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第21話 ずっと、同じ世界に

 幼馴染からの告白。

 最初は、夢かと思った。

 本当はもう寝入っていて、これは自分が見ている夢なのではないか。

 いや、そもそも異世界にいること自体が、修学旅行中に読んでいた漫画の見せた夢なのではないか。仮に異世界が現実だとしても、疲れきって落ちたあとに見ている、都合のいい続きなのではないか。

 そう思えてならなかった。

 おかしな話だ。クラスごと異世界へ放り出されたことは、あれだけ短時間で受け入れられたのだ。城の広間で職業を読み上げられた時も、荷馬車から降ろされた時も、心のどこかで「まあ、そういうこともあるか」と呑み込んでいた。

 それなのに、幼馴染から告白を受けるこの状況のほうが、よほど信じられない。

 みんなに好かれていて、清楚で可憐で。本人にその気がなくても、いつでもどこでも輪の中心になってしまうような女子が、長らく自分のことを好きだったという。世界の真ん中にいる人間が、端っこの席に座っている男を、である。そんな話があるものか。

 そう自分に、言い聞かせようとした。

 だが、胸に押し付けられた重さと、背中に回された腕の力、それから鼻先をくすぐる甘い香りが、これが夢ではないことを黙って告げている。

 夢なら、ここまであたたかくて、やわらかくて、いい匂いなんて、するわけがないのだから。

 城の広間で〝回収士〟というハズレ職だと公言されたこと。それから、あの半円の椅子の部屋で、クラス中から要らないと言われたこと。

 それらは、映司の中でそこまで深い傷にはなっていない。ずっと前から、自分は世界の端に立つ人間だと知っていたからだ。知っていることをもう一度言われても、痛みは大して増えない。

 そんな男を、真ん中にいる人間が「大好き」と言っていた。

 信じられなさの桁が、追放の比ではなかった。

 どれくらい黙っていただろうか。喉の奥から、ようやく声が出た。


「……マジ、か」


 さっきから似たような言葉しか出てこない自分の語彙力が情けない。

 今日だけで、これで四度目だ。十七年生きてきて、いざという時に出てくるのがこの一語とは、我ながら救いようがなかった。

 両腕が、宙を彷徨っている。彼女の背中に自分も回していいものなのか、この期に及んで、まだ自信が持てないでいた。

 そんな映司を促すように、背中へ回された優菜の両腕の力が、少しだけ強くなる。


「マジじゃなきゃ……こんなこと言わないよ」


 胸元から、くぐもった声が返ってきた。

 その通りだ。優菜はこの手の冗談をこれまで自分にしたことがなかったし、他の誰かにしているところを見たこともなかった。

 理由は簡単。彼女がその手の冗談を言ってしまうと、相手方の男は大抵信じて都合の良い解釈をしてしまうからだ。

 自分にベクトルが向いている異性に対して、冗談でもそんなことを言えば、ろくなことにならない。異性からモテてきた彼女だからこそ、それを肌感覚でわかっているのだろう。

 十七年で、一度も言わなかったこと。判断の材料としては、それで十分だった。

 映司の両腕が、迷いながらも下りていく。指先が体操着の背中に触れて。触れたところで止まって、それから、そっと回した。

 すると、強張っていた優菜の肩から、力がすっと抜ける。ずっと、こちらが動くのを待っていたらしい。


「もしかして、私が理由もないのに映司くんにちょっかい出してると思ってた?」


 優菜が顔を少し上げて、訊いてきた。

 月明かりの側にあるその顔が、こちらを見上げてくる。

 少しだけ、拗ねていた。いや、拗ねた表情を作っていた、というべきか。昔、ゲームでボロ勝ちしたら、よくこの顔で責められたものだ。


「いや、まあ……幼馴染だから構ってくれてんのかなって」


 正直なところ、これまでずっと自分に言い聞かせてきた台詞そのものだった。


「やっぱり。映司くん、鈍いもんね」


 眉を八の字にして、優菜は呆れたように笑っていた。

 笑ってくれたことで、ほんの少しだけ気持ちが楽になった。楽になったぶん、これまで一度も口に出したことのない本音が、喉まで上がってきてしまう。

 言うつもりはなかった。ただ、腕の中に彼女がいる状態でそれらを飲み込む器用さなんて、持ち合わせていない。


「だって……お前は、住んでる世界が違っただろ。お前は真ん中にいて、俺はいつでも端っこで。それなら、もっと相応しい奴がいるんじゃないかって──」

「同じだよ?」


 優菜が映司の言葉を遮った。そのまま、一息に続ける。


「ずっと近所に住んでて、小学校も中学校も高校も同じで、今年はクラスも同じなのに……何が違うの?」

「あっ……」


 言われてみれば、そうだった。

 クラスが違うことはあったが、住んでいる場所も、学区も、高校も同じで。彼女はいつでも、映司と同じ世界にいた。芸能界にいったり、有名私立高校に通ったり、どこか遠くに離れていったわけではない。通学路も、下駄箱の並びも、教室の窓から見える景色も、ずっと同じだった。

 それなのに……映司が勝手に、違う世界の住人だと思い込んでしまっていたのだ。

 理屈で言い負かされたわけではない。彼女はただ事実を並べただけで、どこにも理屈など並べていないのだから。

 反論の入る隙は、どこにもなかった。


「何も違わないよ。私は……ずっと、映司くんの傍にいるんだから」


 その言葉通り、優菜はずっと、映司の傍にいた。

 今となってはもうどうでもいいことかもしれないが、彼女が映司と同じ高校を選んだのも、同じ理由だったのかもしれない。

 中学の担任に「もう少し上を狙えるだろう」と言われながら、彼女は敢えて映司と一緒の高校を選んだ。理由を訊いた時の答えは、確か『近いから』だった。

 その一言が、今さらのように胸に刺さって抜けない。


『近いから』


 何に、とは訊かなかった。訊いていれば、たぶんこの回り道は、いくらか短くなっていたかもしれない。

 優菜はもう一度俯いて、映司の胸元に顔を押し付けた。


「映司くんは……私とこうしてても、何とも思わないの?」


 彼女の声は、震えていた。

 それでいて、何かの覚悟さえ感じさせられて、思わず映司は息を呑む。


「何ともって、どういう……」


 彼女が言わんとしていることは、何となくわかっていた。

 ただ、これから本当にそんなことが起こるのか、心のどこかで信じられなくて。

 どうしても、しどろもどろになってしまう。

 そんな自分が、嫌になった。


「その。ドキドキとか……えっちな気持ちになったりとか」


 顔は映司の胸に埋められているので、どんな表情をしているのかはわからない。

 ただ、優菜の耳は、これまで見たことないくらい、真っ赤になっていた。

 そうさせてしまったのは、他ならぬ映司だ。

 あまりに映司が臆病でおろおろしているから、彼女はもう一歩踏み込まざるを得なかったのだろう。

 ここまで来たら、もう素直になるしかなかった。


「それは……なるだろ」


 ようやく、本音がひとつ口から出た。

 映司がこうなるまでの間に、どれだけ彼女に恥ずかしい思いをさせてしまったか。

 我ながら、本当に情けない男だ。


「ならなきゃおかしいって。こっちの世界来てから、ずっとふたりでいるんだからさ。昔から、()()()()()()()()()()()()()やつから、こんなこと言われてくっついてたら、なるに決まってる。だから、変な間違いが起きる前に──」

「ほんと……?」


 優菜がばっと顔を上げた。目を丸くして、信じられない、とでも言いたげな顔をしている。こちらの言葉を遮った自覚は、全くないらしい。


「な、何が」

「昔から、可愛いって思ってくれてたの?」

「あっ……」


 しまった。口を滑らせて余計なことまで言ってしまっていた。

 こうも想定外のことが立て続けに起きると、言ってはならないことまでつい出てしまう。

 完全に、失態だ。


「……何でそこを拾うんだよ」


 がっくりする映司をよそに、優菜はこちらをじっと見つめていた。

 その答えを言うまで話を進めない、という意思をひしひしと感じる。

 覆水盆に返らずとはよくいったものだ。言ってしまったものは仕方ない。

 映司も腹を括った。


「……ああ。思ってるよ。今も、昔も。同性とか異性とか、そういうのを意識するようになった頃には……もう、そう思ってた」


 言っている傍から、顔が熱くなる。

 いざ言葉にすると、死ぬほど恥ずかしかった。

 すると、彼女の瞳にじわりと涙が浮かんだ。それを隠すように、また映司の胸元に顔を埋める。

 さっき縫い直してもらったシャツ越しに、優菜の熱い吐息と涙が、滲みてきた。


「何とも思われてないのかと思ってた……」


 ぽつりと漏らして、鼻を啜った。


「何で、言ってくれなかったの?」

「言えないだろ。今更……可愛いだなんて」

「どうして?」


 何だか、尋問みたいに質問が続く。

 どこか責められているように聞こえるのは、彼女の語尾に咎める色が混じっているせいだろう。


「だって、恥ずかしいし。それに……」

「それに?」


 そこで、優菜が顔を上げた。

 さっきより赤くなった目に、映司は思わず視線を外した。

 こうして涙する彼女を見るのは、やっぱり心臓に悪い。


「そういうの意識し始めたら、歯止め利かなくなって……色々、我慢できなくなりそうだったから」


 その涙のせいだろうか。

 本音がまた一つ、引きずりだされてしまった。

 こうして言葉にしてみると、自分の本心がよく見える。

 これこそが、映司が優菜を遠ざけ、彼女を幼馴染以上に見ないように心掛けていた理由そのものだった。


『幼馴染だから構ってくれてる』


 そう思い込んでいたのは、そうでもしないと、彼女を恋愛対象として見てしまうからだ。

 そして、そういう対象として見てしまえば、当然自分の気持ちにも歯止めが掛からなくなる。昔から知っているからこそ、誰かに取られるなんて耐えられないだろうし、「俺の方が」と思ってしまうに違いない。世界の端っこにいる人間にもかかわらず、だ。

 もしそんな状態で彼女が他の誰か──それはきっと映司では背比べすらできないような男なのだろう──と結ばれてしまったら。本気になっていれば本気になっているほど、自分が傷つくに決まっている。

 だからこそ、都合よく『幼馴染だから構ってくれているだけ』と思い込むことによって、優菜に執着しないようにしていた。

 だが、優菜の方はそうではなかった。

 それが、付かず離れずの奇妙な幼馴染関係の正体だったのだ。

 優菜がおそるおそるといった様子で訊いた。

 

「我慢って、どういう……?」

「……色々だよ」


 そう答えると、優菜は何かに気付いたように「あっ」と驚いた顔をした。そして、みるみるうちに顔が赤くなっていく。

 そんな自分の顔を隠したかったのか、或いは恥ずかしさに耐えられなかったのか。再び映司の胸元に自らの額を押し当て、顔を伏せてしまった。

 さすがにバレたか。というより、もはや隠しようがなかった。


(そりゃ……こんな体勢なんだから、そうもなるって)


 映司は小さく溜め息を吐いて、胸に埋まる彼女の頭を見下ろした。

 今、映司と優菜の身体は正面から密着している形だ。当然、映司の下腹部は優菜のお腹に当たっているわけで……先ほどから密かに湧き上がってきていたこちらの生理現象についても、いい加減隠せる状態ではなくなってしまった。

 ただ、こればっかりは根性や気合だけで何とかなるものではないので、勘弁してほしい。

 というか、好きにならないように我慢していた女とひとつ屋根の下でふたり暮らし。それだけでも相当危うい状況なのに、その子と同じベッドで寝て、さらにくっつかれている状態なのである。この状態でどうにもならない男子高校生がいるなら、ぜひ名乗り出てくれ。メンズクリニックの診察をおすすめする。


「お前が嫌がるかもしれないこと、しちゃうかもしれないから」


 具体的に何を、とは言わなかった。

 それでも、この状況下ならそれが意味するところも気付くだろう。たとえ、この手の話題に鈍い彼女でも。

 本当に、今が分水嶺のぎりぎり手前なのだ。頼むから、これ以上こちらの制御がきかなくなることを言わないでくれ。そう、祈っていた。

 それなのに──。


「……映司くんだったら、いいよ?」


 優菜は、顔を胸に埋めたまま言った。

 声が小さくて、くぐもってしまっている。それでも、その言葉の意図は十分すぎるほど伝わった。

 何がいいのか。いや、何を()()()()()()。その答えには、すぐに至っていた。


「ううん、嘘……映司くんじゃなきゃ、やだ」


 イヤイヤするみたいに首を横に振って、すぐに言い直す。

 そこまで言われてしまうと、もう引き戻す道は、なくなってしまった。


「お前、それは──」

「映司くん……お願いだから、これ以上言わせないで」


 優菜はそう言って、こちらを見上げた。

 顔は真っ赤で、今にも涙が零れそうなくらい、瞳は潤んでいる。さっきまで泣いていたのだから、当然だ。

 でも、その涙がいつもの清楚可憐な雰囲気からは想像もできないくらい、彼女を蠱惑的に見せていた。その瞳に、艶やかな唇に、嫌でも目を奪われてしまう。

 優菜がこちらをじっと見つめてきて。映司も、目を逸らさなかった。

 こんなに近くで見つめ合ったのは、初めてだ。

 胸がどくどくと高鳴って、収まる気配がない。それは、彼女も同じだった。早鐘みたいな鼓動が、こちらの身体にも伝わってきている。

 何かの合図のように、優菜は瞼を閉じた。

 自然と、お互いの背中に回した手に力が篭って。顔を、寄せ合っていく。

 そして──ふたりの唇が、ゆっくりと重なった。

 柔らかくて、少しだけ歯磨き粉の味がして。

 記憶の中の、小学生の時のキスとは随分と違う気がした。

 それもそうだ。

 前にしたのは、不意打ちみたいなキス。しかも、映司に至ってはその意味さえよくわかっていなかったのだから。

 長い口付けを終えて、そっと顔を離す。

 またさっきみたいに見つめ合って……先に破顔したのは、優菜だった。


「えへへ。映司くんと、キスしちゃった」


 はにかんでそう言うと、もう離さないとでも言うように、映司を抱き締める腕にぎゅーっと力を込めた。


「二回目だけどな」


 つい照れ臭くなって、そんな冷たい言い方をしてしまう。

 もうこれは性格なので、しょうがなかった。

 だが、それを良しとしてくれないのが、今の優菜だった。

 彼女は寂しそうな顔をして。


「二回だけで、いいの?」


 そう、訊いてきた。

 寂しそうな顔をしているくせに、誘われいるようにも思えてしまう。そして、『それだけで満足なのか』という挑発の意図も含まれている気さえした。

 無論、優菜にそういう意図はないだろう。だが、そう言われてしまうと、さすがに男として引くわけにはいかなかった。


「いいわけないだろ」


 その挑発に応えるように、もう一度キスをしようと唇を寄せた。

 しかし、そこで優菜が「あっ」と少し大きな声を出す。


「映司くん。私、返事聞いてない」


 身体を、少しだけ離された。

 月明かりの中で、頬の涙の跡が薄く光っていた。


「へ、返事って……」


 返事とは、もちろん告白のそれだ。

 でも、この流れは言葉を省いていい流れではなかったのだろうか。こんなことをしておいて改めて言葉にするとなると、恥ずかし過ぎて死にそうだ。


「この状態で、言わせんなよ」

「でも……私は、ちゃんと言ってほしいな」


 今回も、優菜は折れてくれそうになかった。

 やっぱり、そのあたりはしっかりしているというか、何というか。雰囲気で済ませてくれる女ではないらしい。

 もっとも、それもわからなくもなかった。

 これは、映司がずっとうやむやにしてきた話だ。優菜は答えを求めて何度も動いてくれたのに、映司はそのたびに目を背けた。その数年分の請求書が今夜まとめて回ってきているのだと思えば、文句を言える筋合いではない。

 ただ、映司側にもそれを言いたくなかった事情があった。


「それ、言ったら……俺、止まんなくなると思う」


 そう。きっと、止まらなくなってしまう。想いも、衝動も。

 それさえ言わなければ、制御というものがぎりぎり成り立つと思うのだ。とっくに戻れないところまで来ているけれど、最後の一線を越えずにいることだけは、まだ何とかできそうだった。

 それなのに──。


「……いいよ? 止まらなくて」


 映司の我慢など全て無駄だというように。そんな選択を採ることなど許さないとでも言うように。

 媚態を帯びた彼女の声が、静かに響いた。


「映司くんのしたいこと、して?」


 優菜が、追い打ちをかけてくる。まるで、そうなることを懇願しているかのような言いぶりだった。

 好きな女から、普段からは想像もできないような声音でそんなことを言われて。とろんとした瞳で見つめられて。我慢なんて、できるはずがなかった。

 衝動のままに、想いが口から零れ落ちる。


「優菜……好きだ」


 一度それを出してしまえば、もうダメだった。

 堰を切ったように、あとから言葉が押し出されてくる。


「ずっと、昔から。もういつからかわからないくらい昔から……お前のこと、大好きだった」


 これは、自分自身にさえ隠し続けてきた本音だった。

 傷つかないように。端っこにいる劣等感から目を逸らして、その心を守るために、仕舞い込んできた気持ち。

 それを、初めて口にした。


「うん……私も」


 優菜はほっとしたように顔を綻ばせると、両手を映司の首へ回した。

 そして、正面から目を見据えて。


「映司くん……大好き」


 改めて、そう言ってくれた。

 言葉自体はさっき同じなのに、響きがまるで違っていた。

 今回は、自分の想いを噛み締めるような。そして、こちらの想いも全て受け止めるような。そんな『大好き』だった。

 そこからは、もうお互い御するものを失っていた。

 これまでつけていた枷を全て外して、ただただお互いを求め合った。

 三度目、四度目、すぐに回数を数えることを諦めるくらい、何度も何度も口付けを交わした。

 次第に舌と舌が絡まり合って、優菜の全てを求めていく。

 息継ぎに口を離せば、互いの名前を呼び合って、また愛を繰り返して。その衝動は、留まることを知らなかった。

 本当はちゃんと寝て、明日に備えなければならない。この異世界でどう生き抜くのか、考えないといけないことは山積みだ。

 でも──今この瞬間だけは、優菜のこと以外、何も考えたくなかった。

 これまでの隙間を埋めていくように、何度も何度も唇を重ねて。互いの体温を感じながら、ふたりの夜は溶けていく。

 胸の奥に宿った、初めての幸せ──それは、ふたりだけのものだった。

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