第3話 俺の意志は、思ったより安かった
「……いや、無理です。お断りします」
俺は即答した。
そもそも、学校一の美少女と付き合う理由がない。ましてや、それが偽装となればなおさらだ。
こちらに何のメリットもないどころか、面倒ごとの気配しかしない。
できることなら、今すぐこの場から立ち去りたいくらいだった。
「……断るのね?」
「はい」
「本当に?」
「何度も確認しなくていいですよ。断っています」
「そう」
白石凛花は、妙にあっさりとうなずいた。
拍子抜けするほど素直な反応だった。
……なんだ。話が通じるじゃないか。
そう思った次の瞬間。
「あなたの秘密をバラすことにするわ」
「分かってないじゃないですか!」
前言撤回。
この人、まったく話が通じない。
「ちょ、ちょっと待ってください。秘密ってなんですか」
「これよ」
凛花はスマートフォンを取り出し、画面をこちらに向けた。
そこに表示されていたのは、見覚えのあるアカウントだった。
いや、見覚えがあるどころの話ではない。
俺が運営している匿名アカウント――『恋愛構造研究室』。
そして、画面に表示されていた投稿のタイトルは。
『三次元恋愛からの卒業、および二次元恋愛構造の研究に関する声明』
「…………」
やめろ。
今すぐその画面を閉じてくれ。
頼むから。
「これ、あなたのアカウントでしょう?」
「な、なぜそれを……」
「この前、学校であなたが開いているところを見たの。そのときは偶然だったけれど、投稿を読んでいたら、あなたの普段の話し方と似ている部分があって。気になって、いくつか照らし合わせてみたのよ」
「そんな探偵みたいな真似を……」
「確信したのは、ついさっきだけれど」
凛花は、画面を見下ろしたまま淡々と続けた。
「それにしても、なかなか興味深い投稿が多いわね。恋愛作品における心理描写の分析とか、登場人物の台詞の意味とか。ずいぶん熱心に考察しているのね」
「そこは別にいいでしょう……!」
「この投稿なんて、特に興味深かったわ」
「そこを読み上げるな!」
思わず声が大きくなった。
よりによって、それか。
俺は心の中で頭を抱えた。
そもそも、このアカウントは中学に上がる前から続けているものだ。
漫画やアニメ、ライトノベルの恋愛描写を分析して、自分なりの考えを投稿する。気づけば長文になり、コメント欄で議論することもあった。
好きでやっていることだし、今でも大切な趣味のひとつである。
アカウントを始めたのは、現実の恋愛で何かあったからではない。
そこは断じて誤解しないでほしい。
ただ、匿名だからこそ書けることもある。
誰かの顔色をうかがう必要もなく、自分の考えを好きなだけ言葉にできる。作品について熱く語ったところで、現実の人間関係にまで影響することはない。
俺にとっては、そういう場所だった。
……いや、少なくとも、そういう場所であってほしかった。
問題は、画面に表示されている投稿だった。
『三次元恋愛からの卒業、および二次元恋愛構造の研究に関する声明』
タイトルからして、だいぶ面倒くさい人間の文章である。
これは、中学時代に現実の恋愛で傷ついたあと、自分の気持ちを整理するために書いたものだった。
二次元の恋愛作品を好きなことと、現実の恋愛を避けることは、本来なら別の話だ。
それでも当時の俺は、現実の恋愛から距離を置くことで、ようやく気持ちを落ち着かせていた。
あの投稿は、そのための区切りだった。
今読み返しても、当時の自分にとって必要な文章だったとは思う。
思うのだが。
それを同じ学校の人間に読まれるとなれば、話はまったく別だ。
「……これ、誰にも知られたくないんでしょう?」
凛花は、俺の反応を確かめるようにスマートフォンを傾けた。
「投稿の内容もそうだけれど、あなたが運営者だと知られることが問題なのよね。今まで匿名だからこそ書けたことも、全部あなた自身の言葉として読まれる。違う?」
「…………」
否定できなかった。
アカウントを知られるだけなら、まだいい。
問題は、そこに書かれた言葉と、現実の俺がひとつにつながってしまうことだ。
これまで積み重ねてきた投稿も、コメント欄で交わしてきた議論も、すべて「神谷蓮が書いたもの」として読まれる。
今までどおり、気楽に発言することは難しくなるだろう。
何より、学校の知り合いにあの声明を読まれるのだけは避けたい。
別に、二次元の恋愛を分析する趣味が恥ずかしいわけではない。
そこは勘違いしないでほしい。
ただ、自分が過去に書いた文章を、現実の知り合いに読まれるというのは、また別の問題なのだ。
「……あんた、そこまで分かってて言ってるのか」
「ええ」
凛花は悪びれる様子もなく答えた。
「あなたが断ったから、こうするのよ」
「それは理屈としておかしいだろ……!」
「そうかしら?」
「そうでしょうが! 断ったら秘密をバラすって、それはもう交渉じゃなくて脅迫なんだよ!」
「脅迫……」
凛花は、まるで初めて聞いた単語のように繰り返した。
そして、少しだけ考え込んだ。
「……そう。これが脅迫なのね」
「今、学習しないでください!」
なんだ、この人。
自分のやっていることがどういう行為なのか、今になって理解したのか。
いや、理解したうえでやっている可能性もある。
そのほうが、よほど怖い。
「……おい、ずいぶん卑怯な真似するんだな、あんた。弱みを握り、それを盾に相手を自分の意のままに操ろうってか? いくら俺でもそんな単純じゃねぇよ」
俺はできる限り冷静な声で言った。
ここで折れるわけにはいかない。
どれだけ知られたくない秘密だろうと、脅されて言いなりになるなんて、あまりにも情けない。
俺は凛花の目をまっすぐ見た。
「……だから、断る。何を言われても――」
「なら、バラすだけね」
「…………」
「…………」
*
翌日。
昼休み。
俺は、青楓高校の中庭にいた。
昨日から今朝までの経緯については、俺の名誉のために割愛する。
ただひとつ、事実として伝えておきたい。
俺は今、白石凛花の指示に従い、ここで待機している。
……いや、別に指示に従っているわけではない。
状況を確認するためだ。
そう、状況確認。
俺は自分にそう言い聞かせながら、中庭を見渡した。
中央には凛花が立っている。
その向かいには、三年生らしき男子生徒。
どうやら、あれが例の先輩らしい。
今朝、凛花とは連絡先を交換させられた。昼休みに告白があることも、そのときに聞かされた。
俺の役目は、適当なタイミングで現れ、彼氏らしく振る舞うこと。
……我ながら、ひどい役目だと思う。
せめて事前に台本くらい用意してほしい。
いや、台本があっても嫌だが。
中庭には、昼休みを過ごす生徒たちがちらほらいた。
そのうち何人かは、二人の様子が気になっているらしい。
先輩は背が高く、整った顔立ちをしている。制服もきちんと着こなしており、いかにも自分に自信がありそうな雰囲気だった。
人目があることも、承知しているのだろう。
それでも、ためらう様子はなかった。
「白石さん。急に呼び止めてごめん」
「いえ。どうされましたか?」
「どうしても、直接伝えたいことがあってさ」
先輩は一度、深く息を吸った。
「俺、白石さんのことが好きなんだ。前からずっと気になってて……よかったら、俺と付き合ってほしい」
凛花は、静かに頭を下げた。
「……ごめんなさい。お気持ちは嬉しいのですが、お付き合いすることはできません」
返事は実に丁寧だった。
曖昧な期待を持たせることもない。
これで終わりだろう。
俺もそう思った。
ところが。
「……え?」
先輩は、納得がいかないという顔をした。
「いや、ちょっと待って。なんで?」
「申し訳ありませんが、そういう気持ちにはなれないので」
「いやいや、なんでそうなるの?」
「……と言いますと?」
「いや、俺、これでも結構女子に人気あるんだけど」
…………。
何だろう。
今、ものすごく聞き覚えのある論理を聞いた気がする。
昨日の凛花も、似たようなことを言っていた。
自分が誰なのか、分かっているでしょう。
もしかすると、学校の美男美女というのは、自分の評価を交際成立の根拠にする傾向があるのだろうか。
「もちろん、先輩が人気のある方だということは存じています」
「だったら、別に俺でよくない?」
「……はい?」
「いや、だからさ。俺、別に悪い条件じゃないと思うんだよね。成績も悪くないし、運動もできるし、女子からも結構声をかけられるし」
「…………」
「それなのに、なんで俺は駄目なの?」
凛花は困ったように眉を下げた。
それでも、声は穏やかだった。
「人として素敵な方だとは思います。でも、それと恋愛感情は別ですから」
「いや、でもさ」
先輩は引かなかった。
「好きになってもらえるように頑張るとか、そういう余地もないの?」
「申し訳ありません。今は、そういうことを考えていないので」
「今はってことは、これからはあるかもしれないってこと?」
「……そういう意味ではありません」
「じゃあ、何が駄目なんだろう」
堂々巡りだった。
凛花は何度も断っている。
それなのに、先輩は自分が納得できる理由をもらうまで、引き下がるつもりがないらしい。
告白というのは、自分の気持ちを伝えるものだ。
相手から同じ気持ちを返してもらうことを、要求するものではない。
……と、本人に言ってやりたいところだが。
俺はまだ、植え込みのそばにいる。
今のところ、出番ではない。
あくまで、適切なタイミングで登場することになっている。
適切なタイミングとは、いつなのだろう。
こういうのは、もう少し分かりやすい合図を用意してほしい。
そう思っていたときだった。
凛花が、そっとスマートフォンを取り出した。
画面を見下ろし、指先を動かす。
……連絡だ。
俺のスマートフォンが震えた。
『どうせ見てるのでしょ。助けて』
短いメッセージだった。
俺は画面を見つめた。
そして、中庭の二人へ視線を戻す。
先輩は、凛花の様子に気づいたようだった。
「……え、何?」
「…………」
「ちょっと。俺と話してるんだけど」
凛花はスマートフォンをしまうと、先輩に視線を戻した。
「……申し訳ありません」
「いや、謝ってほしいんじゃなくてさ。ちゃんと話を聞いてほしいんだよ」
先輩の声が、少しだけ大きくなった。
周囲の生徒たちが、ちらほらとこちらを見始める。
……なるほど。
どうやら、今らしい。
俺はスマートフォンをポケットにしまった。
植え込みのそばから一歩、外へ出る。
中庭の中央には、いつの間にか人だかりができ始めていた。
告白を見物するつもりだったのか、それとも先輩のしつこさが気になったのか。
理由は分からない。
ただ、ここを通り抜けなければ、凛花のところへ行けないのは確かだった。
「すみません、ちょっと通してください」
人の間をすり抜ける。
「え、何?」
「すみません、通ります」
俺は頭を下げながら、人混みを割って進んだ。
先輩が凛花に何か言いかけた、その瞬間。
俺は二人の間に立った。
「……すみません。話、まだ終わってないんだけど」
先輩が、怪訝そうに俺を見た。
「君、誰?」
「俺、こいつの彼氏なんで」
言った。
言ってしまった。
昨日までの俺なら、絶対に言わなかったであろう一言を。
先輩の表情が固まった。
「……は?」
周囲が、ざわつく。
凛花はスマートフォンをしまうと、いつもの涼しい顔でうなずいた。
「本当です。私と神谷くんは、正式にお付き合いしています」
次の瞬間。
「えーーーーーーーーーーーーっ!?」
中庭に、生徒たちの叫び声が響き渡った。
……。
俺の意志は、思っていたより安かった。




