それぞれの事情②
今日は喉が痛い。
打撲の後遺症か腹部の調子も、すこぶる悪い。
授業が終わったら速攻で帰ろう。
そう思っていたのだが。
「伊藤ちゃ~ん。コレの解き方、全然わかんないにゃぁ~」
「それ、前回ちゃんと教えたでしょ? どうして一回で記憶しないの?」
「まぁまぁ。俺達、伊藤さんみたいに頭良くねぇからさぁ。ちょっと教えてくんない?」
「そうやって、すぐ人に頼る。努力しないから駄目なのよ」
放課後。
いつもの面子による、ファーストフード店での勉強会。
なし崩し的に巻き込まれた。
高校受験を控え、少しでも学力を伸ばそうとする姿勢は否定しない。
自分自身、もともと数学系は得意じゃないので、復習の良い機会ではあるのだが。
「栗田さん。何か欲しい物あるか?」
「あぁ、私は…特にいらない」
真横に三川君。
正面には古村君。
他の女子が気を遣った結果だけど、圧が半端ない。
二人とも高身長、格闘技系の肉体派。
先日、危うく死にかけたトラウマで、心が全く落ち着かない。
彼らに悪気がないのは判っているが、体が勝手に怯えている。
この状態、暫く続くのだろうか。
学校の教室でも、男子が近付く度に緊張する始末。
これ、一週間で治るのかなぁ。
「ちょっと、トイレ」
シャーペンを置き、立ち上がった。
少し気分転換がしたくて。
「ここって、二階だよね?」
「そうであります。栗ちゃん一緒に行く?」
迷子を心配する母親のような発言。
「いや、大丈夫」
苦笑しながら木村さんに手を振り、席を離れた。
ショッピングモール内の店舗だと、大概トイレが遠い。
個室が多い分、順番待ちが短くて済むけど。
エスカレーターに乗り、更にフロアの奥へ。数分歩いてようやく辿り着いた。
女子の姿に変わってから一年以上経つのだが、油断すると男子トイレに足を踏み入れてしまう。
更に言えば女子用に入るのも、抵抗を感じてしまう。
別に悪い事は何もしていないのだが。
一呼吸入れてからトイレ内へ。
個室には入らず、洗面所へ。
水を出し顔を洗った。
冷たい流水を手ですくい取り、何度も何度も洗った。
浮つく気分を沈めるために。
精神統一の行水をしている気分だった。
今朝、宇垣さんには、気付かれずやり過ごせた。
大丈夫。
もう、大丈夫。
心が落ち着いた所で、トイレを出た………ら、待ち伏せされていた。
「栗田さん。大丈夫か?」
情緒不安定の要因に、トイレの出口で鉢合わせ。
「三川君もトイレ?」
「まぁ、そんなところだ」
嘘つき。
喉元まで出かけた言葉を、辛うじて飲み込んだ。
「今日、何か変だぞ?」
「別に」
「ずっと落ち着きがねぇからさ。困った事でも、あんのか?」
君が側に居るからだよ。
そう言いたくなるも、大本の元凶は五月さんなので、責めるのは酷か。
「ちょっとね」
このままシカトして席に戻っても良いのだが。
彼の事だから、このまま大人しく引き下がるとは思えず。
「嫌な事があったから、臆病になっているだけだよ」
相手が安心するように、少しだけ事情を口にした。
「誰にやられた? 学校のヤツか?」
「その、肉体言語で解決しようという性格。流石に迷惑なんだけど」
どうして喧嘩したと思うのかなぁ。
ある意味、間違ってはいないが。
「教えてくれよ。気になるじゃねぇか」
「形式上の彼女だから?」
「オマエを守るのは、オレの役目だろ?」
喜んで良いのか、困るというか。
「だから心配ないって。子供じゃ………」
いや。
今の肉体は、まだ子供か。
大人と言うには、少なくとも三年は早い。
「守ってくれるのは、惚れた女だから?」
「そうだ。悪いか」
胸を張って言われると、どんな顔をしたら良いのか迷う。
だが不思議と、嫌な気分ではなかった。
「どうしても理由を知りたい?」
「あぁ。教えろよ」
正直に応じる義理はないのだが。
きっと彼の事だ。いつまでも心配し続けるのだろう。
自分が男へ戻っていた時に、わざわざ真夏の同人詩即売会まで、探しに来たくらいだから。
「誰にも秘密にすると約束……出来る?」
「いいぜ」
「絶対だよ」
周囲に人がいない事を確認すると、首の包帯に指を掛けた。
シュルシュルと音を立てる衣擦れ。
全て指で巻き取ると、彼が見やすいように顎を上げて見せた。
「その首の痣………どうした?」
「殺されかけた。首を絞められて」
「はぁっ!?」
驚きの声が通路に響き渡る。
静かにしろと、唇に人差し指を立てた。
「な、な、なにやってんだよ、オマエ……」
想像の斜め上だったのか、オロオロと狼狽える三川君。
「ちょっとね。やばい事を調べていたらさ。怖いお兄さんが出て来ちゃってぇ。いやぁ、油断したねぇ。本気で怖かったよぉ~」
あっけらかんと明るい口調で笑いながら話した。
相手の顔色が変わるのを堪能しながら。
「いや、オマエ、ダメだろ。つーか、マジで何やってんだよ?」
この男でも、青ざめる事なんて有るのか。
体格が大人並みでも、心は男子中学生だからな。
危うく死ぬところだったと、彼女に言われたら、普通そういう反応をするか。
「でも、大丈夫だよ。もうその場所には、二度と近付かない。今回の事で、私も反省したから……さ」
以前に出会った性別反転者は、誰も彼も良い人ばかり。
慢心していた。
今の自分は、ひ弱な少女だという事を、改めて思い知らされた。
「そんなわけで、今は背の高い男性が苦手なのさ。これで納得した?」
「するわけ、ねぇだろっ!」
ちゃんと話したんだがなぁ。
もっとも、宇垣さんにも同じ事を告白したら、小一時間ほど説教される気がした。
「その……やばい調べものって、まだ、すんのか?」
「方法は変えるよ。もう、危ない目に遭うのは嫌だし」
ある程度、必要な情報は揃った。
次に行うのは、分析と実践だ。
「栗田さん、頼みがある」
「なに?」
「今度、その調べものをする時は、オレを連れて行け」
時代劇か、映画のワンシーンような台詞を、三川君は口にした。
至極、真面目な顔で。
危うく噴き出しそうになった。
「いつでも、オマエに付きあってやるよ」
「それは頼もしいねぇ」
そんな機会があるかは不明だが。
「じゃぁ今度。危ない橋を渡る時は、君のお世話になろうかな♪」
たとえ下心からの申し出であったとしても。
心配してくれる彼の気持ちは、素直に嬉しかった。




