第24話 初めて見た、幼馴染のしたたかさと強さ
映司と優菜は、村の入り口へ向かって歩いていた。
朝の光の中、二本の門柱が近づいてくる。石畳はところどころ欠けていて、歩くたびに靴の下で小石が鳴った。
門柱まであと数歩というところで、隣を行く優菜が、ずり落ちかけた鞄を肩で背負い直す。革の帯が鳴って、その中で硬いものが当たる音がした。
「あっ」
優菜が足を止める。口を小さく開いて、思い出した、とでも言いたげな顔になっていた。
映司も足を止めて、声には出さずに眉だけで問い返す。
優菜は鞄を下ろし、その口を開けて中を探った。その手が、すぐに止まる。
取り出されたのは、大きめのビー玉ほどの水晶玉だった。
(なんだあれ?)
映司には、それがなんなのか分からなかった。宝石にしては透きとおりすぎているし、飾りの類もついていない。傷ひとつない、ただ丸いだけの玉だった。
彼女はそれを指で摘まんで、朝の日にかざすように眺めていた。
「それは?」
映司が訊いた。
「〝双珠〟……って言ってたかな? ほら、出発前にザイフェルトさんから呼び出されてたでしょ? あの時に『もしも苦しくなったらこれを』って渡されてて」
「あの時か」
四日間はぐらかされてきた『内緒』の中身が、今ようやく出てきた。
効果は、優菜の口から順に語られていく。握って念じれば、王城へ戻れること。これと対になる珠がもうひとつあって、二つは繋がっていること。片方の音が、もう片方へ流れること。その対の珠は、宰相ザイフェルトの手元にあること。
帰れるのは、分かる。引っかかるのは、後半だ。
「なんだそれ。それ通じて相手側の音声が聴けるって……つまり、盗聴し放題ってことか?」
「どうなんだろう? でも、私もそう思っちゃった。だから、その機能は絶対に使わないでって約束してもらったんだけど……」
優菜が眉を顰めて言った。やはり彼女も同じ感想を抱いたようだ。
要は、片道ぶんの転移と通話である。この世界における携帯電話のようなものらしい。
確かに、互いの音を聞き合えば、会話くらいは成り立つ。盗み聞きはしない、という信頼関係のもと、使われる機能なのかもしれない。
ただ、おそらくこれは超稀少なアイテムだ。剣と魔法の世界に、いきなりそんな便利な道具が出てきたのである。それだけ、王国にとって〝聖女〟の手放しがたさが桁違いだった、ということでもあった。
なるほど、と頷きかけて──胸の奥が、すっと冷えた。今朝、土間のどこにも彼女の気配がなかった時と、同じ冷たさ。ただ、あの時は形にならなかったものが、今度は言葉の形を取ってしまう。
(優菜は……いついなくなっても、おかしくなかったのか)
それを思うと、ぞっとした。
今こうして映司が生きていられるのは、優菜の気持ち次第だったのだ。
そんな切り札を、優菜は四日間黙って持っていた。いや、もしかすると……いつでも城へ帰れる道があったから、映司の追放についてきたのだろうか。
(いや、待て。優菜はそんな子じゃない)
そこで、映司は自分の思考を止めようとした。
しかし、一度始まったそれは、そう簡単に止まってくれない。
城を出る時、優菜の鞄へ手を伸ばして、半歩ぶん避けられたことがある。
『いいよ。自分で持つから』『重いだろ』『大丈夫』──このやり取りは、重さの話ではなかったのだ。
黙り込んだ映司の前で、優菜は珠を手にしたまま続けた。
「なんか気持ち悪かったし、ほんとは断ろうと思ったんだけどね。でも……もし本当にここでの生活が成り立たなかったら、これ使って交渉もできるかなって」
「交渉って、何の」
「映司くんを助けてくれるなら、私が〝聖女〟として戻りますって。堂島くんと違って、あの人は話が通じそうだったから」
返す言葉が、ひとつも出てこなかった。
いつでも帰れる道。さっき、映司はそう考えてしまった。だが彼女が握っていたのは、逃げ道ではない。映司を生かすための、取引の札として持ってきたのだ。しかも対価の欄には、最初から自分の身が書き込んであった。
そのうえ、優菜は宰相を値踏みまでしていた。あの短い面会のあいだに、頭を下げる相手の当たりをつけていたことになる。
気持ち悪いと思った道具を、それでも断らずに受け取った。使う日が来ないことを祈りながら、使う日のために鞄の底へ沈めて。優菜は、あの短い時間でそれだけの算段を静かに済ませていたのだ。
几帳面さも、頑固さも、知っているつもりでいた。だが、この幼馴染には、まだ映司の知らない一面もあったらしい。
そういう相手に、自分は今、何を考えた?
「……ごめん、優菜」
罪悪感と自己嫌悪に耐えきれず、映司は自ら頭を下げた。
「えっ?」
優菜が小さく首を傾げた。謝られる理由に、心当たりがないのだろう。それが、なおさら堪えた。
「俺……今、最低な事考えた」
言うと決めたなら、全部言うべきだ。そう思い、白状した。
「お前はいつでも城に帰れるから……だから、俺についてきたのかもって。そう、思っちまった。ほんと、ごめん」
「映司くん……」
優菜は一瞬だけつらそうに眉をきゅっと顰めて、すぐに困ったように笑った。
「いいよ。言わなかった私も悪いし。映司くんが嫌な気持ちになると思って黙ってたっていうのもあるから……お互い様ってことにしよ?」
答えたくない時、彼女は嘘をつかずに黙る。昔からそうだったし、荷馬車の上でもそう思った。
騙されていたわけではない。彼女はただ、黙っていただけだ。しかもその黙っていた理由も、映司のためだった。ならば、これ以上この話を続けるのは、得策ではない。
「ああ。わかった」
それ以上は何も言い足さなかった。悪くない、と言えば、彼女の判断ごと打ち消すことになる。小さく頭を下げて、受け取るだけにした。
顔を上げると、優菜は手の中の珠を摘まみ直していた。
「でも……もう、これも要らないよね」
言い終わるより先に、指が開いた。
珠が落ちる。足元の石に当たって、ぱりん、と乾いた音がした。転がっていく珠の表面に、細い罅が走っている。
「おい、いいのかよ」
「うん。だって、私がこれ持ってた理由って、ここでの生活が成り立ちそうになかったら、だったから。お家もあるし、お風呂もあるし……結界も張っちゃえば、鍵も要らないでしょ? それなら、もうこんなの要らなくない?」
幼馴染が、なんともないことのように、しれっと答えた。
家、風呂、結界。指を折るまでもなく、全部そのとおりだ。彼女が抱いていた懸念は、この三日間でひとつずつ潰れていた。
叩き割ったのではない。ただ、手放しただけである。それでも、王城への道はたった今、彼女自身の手で捨てられた。
(ほんと、敵わないな。この子には)
この幼馴染は、映司が思っているよりずっと強い。それでいて、したたかだ。まさしく、これこそが〝聖女〟の素養なのかもしれない。
だったら、こちらの仕事はひとつだ。彼女が「要らない」と言い続けられる暮らしを、この先も保っていくこと。それが、捨てさせた側の責任というものだろう。
その時だった。
「あれ?」
意図しない声が、映司の口から出た。
〈遺失査定〉が、また勝手に走ったのだ。
そう。彼女が今手放した、その小さな珠に反応して。
持ち主が手放して、壊れたからだ。あの珠は、たった今、遺失の条件を両方満たしたことになる。
『〝双珠〟の片割れ。破損』
『役目:対となる珠との間に道を開き、これを保つこと』
『道を保つ力は、珠が抱える。持ち主の力を要しない』
『珠は対を失った。繋ぐ先がない』
査定の常で、文字は勝手に頭へ流れ込んでくる。一行目、二行目までは、聞いた話の裏書きにすぎなかった。
三行目で、引っかかった。
道を保つ力を、珠自身が抱える。持ち主の力を要しないということは即ち、持ち主の魔力を食わないということだ。
張っている限り魔力を食い続ける結界と、力を自前で抱えて道を保ち続ける珠。半日は保つと思うけど、と言った時の優菜の顔が浮かぶまでに、一拍あった。
目が、珠の転がった先へ落ちる。
珠は門柱の足元で止まっていた。すぐ脇には、割れた石の梁。二十年前に門柱の上から落ちて、割れたまま放られていたという、梁がある。
珠と、梁。捨てられた物が、二つ並んでいた。すると──。
『素材:〝双珠〟の片割れ/門柱の梁』
『進化先:結界の要石』
並んだ途端、別々だった査定が束ねられた。
「どうしたの?」
考え込んだ映司へ、優菜が横から顔を寄せてくる。
映司は彼女の方を見て、言った。
「優菜。お前の張った〈聖域〉だけど、もしかしたら、もう魔力を使わなくて済むかも」
「え?」
説明するより、やってみせたほうが早い。
梁の脇へ膝をつき、罅の入った珠と梁とへ両手をかざして、詠唱を口にした。
「役目を終えし物たちに、新たな力を──〈超越再構築〉」
白い光が、珠と梁とをまとめて包んだ。
光が引くと、足元には石の梁が一本、横たわっていた。長さも太さも、門柱の間へ渡すのにちょうどいい。中ほどには、罅ごと透明な珠が嵌まり込んで、朝の日を丸く返している。
そこで、頭の奥が少し痛んだ。
(っと……さすがに、これはクるか)
指先が、少しだけ震えていた。だが、それくらいだ。息も二つ三つぶん深くなっただけで済んでいる。村ひとつを支える物を作ったにしては、安い代償でだった。魔剣の効果に、また助けられたらしい。
映司は梁を抱え起こして、優菜へ向き直った。
「優菜、これをあそこに嵌めてくれ」
顎で、門柱の上を示す。二十年前まで、あの割れた梁が載っていた位置だ。
「これを、あそこに嵌めるだけでいいの?」
「ああ。お前が作った結界だからな。お前がやらないとダメっぽい」
根拠はない。ただ、そうした方がいいのでは、と勘でともっただけだ。彼女の結界に据わる物なら、彼女の手で据わるべきだ、という。それだけの勘だった。
半分は本気で、もう半分は……自分でも、よくわからなかった。
「……? うん、わかった」
優菜もよくわかっていない様子で頷いた。
しかし、いざ据える段になると、優菜の背では、門柱の天辺まで手が届かなかった。映司が梁の重みを担いで持ち上げ、優菜は爪先立ちで両手を添える。導かれた梁の両端が、二本の石の受けへ、こと、と収まった。
「あっ……」
彼女が小さく声を漏らす。
「どうだ?」
「身体が軽くなった気がする……魔力も全然使ってないみたい」
優菜は手のひらを開いたり閉じたりして、肩を回し、それから深く息を吸った。身体の中の変化を、外から順に確かめているらしい。
「成功だな。これで、〈聖域〉は発動したままになる」
「ほんと!? じゃあ、外出中も夜も、ずっと?」
「ああ。あの要石が保ってくれるんだ。もし範囲を変えたい場合とか消したい場合は、優菜が〈聖域〉を解除すればいい」
言いながら、嫌な想像がひとつ浮かんだ。あの要石を、外から誰かに壊されたらどうなるのか。
そこまで考えて、すぐにそれを否定する。要石は、結界の内側だ。壁の外からでは、指一本届かない。これなら、壊される心配もなかった。
「……やっぱり、映司くんって凄いね」
優菜は感心した様子で言った。
何故、いきなりそうなるのだろうか。
「いや、この結界張ったのお前だろ。俺はそれをサポートするアイテムを作っただけだし」
「それは、そうだけど……映司くんも、凄いよ」
信頼と愛情と。そのどちらもが篭った眼差しで、恋人がこちらを見つめていた。
そうやって面と向かって二度も言われると、背中のあたりがむず痒くなってくる。褒め合いというものを、この幼馴染と正面からやるには、まだまでだ場数が足りないようだ。
「よし、じゃあ……心配事もなくなったことだし。森の方いくか」
「うんっ」
優菜が鞄の位置を直して、映司の隣へ並んだ。水袋の水が、腰で小さく揺れる。
二人は門を抜けて、道へ出た。
振り返れば、二本の石の上に梁が渡っている。二十年ぶりに、門は門の形を取り戻していた。




