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マルグリットの憂鬱

 ブルーメ・ガトーの北。

 南から神聖鉄血帝国の陣を見た場合、最奥になる位置。

 バルカンカーと呼ばれる区画に、小規模な陣がある。


 厳密には広大な帝国軍の陣の一部であるため、


『小規模な陣』


 という表現は不適切であるが。



 しかし陣中において、


 他の部隊が密集しているところから、やや切り離された印象を受ける距離感。

 味方がいる内側に向けて、幾重(いくえ)にも敷設された陣柵。


 明らかに特別で、豪奢で、護られていて、



 隔離されている。



 そんな、


『大切なものなので金庫にしまっておく』


 というより


『扱いが面倒なので押し入れの奥に封印しておく』


 かのような扱いの陣地の、さらに奥。


 もはや北から敵が現れた場合、逆に最前線になるような位置にある、


 ひと際大きな、

 かつ、清らかなシルクに金糸銀糸の鮮やかな刺繍。


 実用性皆無とは言わないが、

 明らか戦場においては、見栄え優先の感が勝るテントにて。



「はぁ」



 木組みこそ簡素ながら、マットレスは上等なベッドの上。

 寝そべり、頬杖をつくのは



 白十字王国第三王女

 マルグリット・クラウディア・ザーラ・ディートリント・シュヴィーツである。



「はぁ」


 2度目のため息。

 浮かない表情をしているのは、何も悪夢を見た寝起きだからではない。


「ひっ」


 今度は短い悲鳴。

 だがこれは彼女のものではない。

 側仕えをしている侍女のものだ。


 さっきから響いてくる、爆発音に反応しているのだろう。


 マルグリットが視線を向けると、


「あ、も、申し訳ありません!」


 慎みのなさを咎められたと思ったか。

 侍女は深々と頭を下げる。

 なんなら砲火の音より怯えてしまっている。


(そういう意味じゃないんだけどな)


 マルグリットからすれば、普通にそちらを見ただけ。

 なんなら勇気付けたかったくらいなのに。


 それが伝わらないのは、ひとえに自身の顔が暗いからだろう。

 造作の話ではなく、今の表情が。


「気にしないで」

「は、はい」

「怖いのはみんな一緒よ。私も恐ろしいわ」

「はい……」


 明るい声で言えたらよかったのだろう。

 それこそ周囲を勇気付けただろう。

 だが最大限努力して、それでも掠れた声しか出なかった。



 無理からんことではある。


 気の強いマルグリットは、アデライドほど『蝶よ花よ』とは扱われてこなかった。

 むしろ


『王国の女性としての求心力』

『“強い女性”の理想像』


 として宮中で扱われてきた。

 ケンカの多い兄たちのあいだにも臆せず割って入った。



 それでも戦場に出たことなどない。

 命を狙われたことなどない。

 結局は女性、姫殿下、妹として大切に扱われ、強い悪意に晒されたことはない。



 守られて生きてきたのだ。



 それがこのたび、父王が崩御したと思えば、


 すぐそばで次兄が長兄を殺し、自らも命を狙われる羽目になった。

 わずかな供回りで急遽逃亡することになった。

 逃げた先にも追討軍を差し向けられ、ついには地縁なき敵国への亡命に至った。


 マルグリットにとって未曾有の、

 かつ試練というには過酷な事態、『天からの仕打ち』の連続であった。


 今や彼女は戦場に、帝国軍の錦の御旗として連れてこられている。

 その途上、祖国の民が犠牲になるところをいくつも見ている。


 戦火があれば殺され、

 抵抗しなければ搾取される。


 命を、尊厳を、(かて)を、過去を、未来を


 奪い去られた残骸たちのなかを、

 貴人の馬車に乗って進んだ。

 それは豪奢な檻だった。



 そして今また、『味方』がアデライド、ドミニクを擁する『敵』と戦っている。


 マルグリットには休まる暇のない、追い詰められる日々であった。


 単なる心身の疲労だけではない。


アデライド(フレデリカ)……」

「えっ」

「なんでもないわ」


 複数の、複雑な要因が絡み合って、マルグリットを暗くしている。



 聞けばアデライドとドミニクは、フルール王国の後ろ盾こそあるものの、

 西方方面軍も味方に引き入れ、ここまで来たという。


 なおかつ道中の同胞との(いくさ)では被害を抑制し、

 フルール王国ともうまく渡りをつけて、市民の安寧を保っている。



(私とは大違いだわ。


 白十字の味方はいない、帝国のみの軍勢。

 しかも祖国の解放を(うた)いながら、より深刻な帝国の支配を止められない。


 どころかその大義名分になって、外患誘致の手先となる始末よ)



「フレデリカ……」


 また出たつぶやきを、今度は侍女たちもスルーした。

 踏み込まない方がいいと判断したのだろう。

 正解か誤解かで言えば、正解だろう。



(実質の旗印は、ドミニクではなくあなたと聞くわ。


 あなたと私、性格も雰囲気も育てられ方も違うのは知っている。


 でも、どうしてここまでの差が出たというの?)



 他人が踏み込んでいいような、解決できるような劣等感ではないし、


「ふう」

「マルグリットさま。ハチミツ湯でもお淹れいたしましょうか」

「いえ、大丈夫よ」


 侍女が悪いのではない。

 それはマルグリットも分かっている。


 しかし、



(きっと、フューガ・ミュラー。

 彼女の存在がある。


 今ならお父さまが宮中の者ではなく、彼女をあの子たちの傅役に据えた理由、

 強引なまでに熱心だった理由が分かるわ)



 彼女も第三王女なりに、傅役や派閥があった。


 だがそれは兄二人に目ぼしい人物を優先された残りであり、

 その後、両派閥のどちらにも身を寄せられなかった人々、

 あるいは参加する気がなかった人々でもある。


 人材としての能力も劣るだろうし、

 信念を持って動いたり、マルグリットの元に団結する気概もない。


 それを見た前王は父として、出涸らしの宮中より新進気鋭の騎士を登用したのだろう。



 その結果、支えられてここまでやってきたアデライドと、

 気の弱い侍従に囲まれて横になるしかない自身の明暗が分かれている。



 いっそマルグリットも庶子なら、心を砕いてもらえただろうか。

 世の中、いつだって一番苦しいのは中途半端な弱者である。



 そんなアデライドたちが、自身と対立し、白十字をめぐって戦っている。


 多くの兵士を、国民を、さらなる戦禍に巻き込んでいる。



(私がいるゆえに、帝国が戦争を起こしている。

 それを止める力は私にはない。


 そして、多くの仲間に支えられているのは、愛されているのはフレデリカとドミニク。

 私と彼女たち、どちらが王位に相応しいかは歴然よ。


 つまり、私は必要ない存在。

 勝ったとて、白十字の誰も幸せにならない存在。


 いるだけで戦争を招く存在)



 こういった、複雑に絡み合う思いがマルグリットを(さいな)む。

 傷付き腐食した心が、ひとつの膿を吐き出す。



(私さえいなければ、私が生きていなければ……)



 何度も繰り返した思考が、今日もまた彼女の中で回転する。



(苦しい……! 誰か、誰か私を助けに来て! ここから、運命から解放して!)



 心の叫びは心の壁に阻まれ、外へ出ていかない。

 ひたすら反響する苦しみに、何度も何度も嬲られていると、


「あら?」


 侍女の抜けた声が滑り込む。


「どうかしたの?」


 マルグリットの低い声に、侍女は肩を跳ねさせる。

 だが聞かれて黙っているのもよくない。

 彼女はおずおずと答えた。


「いえ、いつの間にか、静かになったなぁ、と」


 確かに。

 さっきまで散々聞こえていた喚声、爆発音、悲鳴。

 それらが()()と静まっている。


「今日の戦いが終わったのかしら」


 マルグリットの声は、本人でも驚くほど乾いて無感情だった。


『どうせ明日も苦しみは解決しない』


 そんな諦観が含まれている。



 そこに、


 土を擦る、誰かが歩いてくる音がする。


 鎧の音も混じっているので騎士だろう。

 そりゃ戦場だから、そうそう一般人がいるべくもないのだが。


 だからなんだ。

 帝国の騎士が様子を見に来るのは毎日のことだ。

 特別な何かの訪れではあるまい。


 ここも諦観。

 とりあえず上半身を起こして、マルグリットが居住まいを正すと


「えっ」


 開かれたテントの入り口。

 外の日光とともに、


『誰か助けに来てくれ』と願った彼女のもとへ現れたのは、



「あなたは……」



「お久しゅうございます、マルグリット殿下。


 不肖フューガ・フォン・ミュラー、お迎えにあがりました」

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