第14話 〝回収士〟の覚醒
六匹の狼が、ふたりの前で唸り声を上げていた。
「映司くん……」
声でわかるくらい、優菜が怯え切っていた。
そうだ。ここにいるのは、自分ひとりではない。こんな危険な場所についてきてくれた、幼馴染がいるのだ。
彼女だけは、何としても守らなければならなかった。
「だ、大丈夫だ。この魔剣があるからな」
そうは言ったものの、柄を握る手が震えていた。
当然だ。人生で一度だって、喧嘩すらしたことがない。命のやり取りなど以ての外だ。
魔狼たちは、半円を描くように広がりながら、じりじりと距離を詰めてきた。六対の目が、全部こちらを向いている。
だが、まだ優菜の方に向いていないだけマシだ。
優菜は、浴室小屋の扉前にいた。壁を背負ってしまっているが、背後から優菜が襲われる心配はない。最悪は中に逃げ込ませれば少しは時間を稼げるし……映司が全部相手をすれば、何も問題はなかった。
「やってやるよ……かかってこいよ、糞が!」
右端の一匹が、地を蹴った。
映司は剣を横へ薙ぐ。風の刃が飛んで、地面の草を一直線に刈った。だが、当たらない。魔狼は刃の線を読んだように跳んで躱し、着地と同時にもう跳んでいた。
躱しきれず、伸びた爪が肩口を掠める。布ごと皮膚が裂けて、熱が走った。
「ちぃっ……戦闘職じゃないんだよ、俺はッ!」
ぼやいたところで、敵は待ってくれない。
今度は左。二匹目が横から低く跳びかかってくる。剣を戻す時間がなかった。
その鼻先で、白い膜が立った。
「聖なる盾よ、我らを守れ──〈聖壁〉!」
背後で優菜の声がした。二匹目は光の膜へ真正面から突っ込み、弾かれて地を転がる。
膜は魔狼を弾いた側から薄れて、消えた。一枚きりの盾らしい。それでも、命一つぶんの仕事をした。
三匹目が、膜の消えた脇を抜けて回り込んでくる。
「聖なる光よ、我らが敵を撃ち貫け──〈気弾〉」
続けざまの詠唱。光の塊が飛んで、三匹目の顔面へまともに当たった。魔狼が首を振って体勢を崩す。
聖女の護身用魔法だろうか。決して強力ではなかったが、その一拍で包囲が乱れた。
ただ、あくまでも時間稼ぎくらいの魔法だ。優菜の魔法でこいつらを仕留めるのは難しい。
(俺がやるしかない……!)
目の前では、最初の一匹が次の跳躍のために身を沈めていた。跳ばれる前に、映司は踏み込んだ。
「オラぁ!」
型も何もない、ただ体重を乗せただけの一振り。それでも〝風牙魔剣〟は、魔狼の骨ごとすぱっと斬り伏せた。
一匹目が、声もなく崩れ落ちる。
初めての手応えだった。しかし、喜ぶ余裕は、どこにもない。振り抜いた腕へ、別の爪が浅く走っていたのだ。肩と腕、二箇所目だ。息もとっくに上がっている。
「優菜、フォロー助かる。その調子で、もう二~三発ぶち込んでくれ」
横目で後ろの優菜を見て、言った。
到底一人では対処できない。優菜がどれだけ美味く魔法で牽制してくれるかに懸かっていた。
「うん。でも映司くん、血が……」
「掠り傷だ。気にすんな。優菜は、絶対に俺の後ろから離れるなよ」
優菜に不安を感じさせないよう、精一杯強がってみせる。
(ちくしょう……そうは言ったものの、どうする?)
周囲の敵に目を配り、どこから攻められても優菜だけは守れるよう、神経を尖らせた。
残った五匹は、仲間が一匹減ったことで警戒を覚えたらしい。跳びかかる順番を測っているのか、輪の外で唸りながら、こちらの様子を窺っていた。
敵はまだ五匹。一匹に二人がかりでこれだけ苦戦しているのに、どうやって五匹も倒せばいいのだ。
(せめて、もう少し俺に力があれば……ッ!)
剣を構え直した際に、視界の端に倒れた一匹目が映った時。
またしても、〈遺失査定〉が勝手に走った。頼んでもいないのに、文章が頭へ流れ込んでくる。
『魔狼。脚力:跳躍、加速。素材として回収可能』
そして、最後に変わった言葉が浮かぶ。
『装纏可能』
そう、頭に流れ込んできた。
「装纏可能……? どういうことだ?」
呟くそばから、答えは用意されていたように、勝手に浮かび上がってくる。
頭の奥で、新しい名前が形になっていった。井戸の前、それから魔剣を作った時と同じだ。
名前の意味を、体が先に理解した。
「なるほど、倒した奴の能力を奪えるってか。全く、ほんとになんでもありだな、こいつは」
口角が、勝手に上がった。
これで、勝てるかもしれない。
映司は頭に浮かび上がってくる詠唱を、そのまま読み上げた。
「失われし命よ。その力を、この身へ宿せ──〈遺失装纏〉」
倒れていた一匹目の体が、輪郭から光の粒子にほどけた。
粒は流れになって、映司の両脚へ吸い込まれていく。腿から下に、熱。骨の芯へ火を通されたような、それでいて嫌ではない。そんな感覚だった。
「映司くんの脚が……光ってる?」
優菜が、唖然として呟いた。
その言葉に、ちらりと自分の足元を見てみる。確かに、光の粒子が映司の脚を覆っていた。
(これが、〈遺失装纏〉か……!)
今の映司には、世界が緩んだように感じていた。魔狼の能力を脚に取り込んだことで、映司の反射神経や俊敏性、全てが上がっているのだ。
もはや唸る魔狼たちの毛の逆立ちが、一本ずつ見えていた。
これで、勝てる。
「優菜、そこを動くなよ。……三十秒で終わらせる」
狩る側と狩られる側が、完全に入れ替わっていた。
二匹目が横から跳んだ。速い、はずだった。
しかし、今の映司には、空中で伸びきった姿勢が丸見えになっている。すれ違いざまの一閃で、着地は来なかった。二匹目の狼が、〝風牙魔剣〟の錆びとなっていた。
続けざまに、三匹目が牙を剥いて突っ込んでくる。それに合わせて、魔剣を振って風の刃を足元へ飛ばした。刈られた草ごと出足が止まり、止まった的へ一気に踏み込み、剣で貫く。
四匹目は跳躍で頭上を取ろうとした。だが、跳べるのは向こうだけではない。魔狼の脚は、いま映司の脚でもある。地を蹴ると、体は思ったより高く上がった。
交差は空中で終わり、落ちたのは向こうだけだった。
着地して顔を上げると、残りの二匹が背を向けていた。灰色の草の斜面を、山のほうへ駆けていく。
(逃がしてやるか?)
一瞬だけ、そう考えた。
だが、あの脚だ。逃がせば、今夜にでも仲間を連れて戻ってくるかもしれない。今やここには井戸があり、家がある。そして……優菜がいるのだから。
映司は、剣を大きく二度振った。
風の刃が二筋、草の斜面を追って走る。狙いは違わず、遠くで二つ、灰色の体が続けて転がり……そのまま動かなくなった。
広場に、遠吠えの代わりに風の音だけが残った。
最後の一匹が動きを止めたのを見届けた途端、後回しにされていた代償が、まとめて押し寄せてくる。
息切れと指先の震え。それから耳の奥の高い音と、肩と腕の傷の熱まで、まとめて戻ってきた。魔剣の魔力アップも、血の流し過ぎには効かなかったらしい。意識が遠くなって、思わず膝を突いた。
「映司くん!」
優菜が泣きそうになりながら駆け寄ってきた。
泣きそうというか、もう半分泣いている。声にも涙が混じっていた。
映司はそんな彼女に向かって、精一杯強がってみせる。
「……言っただろ? 三十秒で終わらせるって。もう、大丈夫だ」
「大丈夫じゃないよ! こんな血だらけになって……!」
血の大半は返り血だ。そう言いかけて、やめておいた。今言っても、火に油である。
「怪我なら、お前がスキルで治してくれるだろ?」
「だからって、怪我してもいいってわけじゃないよぉ……」
啜り泣きながら、優菜は映司に縋りついてきた。
そんなに泣くくらい心配させてしまったか。なんだかそれがこそばゆくもあり、同時に少し嬉しかった。
剣を杖にして、立ち上がる。地面には、五つ。数え終えてから、ふらっと意識が遠のいた。なんだかんだ、結構血を流していたらしい。思ったより重傷だ。
ただ、不思議なことに、脚の軽さや力強さはそのまま残っていた。〈遺失装纏〉で得た力は、戦闘が終わっても抜けないようだ。
「ごめん。傷、すぐに治すね」
縋りついて泣いていた優菜が涙を拭いて、肩の傷へ手をかざした。
白い光が裂けた皮膚の上を撫でていく。
〈治癒〉だ。瞬く間に肩の熱が引きいていき腕の傷が縁から閉じた。
「さすが聖女。助かったよ」
「あんまり茶化さないでよ……お願いだから、無理しないで」
こちらを叱りつけるように、それでいて懇願するように、こちらをじっと見つめてくる。
映司はそんな彼女から目を逸らした、
「……俺だと、無茶しなきゃお前を守れないからな」
そこには、〝勇者〟に対する劣等感もあったのかもしれない。
海斗や岳人のような戦闘職なら、こんな狼ごときで彼女に怖い思いをさせることもなかっただろう。
すると──。
ふわりと、優菜の両腕が映司の背中を覆った。
「映司くんの……バカ」
言葉とは裏腹に、声には怒りが一切籠っていない。そのまま彼女は映司の胸に顔を埋め、涙で胸元を濡らした。
「……ごめん。次からは、もうちょい気を付けるよ」
そっと、そんな彼女の背中を抱き寄せて、謝罪の言葉を囁いた。その声に応えるように、彼女がぎゅっと両腕の力を込めてくる。
もし今自分が死ねば、優菜はこの廃村で独りだ。必死だったとはいえ、こちらも配慮が足りなかったのかもしれない。戦わずに逃げるという選択肢も考えなければならなかった。
優菜が落ち着くと、ふたりは魔狼たちの始末に取りかかった。放っておけば腐るし、匂いが次の獣を呼ぶかもしれない。
それに、〈遺失査定〉がさっき言っていた。素材として回収可能、と。
手近な一匹へかざした手の先で、身体が粒子にほどけていく。二匹目、三匹目。ほどけた粒は手の周りへ集まって、渦になったまま消えない。井戸や家の時は素材としてすぐ使ったから気づかなかったが、使い道の決まっていない粒には、行き場がないのだ。
困った、と思ったところで、頭の奥に三つ目の新しい名前が浮かんだ。
〈遺失庫〉。
どうやら、使い道が決まっていない素材を保存できるスキルらしい。
(……つくづく、至れり尽くせりだな)
その名を心の中で呟くと、粒の渦がすっと薄れて、どこかへ収まった。空間のどこか、としか言いようがない。だが、そこに在ることだけは、はっきり分かった。棚の在り処を体が覚えているのと同じ具合だった。
中身を〈遺失査定〉で数えると、これまた驚いた。肉、毛皮、牙、爪、脂。それが五匹ぶん〈遺失庫〉に収まっていた。装纏に使った一匹は、骨も残っていない。あれは丸ごと、映司の脚に組み込まれたらしい。
(魔物の肉、か……これが食えるなら)
麻袋の底が見えていた食料問題が、半日で裏返ることになる。残りの黒パンと干し肉は、非常食へ格上げだ。
ただし、ひとつ問題があった。庫から肉の塊を出して査定を通すと、最後の行に『食用不可』と出てしまうのだ。
やはり、魔物の肉はそのままでは食えないらしい。
映司は肉を優菜へ差し向ける。
「優菜。これ、食えるようにできるか?」
「んー……どうなんだろ。お肉に浄化ってできるかな? ちょっとやってみるね」
「頼む」
優菜は両手を肉に向けると、目を閉じて小さく囁いた。
「穢れし物の全てを清めよ……」
〈浄化〉の白い光が肉を包んで、内側まで染みてから、静かに収まった。井戸の時の光の柱を知っている身としては、拍子抜けするほど慎ましい。対象の大きさに合わせて出力まで変わるのだから、器用なものだ。
「……どう、かな?」
優菜がおずおずとこちらを見て言った。
もう一度肉を〈遺失査定〉に通してみる。最後の行が『食用可』へ変わっていた。
「大丈夫だ。今夜は肉が食えるぞ」
「ほんと!? やったっ! 料理、頑張るねっ」
優菜がその場で小さく跳ねた。ついさっきまで魔狼に怯えていたくせに、現金なものだ。切り替えの早さは、この幼馴染の美徳である。
(俺が倒して優菜が清める、か)
戦闘と、食事と、風呂と。今日一日で、この二人にできることの形が、定まった。
血と泥で汚れた手を水路で流していると、その先には、小屋があった。
壁から突き出た樋。開けっ放しの栓。中を覗くと、桶にはもう、縁の近くまで水が張り終わっている。焚き口の薪も、組んだままだった。
あとは、火だけだ。
「……そういえば、湯。まだ沸かしてなかったな」
「あっ」
優菜と顔を見合わせた。襲撃のどさくさで、二人ともお風呂のことを綺麗に忘れていたのだ。優菜は焚き口の前へしゃがみ、指先を薪へ向ける。
手のひらからが生じた〈聖火〉が薪へ移って、焚き口の奥で育ちはじめた。石組み越しに、桶の底が炙られていく。
(あれ? そういや、詠唱してないな)
さっきの〈治癒〉の時もそうだった。〈浄化〉も大分省略しちえたように思う。
もしかすると、彼女も映司と同様に、聖女スキルを使いこなし始めているのかもしれない。
映司は言った。
「沸くまで少しかかると思うけど……優菜が先に入れな」
「えっ? あっ……えっ、と。その、映司くん」
「どうした?」
「……ううん、なんでもない」
優菜はどこか恥ずかしそうに顔を伏せて、家のほうへ歩き出した。
歩幅がいつもより狭い。何かを言いかけたみたいだが、どうしたのだろうか。
(まあ……変に言及して、トリートメントやら何やらを作れって言われても困るしな。そっとしておこう)
彼女の背中を見送ってから、空を見上げる。
煙突から、細い煙が立ちはじめていた。廃村に上がる、初めての煙だった。
とりあえず、今日中という約束は、どうにか守れたようだ。




