第25話 映司の新スキル
門を背にして、映司と優菜は街道を歩き出した。
方角で言えば、来た道を戻る側だ。四日前、荷馬車に揺られて下ってきた道を、今度は自分の足で逆へ辿っていく。映司は〝風牙魔剣〟を背に、腰には水袋。優菜は肩に鞄という身軽さだった。
変化は、足元から来た。
道の脇の草の色が、歩くほどに変わっていく。根元まで灰色に抜けていたものに、いつからか緑が混じり、その緑がだんだんと濃くなっていった。
「あ、緑になってる」
優菜が屈んで、道端の草に指先で触れた。
線が引いてあるわけではない。ただ、歩いているうちに、気づけば色が戻っていた。
「ここから先は、汚染が来てないってことか」
この三日間、足元の草はぜんぶ灰色だった。井戸の水は戻っても、土の色までは戻らなかったのだ。
「……なんか、久しぶりに見た気がするね。ふつうの色の草」
しゃがんだままの優菜が、しみじみと言った。
やがて道は、あの朝の場所へ差し掛かる。
四日前の明け方、御者に降ろされた場所だ。あの時、顎で示された先には、灰色の平野と廃村があるだけだった。同じ方角に、今は家がある。風呂があって、井戸があって、門には梁が渡った。四日で随分と変わったものだ。
映司は歩調を変えずに、そこを通り過ぎていく。優菜も、何も言わなかった。
その少し先で、道の脇に木立が始まった。最初はまばらだった幹が、進むほどに数を増していく。
木陰が途切れなくなったあたりで、映司と優菜は街道を外れた。下草を踏み分けて、幹のあいだへ入っていく。梢が頭上でつながって、空が狭くなり、やがて葉に塞がれて見えなくなった。
森だ。
中へ入ると、下生えは思ったより厚かった。木漏れ日がまだらに落ちて、風が通るたび、頭上の葉がまとまった音を立てる。土の匂いも、村とは違った。乾いた埃の匂いではなく、湿っていて、濃い。
映司はまず、手近な草に触れてみた。
何も返ってこない。葉を撫でても、茎を握っても、〈遺失査定〉は黙ったままだった。
生きているものは、役目を終えていない──道理ではあるが、困った道理である。足元に食えるかもしれない草が海ほどあるのに、食えるのか、毒なのか、何も分からないのだ。
「……やっぱり、生きてるやつは読めないらしい」
名前と現物が、結びつかない。シャンプーの空ボトルが教えてくれたのは名前だけで、その名前の持ち主がどの草なのか、確かめる手立てがなかった。採るだけ採って、当てずっぽうで口に入れるわけにもいかない。
さて、どうしたものか。
腕を組みかけた、その時だった。
「映司くん。これ、いい匂いするよ」
少し先でしゃがんでいた優菜が、振り向いて手を差し出してきた。
小さな手のひらに、摘まれたばかりの草が載っている。
その直後、査定が走った。
流れ込んできた文字列の先頭に、聞き覚えのある名前があった。シャンプーの空ボトルが挙げていた、あの香草の名だ。
「……摘めばいいのか」
「え?」
「いや。優菜、それ当たりだ。シャンプーに使えるっぽい」
生えている草は読めないが、摘まれた草は、もう生きる役目を降りている。地面から離れたところで、査定の対象へ変わるのだ。
答えを出したのは、映司の理屈ではなく、優菜の指先。やっぱり、この幼馴染がいないとこの生活は成り立たないらしい。
そこからは、早かった。
優菜が摘み、映司が読む。外れなら戻し、当たりなら残す。読み終えた草は〈遺失回収〉で庫へ落としていくので、両手はずっと空いたままだ。
食える草が、まず三種類。噛むと辛みの立つもの、香りのいいもの。シャンプーやトリートメントの材料になる香草に、傷へ効くらしい薬草。名前だけ知っていた顔ぶれが、次々に現物で揃っていく。
食える、という査定が出るたび、腹の底が小さく鳴った。この胃には、今朝から白湯しか入っていないのだ。
そして、いくら読んでも出てこないものが、ひとつだけあった。
塩である。どの葉を摘んでも、しょっぱい草は生えていなかった。
「このあたりに塩はなさそうだな」
「ん~……まあ、森にあるイメージもないもんね。もうちょっと奥行ってみよ?」
映司と優菜はそんな言葉を交わしつつ、森の奥に入っていく。
それから暫く歩くと、二人は浅い沢に出た。
細い水が石の間を流れて、岸に石が転がっている。映司は屈んで、手のひらに収まる硬いひとつと、平たく割れたひとつを選って拾った。枝は沢の縁で拾う。まっすぐで、乾いていて、握りの太さが合うものを何本か。
石と枝を岸の平らな場所へ並べると、別々だった査定が束ねられた。進化先に、包丁。皿。鉢。箸。詠唱は口の中で転がして、まとめて一度で組み上げる。
白い光が引くと、岸の石の上に、刃物と食器が並んでいた。石の刃に枝の柄がついた包丁。浅い皿が二枚。鉢がひとつに、箸が二膳。
「わあ、お皿だ。凄い、ちゃんとお皿の形してる」
優菜が皿を一枚持ち上げて、縁に指を滑らせた。
「鉢はあと一個な。それと箸」
「お箸がなんだかんだ言って一番嬉しいかも」
「苦労してたもんな」
「うん。切れないし、摘まめないし、手も疲れるし」
優菜は困った顔で笑って、今できたばかりの箸を右手で操ってみせた。
さすがは優菜というか、箸の持ち方もお手本みたいな持ち方だ。
昨日、彼女は棒で肉を食べていた。映司は手で直掴み、そして白湯は鉢の回し飲みだ。それが今日からは、皿と箸。文明が、また一段戻ってくる。
できた道具も庫へ落とすと、指先が少し震えた。まとめて作ったぶんの代償らしい。歩けなくなるほどではなかった。
「……あとは、塩か」
「やっぱりここで見つけるのは無理そう?」
「ちょっと無理かな。木と石と草しかないし。塩はどっかから買うか、貰うかしないと無理だと思う」
買う相手も、貰う相手も、今のところ心当たりはない。宿題リストの一番上に、塩だけが残った。
柄にする枝をもう一本と思って沢の縁を辿ると、おかしな折れ方の枝が混じっていた。折れたというより、落とされた切り口だ。獣にしては妙だ。ただ、切り口は乾いて、灰色に古びていた。
(……まあ、いいか)
映司は別の枝を選び直して、沢を離れた。
戻る途中で、優菜が足を止める。
木立の切れ目に、背の高い草が群れて生えていた。茎がまっすぐで、腰の高さほどもある。
優菜が鼻を寄せた。
「これ、もしかしたら麻袋の材料と近いかも。匂いが似てる気がする」
「どれ」
言われて、映司も一本に鼻を寄せてみた。青臭さの奥に、乾いた縄へ似た匂いがある。
優菜がひと茎摘むと、査定が答えた。繊維の取れる草だ。あの麻袋と、同じ系統らしい。
布の前例なら、ある。麻袋から、手拭いを四枚ほど作ったのだ。
ただ、手拭いはもう足りていた。足りていないのは、別のものだ。
そう。映司の服である。同じシャツを、もう三日着ている。優菜が縫ってくれた一枚きり。映司の鞄は城なので、体操着も他の着替えもなかった。洗えば、乾くまで上裸だ。服こそ、作りたかった。
だが、服の作り方を映司は知らない。石と枝を並べれば包丁の形は査定が出してくれるのに、草をいくら積んだところで、シャツの形までは出てこなかった。
(設計図がないと、再構築はできないんだよな)
唸りかけたところで、視線が自分の胸元へ落ちた。
……設計図なら、ここにあるのではないだろうか。
袖も襟もボタンもあって、肩には縫い目まで通っている。この一枚と同じ物が、もう一枚あれば全て解決だ。
そう思うが早いか、頭の中に新しい詠唱の文句が落ちてきた。使い方ごと、手の中にある。
着たまま、胸のあたりへ手を当てて念じてみる。しかし……何も反応しなかった。光の立ち上がる気配がない。
頭の中の文句を、もう一度繰り返した。役目を、降りた物に。
着ているシャツは、今まさに役目の真っ最中である。
「……あ、これ着たままじゃ駄目なのか」
得心して、映司はボタンへ手を掛ける。
そこで、隣から小さく悲鳴が聞こえてきた。
「きゃっ」
「え?」
「な、なんで脱いでるの!?」
優菜が両手で目を覆っていた。覆いながら、指の隙間はしっかり開いている。
(いや、何で今更その反応なんだよ。俺、昨日上裸で飯食ってた上に、その後全部見てるじゃんか……)
喉まで出かかった正論を、心の中に留めた。
口に出せば、藪蛇どころの騒ぎではない。
「コピーするのに要るんだって。着てるやつは写せないらしい」
「コピー? どういうこと?」
「いいから見てろって」
言いながら脱いだシャツを、群生の脇の草地へ広げて置く。それから二人で草を刈り足して、シャツの隣へ束を積んだ。
着ていた時には黙っていた査定が、地面のシャツには口を開く。役目を降りた、ということらしい。
今度は、通る。
「役目を降りた物に、同じ形をもうひとつ──〈遺失複製〉」
白い光が、シャツと草の束とを包んだ。
束が解けて繊維になって、繊維が布へ織り上がり、布が地面のシャツと同じ形に畳まれていく。光が引くと、シャツが二枚、並んでいた。
もう一度繰り返すと、三枚になった。
そのたび、傍らの草の束が嵩を減らしていく。写すのはタダではなく、元と同じだけの材料を食うらしい。息も、一枚ごとに深くなった。三枚目では、指先の震えがはっきり出る。映司の魔力では、何十枚も、とはいかないようだ。
映司は元の一枚を拾って袖を通し、ボタンを留め直した。それから、できたばかりの三枚を草の上へ広げる。
「……あれ。これ、縫い目まで一緒だ」
「あ、ほんとだ。私が縫ったとこ」
隣へしゃがんだ優菜が、指で、三枚ぶんの針目を順になぞった。
肩のところに、同じ針目が通っていた。細かく揃った、あの針目。優菜の縫った一枚を写したのだから、当然といえば当然だ。彼女の仕事ごと、三枚に増えている。
「優菜のぶんも作るか? 体操着と制服しかないだろ」
「いいの? じゃあ、お願いするね」
型は同じシャツだから、丈は余るだろう。それでも、村での普段着や寝間着なら困らないはずだ。もう一山刈って、二枚写した。映司が三枚に、優菜が二枚。数の差は、持っている服の数の差である。
ところが、優菜はできあがった二枚を受け取らずに立っていた。
手を身体の前で揉み合わせて、こちらを向いたり、逸らしたり。頬が赤い。
「……まだ何かあるのか?」
訊くと、優菜はしばらく口ごもってから、意を決した様子で言った。
「その……下着も、お願いします」
「ああ、それは確かに」
ようやくその意図がわかった。
この異世界に、彼女の下着は修学旅行分しか存在しない。今日でもう四日目だ。映司の目につかないところでこっそり洗っていたようだが、それでも着回すには少ないだろう。
実のところ、それは映司も同じだった。替えなど一枚もない。ちょうど頼まれる前に、作ろうと思っていたところだ。ただ、ひとつ問題があった。
「作れなくはないんだけど……たぶん、今は難しいかな」
「え? どうして?」
優菜が不思議そうに小首を傾げた。
さっき、シャツでやったとおりだ。写すには、型が要る。そして型は、役目から降りてもらわないと読めないのだ。
つまり、現物をここへ出してもらう必要があった。
映司はちらりと彼女のスカートを見てから、目を逸らす。
「コピー元が、いるんだよ」
「あっ……」
優菜の顔が、みるみる赤くなっていく。
それから、何かから守るように、自分のスカートを両手で押えた。
「あ、洗ってから! 帰ったら洗うから、それからにして!」
両手をぶんぶん振って、涙目ながらに優菜が叫んだ。
なんだか、これではまるでここで脱げと言ったみたいではないか。スキルの都合を事務的に伝えたつもりが、えらい要求をした形になっている。
(だから、今は難しいって言ったのに!)
耳が、一気に熱くなる。
弁解の言葉を探しかけた、その矢先。
ぐう、と腹の虫が鳴った。二人ぶん、ほぼ同時だ。
映司と優菜は、顔を見合わせた。
「え、えーっと……飯に、するか」
「う、うん! そうしよっ!」
なんとか着地点を見出し、二人でそこに全力で漕ぎ着けた。
朝飯を抜いてから、もう半日近く経っている。気まずくなりかけた空気は、腹の音がまとめて持っていってくれた。
今、映司たちの手元には、包丁と皿と鉢、それから箸がある。食える草と香草と薬草は庫の中で、肉は五頭ぶん。火なら、優菜が短い詠唱ひとつで点けてくれる。シャツも五枚できた。今朝の宿題は、ずいぶん軽くなったように思う。
ただ、それでもリストの一番上は、相変わらず未消化のまま。塩だけは、この森ではどうにもならなかった。
(……塩かぁ。どこで手に入んのかな)
摘みたての草と肉の昼飯に、あとひと振りだけ足りないものを思いながら、映司は火を熾す場所を探しはじめた。




