鬱屈な被災者達 S氏の事情
この家かな?
ありふれた閑静な住宅街。
休日の午前中とはいえ人気は無く、車の音すら聞こえず。
スマホを取り出し、念のため住所を再確認した後、呼び鈴を指で押し込んだ。
どんな人が出て来るのだろう。
見た目は普通との事だが自己申告だからなぁ。
ドキドキしながら待つ事数分。
玄関の扉が、ゆっくり開いた。
「アンタ、誰?」
出て来たのは高校生くらいの男子。
背が高く、体格も良い。
そして何故か睨まれた。
「さ、五月さんに、会いに来ました」
緊張で思わず声が裏返った。
「あぁ、妹の………って、今は弟か」
兄らしき男は溜息をつきながら頭を掻いた。
「それで? 何の用?」
どうやら自分は好ましからぬ来訪者らしい。
「そ、相談を受けまして」
「アイツから?」
「は、はい」
じっくり上から下まで観察されるや、再び男は頭を掻いた。
「じゃぁ、入って」
「お邪魔…します」
おっかなビックリ玄関へと足を踏み入れた。
「部屋はコッチだ」
案内されるがままに階段を登り二階へ。
扉を指差すも、そのまま数秒、じっとコチラの顔を見つめた。
「もしかして。あんたも、アイツと同じなのか?」
「まぁ、そんな感じです」
素直に元は男ですと言う気になれず。
ご想像にお任せしますと笑顔を作った。
「ちょっと待ってくれ」
兄らしき男は扉を開けるや、隙間に顔を入れた。
「五月っ! 変な女が来てるんだが、入れても良いか?」
変な女?
外観は普通だよなぁと、思わず自分の姿を確認。
「入って良いってよ」
「失礼します」
いよいよ対面か。
軽く深呼吸した後、敷居を跨いだ。
「こんにち…は」
初対面で好印象をと思うも。
室内に足を踏み入れた途端、舌が止まった。
薄暗い室内。
灯りはなく、窓際のカーテンは閉じられたまま。
部屋主らしき男子が、ベッドの上で体育座りをしたまま、じっとコチラを見つめていた。
「はじめまして。由喜です」
明るく振る舞うも、かえって相手の雰囲気とギャップを強調する結果に。
一瞬、廻れ右で退室を考えるも、バタンと背後で扉の閉まる音が鳴った。
「は…はじめましてぇ。サツキです。ごめんね。さっきまで寝てたから」
囁くような小さな声だった。
「今、明るくするねぇ」
リモコン操作の電子音。
点灯される天井の光に、一瞬目がくらんだ。
「わざわざ遠くから来てくれて、ありがとうねぇ。適当に楽にして良いよぉ」
「あ、はい……」
手土産でも持参すべきだったかなぁと、今更ながらに思った。
会話を続けるのに都合が良いから。
目が慣れるにつれ、ようやく相手の姿をハッキリと視認。
中肉中背の男子。体格は平均的。
年齢は中学三年か、または高校生か。
何となく大人しそうな性格に見えた。
「由喜ちゃんも、あたしと同じなんだよねぇ?」
「はい。元は男です」
「まさか、お仲間がいるなんて、ビックリしたよぉ~」
外見は男子だが、話し方は女子そのものだった。
「女の子になった時、由喜ちゃんは驚いた?」
「はい。とても」
当初は何が起きたのか、暫く理解出来なかった。
「私よりも、家族の方が驚いていましたけど」
妻と娘から向けられた冷たい視線。
不審者として、家から叩き出されるかと思った。
「それ、あたしと同じだぁ~」
部屋主はケタケタと声を上げて爆笑した。
笑い涙を指で拭うくらいに。
きっとこの人も、自分と同じ艱難辛苦を体験したのだろう。
「もしよろしければ、五月さんが男になった経緯を教えて戴けますか?」
「え? 同じじゃないの?」
「人によって、方法が異なるみたいでして。差し支えなければ、お聞かせ願えませんか?」
なるべく下手に、相手を刺激しないよう丁寧にお伺い。
「あたしはねぇ。ネットで見付けたんだぁ。性別を変えたい人、募集中………みたいな?」
のんびりとした口調で、訥々《とつとつ》と語った。
「いつ頃ですか?」
「去年の十二月だよ」
「それって、中旬から下旬くらい?」
「うん、多分そのくらい」
すると年度は違えど、自分と同じような日付か。
「それでぇ。面白そうと思って登録したら、更に希望の年齢とか打ち込む画面が出て来てぇ~」
「あの、最初の登録って、どんな感じでした?」
「えっとねぇ~。名前と生年月日とぉ、顔写真も送ったかなぁ」
「その登録画面に、今でもアクセス出来ます?」
思わず身を乗り出し尋ねた。
「多分、いけると思うよぉ」
枕元から拾い上げられるスマホ端末。
自分も鞄から取り出し、追検証が出来るよう起動させた。
「あれ? 登録が出来ないっぽい?」
「ダメですか?」
「うん。入り口が消えてるっぽい」
見せて貰ったのは、あの性別反転を反転するホームページの入り口。
「以前はこの下に登録のアイコンがあったんよ」
画面の何もない部分を指差した。
「なるほど」
つまり、登録が完了するとアイコンが消える仕様なのか。
恐らくそれで、人数を制限しているのだろう。
「由喜ちゃんも、ここにアクセスしたの?」
「そうですよ」
正確には背景画像の色が違っていた。
リンク先のアドレスは別だろう。
恐らくだが。
新規に探せば、登録画面にログイン出来るかもしれない。
「貴重な情報、感謝します」
用件は済んだ。
このまま家に帰りたいところだが。
「そういえば五月さんは、悩みがあると伺いましたが」
「あるよ。ちょっと重めだけど」
「よろしければ相談に乗りますよ」
床に腰を下ろしながら、続きを促した。
情報の御礼に、ここまで来た目的も果たしておこうと。
「あたしねぇ。人付き合いが苦手なんだ」
浮かんでいた笑みが、ふっと消えた。
「他人が怖くてさぁ。学校にもずっと行けなくてぇ。男子になれば、変わるかなぁと思ったら………そんな事、全然なくってぇ~」
ベッドの上で膝を抱えながら、言葉を吐き出した。
「男として、どうやって生きたら良いのか、サッパリ判んなくてぇ~」
「その気持ち、判ります」
自分も最初はそうだった。
経歴が一切合切、白紙になる。
性別が反転した者が例外なく受ける災禍だった。
「でもねぇ。今日、何となる方法を見付けたんだぁ~」
「それは、どのような?」
そう尋ねると。
五月さんはベッドから降り、いきなり自分の手を握った。
「由喜ちゃん、あたしと一緒に暮らそうよ♪」
「は……はぁっ?!」
予想外の申し出に、変な声を上げてしまった。
「同じ性別が反転した者同士じゃん? 絶対、相性良いって!」
手を力強く握り締め、笑顔で迫った来た。
なんでこう、自分の周囲には強引な男ばかりが寄って来るのやら。
「ご、ごめんなさい。私、家族がいますし、通っている学校もココからは遠いので、ご期待には沿えません」
微笑みを浮かべながら、やんわりとお断りした。
「ダメなのぉ?」
「私、いつ男に戻るか、判りませんし」
嘘は言っていない。
あのシステムを介さず、女子中学生の身体に戻ったのは事実であり、明日いきなり中年男性に戻る可能性を否定しきれなかった。
「それについては良い方法があるじゃ~ん♪」
「いい、方法?」
「由喜ちゃん、注意書き読んでないの?」
ずずいと、五月さんは身を寄せて来た。
密着するほどに接近するや、意味有りげに笑みを浮かべた。
「ちゃんと書いてあったじゃん。妊娠中の女性は、男に戻れません……て」
「へ……」
男子の大きな手が、いきなり自分の顔を鷲掴みに。
次の瞬間。
後頭部に衝撃が走った。
「がっ!?」
頭が床へと叩き付けられた。
「や、やめ…ひぃっ!!」
男子の腕は止まらず、数度、鈍い音が部屋に鳴り響く。
「さ、さつき…ぐっ! ぃだっ! ひぃっ!?」
頭に激痛が走る度、意識が飛びかけた。
「由喜ちゃん、痛い? 痛い? 痛いよねぇっ!? あたし、ずっと学校で、こんな目に遭ってたんだよぉっ!?」
それは悲哀に満ちた慟哭だった。
「大丈夫だよ由喜ちゃん。顔は狙わないから。痣になったらバレちゃうっしょ? だから……」
ゴツリと床へ頭を押しつけると、五月さんは興奮気味に荒い息を吐いた。
「だから、みんなこうするんだ。あたしに」
「ごふっ!?」
お腹の溝、肺のすぐ下に。
重い鈍痛が走った。
「ぁっ!? ごほっ! や、ぐふっ!」
胃へと容赦なく叩き込まれる拳。
ココへ来る前に食べた物が、喉元までせり上がった。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ~っ! あたしと生きてよ♪ あたしの子供産んでよ♪ 一緒に楽しい事しようよ………って、なんでズボンなの? これじゃ、脱がし辛いじゃん」
男の手がベルトへと伸びる。
それはさせまいと、咄嗟に手でバックル金具を掴んだ。
念のためと思い、スカートを穿かなくて良かったと思いながら。
「もしかして怖いの? 大丈夫だよぉ。痛いのは最初だけだからぁ。あたしみたいに、すぐ慣れるって♪」
「そういう…問題じゃない」
笑顔で迫る加害者。
覗き込まれる瞳。
ゾクリと背筋に悪寒が走った。
「ちゃんと優しくするからさぁ。あたしと気持ち良い事しようよぉ。それとも、無理矢理されたい? 良いよ、それでも」
再び持ち上がる拳。
「ぉっ! んっ! ぁがっ!」
執拗な内臓への打撃。
這い上がる胃液。
抵抗を試しみるも、不利な体勢なうえに、女の細腕では防ぎきれなかった。
「そんなに拒否されると、あたしも傷付くなぁ。似た者同士、仲良くしようよ。由喜ちゃんだって、痛いのは嫌でしょ? 我慢して新しい生活を受け入れてよぉ♪」
五月さんは笑いながら言った。
目を大きく見開きながら。
何故か涙を浮かべながら。
「わ……私、判るよ。五月さんの気持ち」
吐き気をこらえながら、震える声で語り掛けた。
「どれだけ辛いのか。どれだけ悲しかったのか。私には痛いほど判るよ」
「でしょ、でしょ? やっぱり相性良いって、あたし達ぃ~♪」
その言葉を待っていたとばかりに、自分を組み敷く男子は両目を輝かせた。
「でもね………。私は同じ事を思わない」
「はぁっ?」
「自分がされた嫌な事を、他人にしようなんて、私は思わないっ!」
肺の空気を全て絞り出すように、声を張り上げた。
「だから、わたしは絶対、あなたを好きになれないっ!!」
激しい痛みにより過剰分泌されるアドレナリン。
その高まる心拍に背中を押されるが如く、拒否宣言を正面から叩き付けた。
「……じゃぁ、死ねよ」
スルリと蛇のように伸びて来た両手。
「がはっ!?」
首に巻き付くや、強い力で締め上げられた。
絞首刑のロープのように、ギリギリと。
「ぉ……ぉぐ……が……」
これ。
マズイかも。
多分、本当に死んじゃう。
バクバクと高鳴る心臓。
朦朧とする視界。
体を捻り逃れようとするも、馬乗り状態で身動きが取れず。
どうして、挑発なんかしたのやら。
大人しく従う振りでも、するべき……だったかな?
反省は後からでも出来る。
今は……。
「ぐっ!?」
首に絡まる十本の指。
その内の小指のみを強引に握り、渾身の力で両手首を捻った。
「痛っ! や…やめ……」
みしみしと、しなる小指。
苦痛に歪む男の顔。
首を締める指の力が緩み、僅かながら肺へと空気を送り込んだ。
このまま力を込めれば、両手の小指をへし折る事は可能。
だが、問題はその後だ。
果たして、部屋から逃げ出せるのか?
扉までの距離を確認しようと視線を向けた時。
ガチャリと。
前触れなく、それは開いた。
「何やってんだ、オマエら」
姿を見せたのは、この部屋へ案内した彼の兄だった。
ズカズカと部屋へ入るなり、二人の元へ。
「ち、ちがう」
首に巻き付いていた指が離れた。
「これは…その…」
五月さんは咄嗟に言い訳を口にするも。
問答無用とばかりに、その顔へ拳が振り下ろされた。
「がっ!?」
鈍い打撃音。
慌てて逃げようとするも、追い打ちで腹部を蹴り上げられた。
「げふっ!!」
勢いでそのまま体が窓際へと転がった。
その様を見て、同情する気は全く起きないが。
流石にアレは痛そうだなと思った。
「オマエが男で良かったよ。遠慮なく、顔を殴れる」
「ひっ!?」
先程までの威勢はどこへやら。
五月さんは身を守るように体を丸めた。
「アンタ、大丈夫か?」
大丈夫……と、命の恩人に答えようとするも、乱れた呼吸が収まらず。
相手の目を見ながら、何度も頷いて見せた。
「悪りぃけど、今日は帰ってくれ」
再びコクコクと首を縦に振りながら、鞄を引き寄せる。
急いで立ち上がろうとするも、足下が覚束ない。
恐怖か、首を絞められた後遺症か、全身が小刻みに震えていた。
「五月。女に戻れ。出来るんだろ? オマエは男に向いてねぇよ。オレが……助けてやっから」
会話を背中で聞きながら、部屋を後にした。
あの二人なら。
きっと何とか、なるだろう…………。




