第13話 お風呂と初めての戦闘
筵に包んだ〝風牙魔剣〟を縄で背へ斜めに負って、映司は三軒目へ向かった。
隣を歩くはずの優菜は、もう半歩どころか三歩先にいる。振り返っては待ち、追いつくとまた先へ行く。忙しい犬の散歩みたいになってきた。
「映司くん、早く早く!」
「そんな急かすなよ。逃げないだろ、家は」
「逃げないけど、日が暮れちゃう」
ぐうの音も出ない返しだった。
(今日中って、確かに言ったけどさ……しくったか?)
勢いで口にした宣言が、早くも首を絞めにきていた。とはいえ、吐いた唾はもう呑めない。
三軒目の前へ着くと、映司は戸口の柱へ手を当てた。家の構造が、頭へ流れ込んでくる。
梁は下がったまま。柱は三本が生き、土台は無事。住むには危険な家だが、これから作る物にとっては、話が変わってくる。
湯気を溜める小屋なら、天井は低いほうがいいだろう。下がった梁は、欠点ではなく仕様にできる。土間を掘り下げて石を敷き、真ん中に大桶を据えればちょうどいい湯舟の配置になりそうだ。桶の底の下へ焚き口を通して、外から薪をくべる。煙は壁を抜いて煙突へ。水は川沿いの水路から、板の樋で壁越しに引き込めばいい。
工房の裏に、いつだったか祖父ちゃんが据えた古い風呂桶があった。あの構造を思い出せるかどうかが、今日の勝負どころだ。
もっとも、思い出せなかった時の言い訳は、もう用意できない。今日中と言ったのは、自分なのだから。
柱から手を離すと、優菜が横から顔を寄せてきた。
「ねえねえ、映司くん。お風呂って、湯船に浸かれる感じ?」
「一応そうするつもり。せっかく桶があるんだからな」
「やった……!」
両手を胸の前で握って、優菜が目を細めた。湯船と聞いただけでこの幸せそうな顔である。風呂を提案した判断は、どうやら大正解だったようだ。
と、そこで優菜がはっとした顔になった。指を一本ずつ折りながら、早口になっていく。
「あ、でもタオルはどうしよっか? 着替えは学校のジャージとシャツがあるでしょ? シャンプーとトリートメントは、トラベルセットがあるけど、あんまり量はないし……」
「……一個ずつにしてくれ。とりあえず今日は、湯が出るところまでだ」
「はぁい。……じゃあ、私は何をすればいい?」
「その元気は水汲みまで温存しておいてくれ」
優菜の指折りが、ぴたりと止まった。
「……もしかして今、私のこと子供扱いした?」
「してないしてない」
「えー。絶対したよー」
「してないって」
頬を膨らませる優菜を適当にいなして、映司は納屋の方角へ足を向けた。まずは道具の回収からだ。
大桶と鉄釜は、二人がかりで納屋から転がしてきた。桶の箍は外れたまま、釜の底には罅が一本。どちらも、詠唱を口の中で転がすだけで直った。箍が側板を締め直し、罅の上を光が一度だけ走る。この規模なら、消耗は爪の先で済んだ。
足りない材料は、骨だけの二軒目と、潰れた六軒目から〈遺失回収〉で集めた。板、石、梁材。手をかざすたび、廃材が粒子にほどけて寄ってくる。素材の在庫だけは、この村は豊富だった。
直した桶と釜を三軒目の土間へ据え、二人で表へ出る。優菜は言われる前に、戸口から数歩ぶん下がっていた。井戸と家で、もう手順を覚えているようだ。
映司は三軒目の正面へ立ち、両手をかざした。頭の中で、組み上がりの形を思い浮かべる。家ではない。風呂だ。
息をひとつ。
「役目を終えし物たちに、新たな力を──〈超越再構築〉」
光の粒子が、家一軒をまるごと包んだ。
「わ、わ……家が、動いてる!」
優菜の言うとおりだった。
土間が沈み、底へ石が敷き詰められていく。大桶が浮いて中央へ運ばれ、その真下の石組みに焚き口の穴が開いた。壁が一枚抜けて、抜けた板が筒状に巻かれ、煙突として屋根の端へ立つ。下がった梁はそのまま、低い天井の骨として桁に収まった。仕上げに、回収した板が長い樋になって川沿いの水路から壁を貫き、先端に木の栓がひとつ嵌まる。
そして、光が消えていって……目の前に建っていた建物は、もう先ほどまでの三軒目の廃屋ではなかった。腰までの高さの石積みに、低い屋根。煙突と、壁から突き出た樋。家の形は、どこにもない。あるのは、湯を沸かすためだけに作り替えられた、浴室小屋だった。
そこで──スキルの代償が、また来た。
息が上がり、指先が痺れる。今回は井戸や家の時に近い大改造だ。どんな代償が来るかと覚悟していたら……それだけだった。
(あれ……?)
膝は沈まず、視界も揺れない。家一軒を組み替えて、この浅さで済んでいる。
「映司くん、大丈夫……?」
おそるおそるといった様子で、優菜が訊いてきた。
「ああ……自分でも不思議なほど、何ともない」
理由を考えて、そこで背にある剣が視界に入った。
(あっ、もしかしてこれか?)
査定では、この〝風牙魔剣〟には魔力を底上げするという効果があるらしい。どうやら、その文言に嘘はなかったようだ。魔力が上がって、スキルも使い易くなった。
この程度の代償で済むなら、もっと色々修繕できる。もうちょっと色々やってみてもいいのかもしれない。
「こいつのお陰みたいだ」
映司が背中の剣を顎でしゃくり、肩を竦めた。
「よかった……」
優菜はほっとした笑みを浮かべた。
もしかすると、ずっとこちらが負担を背負っていたことに、罪悪感を覚えさせてしまっていたのかもしれない。
「見ていい?」
「どうぞ」
促すと、優菜が入り口から中をこっそり覗き込んで、すぐに勢いよく振り返った。
「……家の形、変わっちゃった」
「そういうスキルだからな」
答えを聞き終える前に、彼女はもう一度、今度は頭ごと入り口の中へ突っ込んでいた。
「わっ、お風呂になってる! ほんとにお風呂だよ、映司くん! これ、夢じゃないよね?」
「夢だったら俺も困る。よし……じゃあとりあえず湯を張ってみるか」
「はーいっ!」
優菜が元気よく返事をした。
彼女が感慨深そうに桶の縁を撫でまわしている間に、映司は樋の栓を抜いた。水路の水が板を伝い、壁を越えて、桶の底を叩きはじめる。水音が小屋の中で反響して、それだけでもう風呂場の音がした。
「わぁ……お風呂だ。本当にお風呂がある……」
幼馴染は、今にも泣きそうなくらい声を滲ませていた。
「まだただの水だって。本番はこっからだ」
焚き口には、二軒目から拾ってきた木っ端を組んだ。あとは火を点けて、湯になるのを待つだけだ。
「火、点けちゃうね」
優菜がそわそわとした様子で焚き口の前へしゃがんで、手のひらを向けた。
その時である。
遠吠えが、聞こえた。
昨夜より、近い。長く尾を引いた一つ目が終わらないうちに、二つ目が重なった。三つ目は、もっと近い。
「……待て、優菜」
「え?」
「浴室小屋の前まで下がれ。来るぞ」
立ち上がった優菜を背の後ろへ回して、映司は広場の向こうへ目を凝らした。
灰色の草が、割れた。
出てきたのは、狼だった。ただし、大きさが違う。肩の高さが映司の腰を越えている。半開きの口から覗く牙が、あの革紐に吊るされていた一本と、同じ形をしていた。
しかも、それ一匹ではなかった。草の割れ目が、次々に増えていく。
数は六つ。こちらは、二人。しかも、〝回収士〟と〝聖女〟という、どう考えても戦闘に向いてなさそうな二人である。
「糞ッ垂れ……マジでモンスターみたいなのが出やがった」
映司は背の縄を引き抜いて、筵ごと剣を前へ回した。筵を払い落とすと、刃の周りで空気が薄く揺れる。
都を出てから、魔物とは遭遇しなかった。どこかで、このまま平和に暮らせるんじゃないかと楽観視していたが……どうやら、異世界というのはそんなに甘くないらしい。




