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脅迫されて偽装彼氏になった俺の青春が、どうにもおかしい。  作者: フィジ05


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第7話 告白は、予定どおりにいかない

 あの日の放課後。


 私は、告白の練習をしていた。


 それも、学校の旧校舎にある空き教室で。


 我ながら、ずいぶんと古典的なことをしていると思う。


 けれど、仕方がない。


 相手を前にして言葉に詰まるくらいなら、事前に練習しておいたほうがいい。


 そう考えて、放課後の教室を借りた。


 窓の外では、運動部の掛け声が聞こえる。


 夕方の光が机の端を照らしていた。


 私はスマートフォンを机に置き、もう一度、頭の中で言葉を組み立てる。


「……神谷くん」


 まずは名前を呼ぶ。


 そこまではいい。


「実は、あなたに伝えたいことがあって……」


 違う。


 少し堅苦しい。


 そもそも、これでは何か大事な相談を持ちかけるように聞こえる。


「神谷くん。私、あなたのことが好きです」


 …………。


 駄目だ。


 今度は唐突すぎる。


 私は額に手を当てた。


 普段の私は、こんなことで悩まない。


 クラス委員として話をまとめることも、先生から頼まれた仕事をこなすことも、誰かの相談に乗ることも、それなりに慣れている。


 人前で話すことに抵抗はないし、相手に合わせて言葉を選ぶことだってできる。


 それなのに。


 たった一人に、たった一言を伝えるだけで、こんなにも難しい。


「……好きです。私と付き合ってください」


 声に出してみる。


 今度は、少しだけましだった。


 けれど、言い終わった瞬間に自分の顔が熱くなる。


 誰もいない教室でよかった。


 もし今の様子を誰かに見られていたら、明日からどんな顔をして過ごせばいいのか分からない。


 私は深く息を吐いた。


 落ち着いて。


 大丈夫。


 相手は神谷くんだ。


 特別に気難しい人というわけではない。誰とでも普通に話すし、冗談も言う。授業中も必要以上に目立とうとはしないけれど、周囲から浮いているわけでもない。


 ただ、誰にでも同じ距離で接しているように見えて、実際には少しだけ線を引いている。


 その距離感が、私は気になっていた。


 彼のことを知りたいと思った。


 もっと話してみたいと思った。


 そして、気がついたときには、もう告白することを決めていた。


 私にとって、彼は初めて話す相手ではない。


 彼と最後にきちんと話したのは、ずっと前のことだ。


 今の彼は、私のことをどこまで覚えているのだろう。


 それを確かめるのが怖くて、今まで何もできなかった。


 同じクラスにいながら、まともに話すことはほとんどなかった。


 委員会の仕事で顔を合わせたり、挨拶を交わしたり。そんな短いやり取りを重ねるだけで、私はなかなか一歩を踏み出せずにいた。


 けれど、もう一度ちゃんと話したいと思った。


 今度こそ、自分の気持ちを伝えたいと思った。


 もっとも、決めたからといって、簡単に実行できるわけではない。


「……よし」


 私は自分の頬を軽く叩いた。


 何度も練習した。


 言葉も決めた。


 あとは、本人を前にして伝えるだけ。


 これなら、きっと大丈夫。


 そう思った、そのときだった。


 廊下から足音が聞こえた。


 誰かがこちらへ近づいてくる。


 私は反射的に口を閉じた。


 まさか、誰かに聞かれた?


 いや、待って。


 ここは旧校舎だ。


 放課後に人が来ることはほとんどない。


 足音が止まる。


 そして、教室の入り口に人影が差した。


「……あ」


 神谷くんだった。


 目が合った。


 彼は教室の中を見て、私の様子を確認するように一瞬だけ視線を動かした。


 その瞬間、頭の中が真っ白になった。


 聞かれた?


 どこから?


 今の「好きです」まで?


 いや、全部聞かれていたらどうしよう。


 私は何か言おうとした。


 しかし、言葉が出てこない。


 神谷くんは少しだけ首を傾げた。


 それから、何かに気づいたように口を開いた。


「……もしかして、誰かに告白する練習?」


 終わった。


 よりによって、そこを聞くの。


 私は咄嗟に教室を出た。


「ちょっと待って」


「え?」


「あなた、今のを見ていたの?」


「いや、見たというか……」


「どこから?」


「どこからって言われても」


「最初から?」


「いや、通りかかっただけだけど」


「本当に?」


 私は彼の進路を塞ぐように立った。


 落ち着いて。


 ここで取り乱してはいけない。


 学校のマドンナ、白石凛花。


 普段どおりに振る舞えばいい。


 私は壁に片手をつき、できるだけ平静を装った。


 その直後。


 ゴンッ。


 肘を壁にぶつけた。


「…………」


「……大丈夫か?」


「大丈夫よ」


 痛い。


 普通に痛い。


 でも、ここで痛がるわけにはいかない。


「本当に?」


「大丈夫だと言っているでしょう」


「さっきから大丈夫って二回目だな」


 神谷くんが少し笑った。


 ……恥ずかしい。


 この人、どうしてこういうときに限って余裕があるのだろう。


「それで?」


「それで、とは?」


「誰かに告白する練習をしていたんだろ?」


「……そうよ」


「そっか」


 彼はそれ以上、深く聞いてこなかった。


 からかったり、面白がったりする様子もない。


「誰にも言わないよ」


「本当に?」


「言いふらすような話でもないだろ」


 その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。


 よかった。


 少なくとも、今すぐ学校中に広まることはなさそうだ。


「それに」


 神谷くんは、少しだけ考えるように視線を上げた。


「伝えたいことを、ちゃんと言葉にするために練習するのは、別に悪いことじゃないと思う」


「……え?」


「大事なことなんだろ。だったら、ちゃんと伝わるように考えるのは普通だと思うけど」


 思っていた反応とは違った。


 彼なら、もっと適当に流すと思っていた。


 笑ってごまかすか、気まずそうにその場を離れるか。


 少なくとも、こんなふうに真面目に返されるとは思わなかった。


「……そうかしら」


「そうだろ。まあ、俺は詳しいことを知らないけど」


「そうね」


 私は視線を逸らした。


 この人は、時々こういうことを言う。


 何気ない言葉なのに、妙にこちらの心に残る。


 だから困る。


 もっと、普通に接してくれればいいのに。


「俺にできることがあれば、手伝うけど」


 その一言で、胸の奥が揺れた。


「……手伝う?」


「ああ。まあ、相手との関係とか、状況にもよるけど」


「そう」


「告白する相手が誰かも知らないしな」


 彼は、本当に何も知らない。


 私が誰に告白しようとしていたのか。


 誰のために、こんなに時間をかけて言葉を考えていたのか。


 きっと、想像もしていない。


 私は彼の顔を見た。


 いつもと変わらない表情だった。


 私の気持ちなど、少しも気づいていない。


 当然だ。


 同じクラスにいても、私たちはほとんど会話をしてこなかった。


 委員会の仕事や挨拶で言葉を交わすことはあっても、それ以上の関係にはなれなかった。


 それでも、私は彼に伝えようとしていた。


 好きです。


 私と付き合ってください。


 その言葉を、今度こそ。


 私は一度、息を吸った。


「神谷くん」


「ん?」


 言わなければ。


 今なら、言える。


 そう思ったのに。


 彼の目を見た途端、喉の奥が詰まった。


 もし断られたら。


 もし困った顔をされたら。


 もし、今までのように話せなくなったら。


 そんなことを考えてしまった。


 私は、彼に選んでほしかった。


 でも、選ばれない可能性を考えると、どうしても怖かった。


 彼が帰ってしまえば、また距離ができる。


 せっかく見つけたのに。


 せっかく、もう一度話せるところまで来たのに。


 そんな焦りが、頭の中を埋めていく。


 そして、私は。


「彼氏になりなさい」


「…………は?」


 言ってしまった。


 自分でも驚いた。


 今のは、告白ではない。


 お願いですらない。


 ただの命令だった。


 神谷くんは、完全に困惑した顔をしている。


 当然だ。


 こんなことを言われて、すぐに理解できる人間はいない。


「いや、待ってくれ。話が見えないんだけど」


「見えなくてもいいわ」


「いや、よくないだろ」


 私は彼の目を見た。


 今なら、まだ言い直せる。


 さっきのは冗談だと。


 やっぱり忘れてほしいと。


 そう言えば、何もなかったことにできるかもしれない。


 けれど、口が動かなかった。


 ここで引いたら、彼は帰ってしまう。


 そして私は、また何も言えないまま、彼を遠ざけることになる。


 そんな未来を想像しただけで、怖くなった。


 彼と話す機会がなくなること。


 彼の隣に立つ理由がなくなること。


 これまで積み重ねてきたわずかな接点さえ、消えてしまうこと。


 私は、それが嫌だった。


 だからといって、彼の意思を無視していい理由にはならない。


 そんなことは分かっていた。


 分かっていたのに。


「……いや、無理です。お断りします」


 神谷くんの返事は、思っていたよりもずっと早かった。


 胸の奥が、ぎゅっと縮まる。


 当然の返事だ。


 あんな言い方をして、受け入れてもらえるはずがない。


 私はすぐに謝るべきだった。


「ごめんなさい。今のは忘れて」


 そう言えばよかった。


 けれど、彼は一歩、後ろに下がった。


 それは、話を終わらせようとする動作に見えた。


 私は思わず手を伸ばしかけた。


 指先が、空中で止まる。


 待って。


 まだ帰らないで。


 そう言いたかった。


 でも、何と言えばいいのだろう。


 もう一度、告白すればいい?


 今度こそ「好きです」と伝えればいい?


 そんなことをすれば、彼はどう答えるだろう。


 断られたら。


 彼が困った顔をしたら。


 私には、その返事を受け止められる自信がなかった。


 そのとき、ふと頭に浮かんだものがあった。


 以前、神谷くんがスマートフォンで、ある匿名アカウントを開いているところを見かけたことがある。


 『恋愛構造研究室』。


 最初は、ただの偶然だった。


 けれど、画面に表示された投稿を見て、私は少し引っかかった。


 文章の言い回し。


 言葉の選び方。


 物事を一歩引いて分析するような書き方。


 目の前の神谷くんが普段話すときの癖と、どこか似ていた。


 その後、いくつかの投稿を読み返した。


 そして、確信した。


 彼が書いているのだと。


 あのアカウントのことを、私は知っている。


 もちろん、誰かに言うつもりはなかった。


 彼の秘密を知ったからといって、それを利用しようなどとは考えていなかった。


 少なくとも、今日ここに来るまでは。


 でも今、彼が帰ってしまおうとしている。


 私は、彼を引き止める言葉を探していた。


 その結果、頭に浮かんだのが、最も使ってはいけない言葉だった。


「待って」


 神谷くんが足を止めた。


 今なら、まだやめられる。


 謝ることもできる。


 けれど、私は口を開いてしまった。


「あなたのアカウントのこと、知っているわ」


 神谷くんの表情が変わった。


 その反応を見て、私は自分が何を言ったのかを理解した。


 違う。


 こんなことを言うつもりではなかった。


 私は彼に選んでほしかっただけなのに。


「……『三次元恋愛からの卒業、および二次元恋愛構造の研究に関する声明』。あの投稿を書いたの、あなたでしょう?」


「…………」


 沈黙が落ちた。


 神谷くんは、私から目を逸らさなかった。


 その顔から、さっきまでの穏やかさが消えていた。


「……あんた、ずいぶん卑怯な真似するんだな、あんた。弱みを握り、それを盾に相手を自分の意のままに操ろうってか? いくら俺でもそんな単純じゃねぇよ」


 彼の声は、明らかに冷たくなっていた。


 胸が痛んだ。


 違う、と言いたかった。


 最初からこんなことをするつもりはなかった、と。


 でも、それは言い訳にしかならない。


 今、私は彼の弱みを使おうとしている。


 彼が嫌がることを、分かったうえで。


 私は唇を噛んだ。


 やめなければ。


 今ならまだ、謝れる。


 そう思った。


 けれど、怖かった。


 ここで謝って、彼が帰ってしまったら。


 今度こそ、彼との接点がなくなってしまったら。


 そんな考えが、頭から離れない。


 彼の意思を尊重しなければならない。


 彼に嫌われたくない。


 その二つが、頭の中でぶつかっていた。


 そして、私は。


「なら、バラすだけね」


 言ってしまった。


 もう、戻れない。


 神谷くんは黙っていた。


 私も何も言えなかった。


 さっきまで何度も練習していた告白の言葉は、結局一度も口にできなかった。


 好きです。


 私と付き合ってください。


 たったそれだけの言葉が、どうして言えなかったのだろう。


 私は、彼に選んでほしかった。


 彼の隣にいたかった。


 なのに、自分の手で彼の選択肢を奪おうとしている。


 そんなことをすれば、彼に嫌われるに決まっている。


 分かっていた。


 それでも、止められなかった。


 机の上に置いたままのスマートフォンを見る。


 画面には、さっきまで練習に使っていた文章が残っていた。


 『好きです。私と付き合ってください』


 それを見て、私は小さく息を吐いた。


 ……こんなはずじゃなかった。


 今日は、ただ告白をするつもりだったのに。


 どうして、こんなことになってしまったのだろう。


 答えは分かっていた。


 私が、怖がったからだ。


 そして、その怖さを理由に、彼を傷つけた。


 それだけは、決して忘れてはいけないと思った。

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