鵜の目漁夫の目
『ブルーメ・ガトーの戦い』における神聖鉄血帝国軍の敗退。
彼らはこれによりマルグリット・シュヴィーツを失い、撤退することになる。
言い換えれば
『白十字王国の支配者となる政権を樹立する』
覇権争いに敗れ去ったということでもある。
この最右翼と見られた強国の退場に、
直接帝国を打ち破った『西方・ヴァリア=フルール王国連合』は沸き立っていた。
難敵を打ち破ったことは自信と安心に繋がる。
このあとはウイニング・ラン、とまでは言わないが。
『いくらなんでも、今回以上に苦しいことは待ってはいないだろう』
などと、運動部の生徒が引退するときに言われるようなことは実感している。
また、侵略者たる帝国を撃退したことが、彼らにアイデンティティを与えている。
現在『白十字王国反乱分子』とも言うべき彼ら。
曲がりなりにも国王を戴く現政権に対し、
『正当性』
で勝っても
『正統性』
では劣る。
その『正当性』だって、平気でテロリズムの種になるのが人間である。
『自分たちは正義の名のもとに、自分勝手な戦争を起こしてはいないか』
『素直に従っていれば平和だったものを、ただ不要で面倒な混乱を生んではいないか』
などと迷いやすいものだ。
そこを
『国民のためになることをしている手応え』
が補強してくれる。
ということで連合軍は大興奮な一方、
この事態を静かに見つめている勢力がいる。
もちろん連合軍ではないサイド、
白十字王国王党派、
ハインリヒ王率いる正規軍である。
「どうなんだ、シュト爺」
そのトップ、ハインリヒは国王執務室にて窓辺に立っている。
視線は背後のシュトラッサー卿には向けず、窓の外。
遠くにノエブリンガーやブルーメ・ガトーがある。
直接は見えないが、黒い煙の筋が立ち昇っているのは分かる。
文字とおりいまだ冷めやらぬ、激戦の爪痕である。
「帝国軍はすでに占領した白十字領へ守備隊を配置しております。
が、どうやら『鉄鹿』率いる本隊は、本当に帝国領まで引きあげる勢いです」
「どういう風の吹き回しだ」
ハインリヒのつぶやきに、シュトラッサーは半歩退がる。
「ペンペン草も生えなくなるまで、根こそぎ奪わねぇと満足しねぇ連中だ。
で、アデライドたちは不退転で来ている」
『いつもより少しだけ低い声で、抑えたボリュームで入る』
ここから段々怒りのボルテージが上がっていく。
そんな予兆を感じたのだ。
なんなら
『その余地を残しておくため、意図的に控えめなスタートを切った』
そう思えるほどだ。
実際、そこまで冷静に計算できるのなら。
アンガーマネジメントのひとつもしてほしいところだが。
「だからオレが手を下すまでもなく、ウロボロスのように。
バカどもで勝手に食い合ってくたばるはずだった。
はずだったのに!」
ウロボロスは自らの尾を食い1匹で完結した円環なので、例えとして不適切なのだが。
だがシュトラッサーもいちいちツッコまない。
この場には、
いや、ベルノ城には、
いやいや、王都ベルノには、
この状況のハインリヒ相手に指摘できる人物などいなかっただろう。
というより、
「それが! どうして今回にかぎってあっさり撤退する!!
ナメてんのか!!」
口を挟むタイミングがない。
「なんでこうなる! 読みは間違ってなかっただろうが!
オレのときにかぎってだけ前提変えてきやがって!
なんだ!?
オレの思考を盗み見て、外すことだけを最優先に世界が回ってんのか!?」
ハインリヒの強烈な前蹴りが壁に炸裂。
窓ガラスが揺れる。
本人も本気でそう思ってはいるまいが、字面だけ見れば妄想患者の発言である。
もし侍女のひとりもいれば、
『ついに国王はストレスで気が触れた』
とビビり散らし、物言わず逃げ出すだろう。
だがシュトラッサーは一流の傅役。
ハインリヒ対応の第一人者、プロフェッショナル。
「落ち着いてください、陛下」
本人にクールダウンする気配がないなら、彼から流れを切りに掛かる。
「確かに想定外の早さではありました。
もっと損耗してもらう予定だったことも事実です。
ですが、悪いことばかりではありません」
「なんだと?」
「まず、
『そこそこ損耗した両者が不毛さを感じ、慮外の一時共闘』
このシナリオは避けられました。
こうなっては結局、大軍に攻められてしまいますから。
我々が戦わずして帝国軍数万が撤退する。
高みの見物を決め込んだ作戦として、成功しております」
「ふむ」
「また、残ったのが反乱軍・フルール連合なのも都合がいい。
少なくとも脅威となる火薬兵器なるものを使う側ではありません。
また、それらと当たったことを考えれば、
より損耗の激しい方が残ったと見ていいでしょう。
これもまた、漁夫の利狙いとしてはじゅうぶんなお膳立てです」
シュトラッサーは人差し指を立てる。
言葉でも動きでも念押しを入れるように。
「比してこちらは、王国中からかき集めた無傷の白十字騎士団。
天下の大都市大要塞のベルノ。
遠征軍と違って長期戦にも耐え得る潤沢な物資があります。
多少の誤差はあれど、陛下の策により圧倒的有利を築き上げた事実、揺るぎません」
するとハインリヒは
「ふん。よかろう」
鼻で笑うように答えた。
シュトラッサーの言を信じたというより、
『怒っても楽観視しても敵が減るわけではないので、もうそれでいい』
というような投げやりさが滲んでいる。
しかしそれでも、一応壁を蹴るほどの怒りは鎮まっている。
それだけでシュトラッサーの弁論は目的を達している。
「陛下。様子を見ましょう。
連中が数日で寄せてくるなら、城攻めや街戦でもっと消耗してもらえばいい。
来ないのであれば疲労がピーク、こちらから打って出る。
相手の出方に合わせて、あと出しじゃんけんし放題の立ち場です」
「なるほどな」
相変わらずハインリヒの返事は気のない感じではあるが、
窓の外をじっと見つめる背中。
そこにシュトラッサーは、なんらかの力が籠るのを見てとった。
念とも言える。
「行くも迎えるも自由自在、か。
だとよ。
カラダを洗ってオレのもとへ来るか、首を洗って待っているか。
ふたつにひとつだぞフレデリカ」
フレデリカ。
アデライドのファーストネーム。
普段ハインリヒは彼女を呼称するとき、ジゼルにしろソフィーにしろ気分だが、
これだけは決して使ってこなかった。
おそらく忌まわしき兄フリードリヒを想起させるからだろう。
シュトラッサーはそう推測する。
しかしハインリヒは今、フレデリカと呼んだ。
そこに込めた意味も、シュトラッサーには推察できる。
すでに屈服させた相手の名に寄せる意味を。




