第10話 壊れた家を、二人の家へ
シャツは、昼を回る頃に乾いた。
映司は井戸のそばの平らな石からシャツを取り上げ、袖へ腕を通した。布はまだ日の温度を残している。背中の縫い目が肩甲骨へ薄く当たった。針目のぶんだけ布が縮んでいるが、着られないほどではない。裂け目から風の通っていた今朝までより、よほど服らしくなっていた。
(さて。次は家だな)
広場の先に、屋根の形の残った家が六軒並んでいる。今朝、外から数えただけで、中まで確かめた家はまだ一軒もなかっま。今夜の寝床にするなら、選ぶ前に触っておきたい。
優菜が井戸の縁から立ち上がって、隣へ来た。
「どれにするの? って、全部ボロボロだけど」
「一番ちゃんと壊れてる家がいい」
「……日本語おかしくない?」
おかしい自覚はある。ただ、これより短い言い方が見つからなかった。
手前の一軒から、順に回った。戸口の柱、土台の石、梁の根元。触れるたび、直し方が頭へ流れ込んでくる。どこが死んで、どこが生きているか。〈遺失査定〉は毎回、律儀に教えてくれた。優菜は半歩後ろをついてきて、映司の手元へ一緒に屈み込んでいる。
「無理に壊された家は、直しても歪むからな。年月で崩れた家は、素直に戻る……と思う」
「〝回収士〟としての直感なんだ?」
「まあ、そんな感じかな」
二軒目は、床が根太まで腐っていた。ここだけは、直しても家には戻らないだろう。四軒目は土台の石が割れて、柱ごと傾いでいる。五軒目と六軒目は棟が折れて、屋根が片流れになっていた。
三軒目の前で、優菜が足を止めた。六軒のうち、屋根が一番綺麗に残って見える家だ。
「じゃあ、あの屋根が残ってる家じゃない?」
「いや、あれはやめたほうがいい。梁が真ん中で下がってるからな。屋根ってのは、残ってるように見える時が一番危ないらしい」
爺ちゃんの受け売りだった。もっとも、受け売りをそのまま確かめられる目が、今の映司にはあるのだが。
結局、ふたりは一軒目へ戻った。壁の板は半分抜けている。それでも、基礎と梁と柱の三つが揃って生きているのは、六軒でこの家だけだった。
(というより……最初から、ここしかなかったんだよな)
井戸を直した後、真っ先に目が行ったのもこの戸口だった。選んだのではなく、実際に触って確かめただけかもしれない。
戸口の柱の前で、優菜が一度だけ足を止めた。段になって刻まれた傷の、一番上を指でなぞる。
「…………」
彼女は何も言わなかった。映司も口を開かず、外れかけた扉の脇から中へ入っていく。
中は土間だった。抜けた壁板の隙間から、午後の光が何本も差し込んでいる。見上げれば、屋根板の抜けた穴に空が嵌まっていた。床板は奥の一間ぶんが腐って沈み、外れた扉は框に立てかけてある。骨は生きているが、肉が足りなそうだ。
足りない物の勘定は、〈遺失査定〉が先に済ませていた。板が何十枚、梁材が一本、壁土に、継ぎの木片。井戸の石三十一個が可愛く思えてくる量だ。生憎、この村に都合のいい製材所は残っていない。
映司は戸口から首を出して、隣の二軒目へ体を向けた。
「隣の家、もう誰も使わないよな」
「使う人、いると思う?」
「なら、こっちに使わせてもらおう」
優菜の返しは質問の形をしていたが、答えでもあった。
手のひらを二軒目へかざす。頭の中に、また名前が浮かんだ。
(……〈遺失回収〉)
そう心の中で唱えると、波打っていた床板が一枚、音もなく浮いた。輪郭が光の粒子にほどけて、映司の手元へ流れてくる。二枚目、三枚目。腐った根太も、外れた戸板も、続けて粒へ変わって寄ってきた。粒は手の周りに留まり、淡い渦になって回っている。
「わっ。映司くん、凄い」
「俺も自分でびっくりしてる。〝回収士〟には、こんなスキルもあるらしい」
二軒目は、みるみる骨だけになっていった。持っていかれたのは板と土で、柱は立ったまま残っている。あばらの浮いた獣のような……いや、失礼か。素材をくれる恩人である。
ふたりは一軒目の前へ戻り、両手をかざした。息をひとつ。続く言葉は、もう考えなくても口に乗る。
「捨てられた物に、もう一度、役目を──〈遺失再生〉」
粒子が、屋根の穴へ向かって立ち上った。
梁が持ち上がる。傾いでいた軸線が水平へ戻り、その上へ板が一枚ずつ寄っていった。並び順を思い出す速さで、穴が狭まっていく。壁の隙間を粒が埋め、抜けた板のあった場所に新しい面が起きた。沈んでいた床がせり上がり、腐りの色ごと入れ替わる。最後に、框へ立てかけてあった扉が浮いて、枠へ収まった。蝶番が短く鳴く。
屋根が塞がると、家の中の音が変わった。風の音が外側へ追い出されている。
最後の粒が梁の上で消えて、〈遺失再生〉の光が引いた。
目の前に、家が一軒、建っている。壁は端から端までしっかりと閉じていた。継ぎ足された板は色が浅く、元からの板は飴色で、二軒ぶんの木目が交互に並んでいる。屋根の稜線はまっすぐ通り、その端で煙突が空へ立っていた。扉は枠の中で静かに閉じ、戸口の柱だけが傷の段をそのまま残している。あれは壊れてなかったのだか、直しようがない。
到底、新築物件と呼べるものではなかった。かといって、もう廃屋ではない。長いあいだ人が住んで、手を入れてきた家、という感じだ。
家の再生を見届けたところで、勘定が来た。
息を吐こうとして、声にならない。体が右へ傾いで、膝から力が抜けた。
「おっと……あぶね」
土間へ片手をついた。井戸の時より深い。指先の震えは肘まで上がっていて、耳の奥では高い音が鳴りっぱなしだった。
「映司くん、大丈夫!?」
優菜が駆け寄って、隣へ膝をついた。背へ回しかけた手が、途中で止まる。治癒スキルが効かないことは、さっき井戸の前で確かめた ばかりだ。代わりに肩の下へ体を入れて、映司の腕を自分の首へ回させる。
「……ちょっとかっこ悪いな、俺」
「そんなのどうでもいいから。今日はもう休も?」
「いや、大丈夫。もうちょいやれそうだから、家の中も整えよう」
「もう。すぐ無茶する……」
優菜が呆れた様子で言った。
彼女はそう言うが、全てが嘘というわけでもなかった。息の戻りは井戸の時より早い。座り込む前に、借りられる肩があったからかもしれない。
少しだけ休んで、作業再開。とりあえず、中を見てみないことには始まらない。
ふたりで敷居をまたいだ。
「おお……!」
「わあっ」
入るや否や、ふたりして同時に感嘆の声を漏らした。
それもそのはず。壁の隙間から差していた光の筋は、一本残らず消えていた。土間は屋内らしい薄暗さを取り戻していて、床は端まで平ら。踏んでも、返ってくるのは軋みひとつだけだった。見上げれば、空の代わりに屋根裏の板がある。さっきまで穴から覗いていた青は、もうどこにもなかった。
「凄い凄い! 映司くん、凄いよ! ほんとにちゃんとした家になってる!!」
「ああ。でも、平屋ってのがちょっとな。できれば二階建てにしたかったんだけど」
「今はそんな贅沢いいってば」
映司が不満を漏らすと、優菜はどこか可笑しそうにツッコミを入れた。もちろん、これはちょっとした照れ隠しだ。
やっぱり、映司の直感は正しかった。この壊れたものがたくさんある世界では、〝回収士〟というのは思った以上に有意義な職業かもしれない。
そんなことを考えていると、優菜が目を細めてこちらを見ていた。
「なんだよ」
「んーん。やっぱり、映司くんってヒーローだなぁって」
「何言ってんだか。廃品回収者だって剛田か誰かが言ってただろ? ほら、家具も直していくぞ。変なこと言ってないで、手伝ってくれ」
「はぁい」
どこか気の抜けた返事をするも、相変わらずこちらがくすぐったくなるような視線を送ってくるので、調子が狂ってしまう。
気を取り直して、家具の修繕だ。
土間の隅に倒れたテーブル。脚の折れた椅子が二脚。壁際の崩れたかまどと、その脇に転がった錆だらけの鉄鍋。膝をついたまま、ひとつずつ触れていく。詠唱を口の中で転がすたび、指先から粒が散って、消耗は爪の先ほどで済んだ。テーブルの脚が起き、椅子の折れ口が繋がる。かまどの石が積み上がって、焚き口の形になった。
奥の部屋には、寝台が一台。枠の緩みが締まり、黴びて固まっていた毛布が、織り目まで戻った。これで寝れそうだ。
無事、大体の家具も揃った。古びてはいるものの、もう中もちゃんとした一軒家だ。
「……ほんとに家になっちゃった」
「我ながら、凄い能力だと思ってる」
もし映司たちの世界でこんなスキルを持っていたら、建築士も修理屋もみんな要らなくなってしまう。
優菜がちらりとテーブルの方を見やって言った。
「椅子、二脚だけでいいの?」
「ん? だって、二人しかいないだろ?」
「えっ……あっ。そ、そっか。そうだよね。何言ってんだろ、私」
どぎまぎしながら頷いて、何故か頬を赤く染める。
理由については、深堀しないようにしておこう。訊いたらこっちも自爆しそうだ。
壁際の棚には、縁の欠けた浅い鉢がひとつ伏せてあった。優菜が取り上げて、埃を袖で拭う。
「あ、見て。このお皿、可愛い」
「前の住人のか。まあ……使わせてもらおう」
差し出された器を受け取って、欠けた縁へ指を当てた。欠けが埋まると、褪せていた花の模様まで色が戻る。筆の跡が細かった。型で写した柄ではなく、誰かが一枚ずつ描いたものだ。
「ほら、直ったぞ」
「ありがとっ」
器を優菜へ返す。優菜は両手で受け取って、模様を窓の光へ向けた。しばらくそうしてから、棚のいちばん取りやすい段へ、表を上にして置き直す。
最後に、かまどの焚き口へ手を入れる。奥から頬へ、細い空気が抜けてきた。煙突が生きている。火を入れても、ちゃん機能しそうだ。
映司は膝を起こした。立ち上がる際に、ふっと意識が遠のきそうになる。
(……さすがに、もう限界かな)
色々と便利なスキルだが、一日で使う分には限度があるらしい。そういえば、魔力量も下位だと言われていた。スキルの使用回数や使用後の体調不良も、魔力が関係しているのかもしない。
(魔力を底上げするアイテムみたいなものを作れたら、変わるのかな)
一瞬考えて、首を横に振る。
今はもういい。とりあえず家は作れたし、水も確保できた。生活するだけの家具も、用意できている。
廃村生活初日にしては、万々歳の結果ではないだろうか。
「今日はこれで終わりにしとくか。腹減ったなー」
「うん。ご飯にしよ? 私もお腹ぺこぺこ」
言って、彼女は麻袋の方をちらりと見やった。そこで、ふたりのお腹が同時にぐぅっと音を立てる。
作業に没頭していたせいで、空腹を忘れていたらしい。
「えへへ。音、鳴っちゃった」
「まあ、異世界に飛ばされてから飴しか食ってないもんな」
腹が減って当然だ。
残りは明日。とりあえず、飯を食べよう。




