ぶぶ漬け合戦
『善は急げ』という。
その後私たちは、即座に計画を行動へ移した。
「本当によろしいの?」
「かまいません。さ、お早く」
「でも私、こちらにマルグリットと残りたい……」
「いいから早く!」
「本当によかったのかい? フロイライン」
「拾った猫で厄介ごとになるなら、
『元いた場所に返してきなさい』
だ」
「元いた場所は私たちが占拠しているんだけどね」
アンヌ=マリーの『考え』。
それは見てのとおり、
『エレオノーラさまをハインリヒの元へ帰らせてしまう』
というものだ。
そのため私はアデライド殿下が騒ぎ出すまえにお部屋へお邪魔し、
捕虜にしていた敵兵5名を警護に付けて送り出したところ。
モミアゲには事後報告でいいかと思ったが、たまたま部屋に居合わせていた。
まぁ追認強制なのには変わりないか。
「しかし、今は使い道のないカードだとしても、だ。
のちのち状況が変われば必要になったかもしれないよ?」
「そうならんようにするしかない、ってことだ」
確かにモミアゲの言うとおり。
追い詰められたとき、ハインリヒ相手に人質として機能するか。
それは怪しいが、
場合によっては、今いるフルール軍のように。
また別の第三者の力が必要になるかもしれない。
そうなるとまた、政治的な交渉、外交が始まるわけだが。
ここで必要なのが、
『コネ、顔や名前が利く』
『一国相手に話を持ち込めるだけの格や身分がある』
ことだ。
その場合、両殿下のお立場は不敬ながら、せいぜい
『反乱を起こしている庶子』
だ。
諸外国へ繋げる顔はなく、
また、話し掛けても軽んじられる存在でしかない。
そこに、長年皇后を務められたエレオノーラさまの名義があれば。
白十字王国として話を持っていけるだけの正統性がある。
少なくとも門前払いは防げるってことだ。
これは市民にて対しても言えるだろう。
『正当性はあっても正統性がない』
スローガンのように口酸っぱく言ってきたが。
実際ハインリヒが虐殺王で、我々がそれを打ち倒したとして。
それでも喉元を過ぎれば、
『正統性』
を疑問視してくる保守派な市民はいるだろう。
それを解決してくださるのも、皇太后陛下という存在だ。
『力で奪い取った』
のではなく、
『正統な存在から正統性のバトンを譲り受けた』。
このストーリーがあるかないかで、新政権の支持は大きく変わる。
支持率というか、支持の深さが。
「騎士って稼業はいつだって、
『起きてしまった戦いに、あとから辻褄を合わせる』
のが仕事だろうが。
黙ってがんばれ」
「仕方ないなぁ」
奏上官トレッリは緊張していた。
『それならいつものことじゃないか』
とおっしゃるかもしれない。
だが少し違うのだ。
普段は
『こんな報告をしたら、ハインリヒは怒るんじゃないか』
そんな恐怖から来る怯えであった。
しかし今回は、
「ふっ、ふっ」
思わず息が漏れるほどの早歩きで廊下を進む。
普段は宮殿の謁見の間に向かうところ、ここ最近は要塞の城主の間。
通い慣れていない、かつ迷子になりやすい道でもズンズン進む。
それだけ気持ちが前向きというか、
より正確には
『前へ突っ込んでいる』
様子だ。
それだけ明るいニュースが舞い込んだのか。
そうとも言えるのだろう。
が、
トレッリ自身に聞いたら、必ずしも『そうだ』とは答えないだろう。
それだけ『いい』『悪い』以前に、
「申し上げます!」
「またオマエか」
「反乱軍側より、皇太后陛下が移送されてまいりました!」
「は?」
あり得ないことが起きたのだから。
部屋へ入るなり呆れた声を浴びせられても、意に介さないほどに。
普段なら
『そんなことを言ったって、これが仕事なのだから仕方ない』
『聞くのが王の仕事だろう』
『その王になりたかったんだろうが』
とグチグチ考えるところ、塗り潰されてしまうほどに。
だが青天の霹靂なれど、恵みの雨を伴うことに間違いはない。
囚われの身となり、安否を心配されていた母が帰ってくるのだから。
ハインリヒも人の子である。
特段憎む理由もなければ、人並みに母を愛している。
敵の奇襲によって御殿が制圧され、
『母が敵の手に落ちた』
との報せがあったとき、奏上された場では冷静ぶっていたが。
のちにきっちり
『防衛責任者数人の首が飛んだ』
という噂をトレッリは耳に挟んでいる。
物理的意味か人事的意味かはあえて確認していない。
その母親が無事帰ってきたのだ。
これがどれだけ明るいニュースか。
もちろんハインリヒのイラ立ちの原因が減る、
つまり機嫌が改善することはトレッリにとって何よりうれしい。
死活問題である。
比喩ではなく、
『機嫌が悪いときに最悪の報告をしたら、勢いで死刑にされる』
とかがあり得るので、本当に生き死にに関わる。
そんなあくまで小市民の悲哀だけでなく。
『どんな無理難題な交渉をふっ掛けられるか』
『万が一逆転して反乱軍を追い詰めた際、人質にされるだろう』
といった懸念点が、まるっと解決したのだ。
陣営全体、戦争の流れとしても、これほどの朗報はない。
ではなぜ?
なぜトレッリは緊張していたのだろう?
『いいニュースかと聞かれたら、必ずしも肯定しない』
などという心理状態にあったのだろう?
『予想外の出来事だから、ハインリヒのアリアクションが予想できない』?
実は彼自身、今この瞬間までそう思っていた。
だが、
(違う)
彼は相手の顔を見て、答えを得た。
ハインリヒではない。
彼の真後ろから向かって右へ少しズレた位置に立つ、
シュトラッサー卿の渋面を見て。
(むしろ私は、分かっていたのだ。心のどこかで予測できていたのだ)
そして、シュトラッサー卿のあの顔。
彼と同じ考えにあることを証明している。
誰より、なんなら本人よりハインリヒの思考を理解している男が。
それが、トレッリの予想に確証を与えてしまった。
(私は恐れていたのだ。万が一こうなることを。
いや、万が一ではなく、高い確度でなると予感していたのだ)
左のこめかみを、脂汗がひと筋落ちる。
見えているわけではあるまいが、それが合図かのようにハインリヒは、
「追い返せ」




