので、さすがに水絵の気に障った。
「なんで『俺たち』って言うんですか? わたしと鏡之介さんは違うんですから、ひとくくりにしないでください」
「そりゃ、悪かったな。水絵は色恋に通じているらしい。花吉さん、困りごとは水絵に……」
「そうは言ってません!」
明らかにからかわれているのは分かったが、このまま話を続けられては困る。
「……まあ、確かに、わたしも縁はありません」
だが、花吉はその言葉に首をかしげた。
「けど、水絵さん、けっこうな数の付け文、もらってますよね?」
「え!?」
と声を上げたのは鏡之介。
「なんで、花吉さんが知ってるんですか?」
ほぼ同時に言った水絵の言葉に、鏡之介がさらに驚く。
「本当にもらってるのか?」
「……まあ、少しは……」
と、ごまかそうとしたのに、
「千代が言付かっただけでも三通あるって聞きました。新吉はもっとだと言ってましたし、直接手渡されたものもあるでしょうから……」
「両手にあまるってわけか……」
と、鏡之介がつぶやく。
「もう! わたしのことなんて、どうでもいいでしょう? 今は、花吉さんのお兄さんの話なんですから」
ちょっと声を張り上げると、花吉も表情を改めた。
「実は……兄に、縁談が持ち上がっていまして」
縁談というのは、めでたい話のはずなのですが――。
どうやら今回も、そう単純にはいかないようです。
次回、若旦那の事情と、その裏にある思惑が少しずつ明らかになります。




