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雛代の箱庭  作者: N


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8/25

8話


昼すぎ、私たちは白い場所に作った椅子を見に行くことになった。


朝よりも少しやわらかい光が落ちていて、

景色の輪郭はどこかぼんやりしている。


椅子は白の中にぽつんとあるわけではなかった。

もうまわりには花も、道も、小さな影も増えていて、

ちゃんと「そこに置かれたもの」になっていた。


「ほら、ここ」


ウメが先に歩いていって、嬉しそうに振り返る。


「昨日よりちゃんと馴染んでる気がする」


「うん」


私は頷いた。


たしかにそうだった。

作ったばかりのときよりも、

景色の一部として落ち着いて見える。


キクは少し遅れて来た。

何も言わずに椅子を見て、

そのあと、ほんの一瞬だけ私を見た。


「座ってみようよ」


ウメが言う。


私は自然に頷く。


誰がどこに座るか、相談はしなかった。

けれど、気づけばキクが私の隣に座っていた。


反対側にウメが腰を下ろす。


三人で座ると、

思っていたよりもぴったりだった。


狭くはない。

でも、余る感じもしない。


「……すごい」


ウメが嬉しそうに言う。


「ちゃんと三人で座れる」


言いながら、

自分の膝の上に手を揃える。


その仕草が妙にきちんとしていて、

たぶん無意識なんだろうなと思った。


「ほんとだね」


私も言った。


隣ではキクが静かに座っている。


肩は触れない。

でも、少し動けば触れそうなくらいには近い。


「ねえ」


しばらくして、ウメが前を向いたまま言った。


「これ、もっと増やしたら楽しそうだね」


私はその言葉を、

最初はあまり深く考えなかった。


「増やすって?」


「こういう場所」


ウメは目を輝かせる。


「座るところとか、話せるところとか。あと、もっと人がいたら、こういう場所も増やせるでしょ?」


隣で、キクの気配がわずかに静かになった気がした。


「人がいたら、って……」


私が聞き返すと、

ウメは少しだけはにかんで笑う。


「だって、三人でもこんなに楽しいんだもん。四人とか五人とか、もっといたら、もっと賑やかになるかなって。

白いところ、まだたくさんあるし」


ウメは続ける。

「そのままにしておくより、誰かが来て、座る場所とか作って、みんなで話せたほうがいい気がする」


私は少しだけ、その景色を思い浮かべた。


私たちみたいな寂しい子がひとりでいるより、

一緒に座れる場所があるほうがいい。


そう思うのは、

そんなに変なことじゃない気がした。


「……そうだね」


気づけば、口に出していた。


「ひとりのままよりは、そのほうがいいのかも」


その瞬間、

隣でキクの手がわずかに動いた。


ウメは嬉しそうに顔を上げた。


「ほんと?」


「うん」


私は頷く。


「寂しい子が来たとき、話せる人がいたほうがいいし」


言ってから、

なんとなく隣を見た。


キクはいつもの顔で微笑んでいた。


やわらかくて、

穏やかで、

何も嫌がっていないみたいな顔。


「……そうだね」


静かな声で言う。


「ヒナは、そういうの放っておけないもんね」


その言い方はやさしかった。

なのに、なぜか胸の奥が少しだけざわついた。


「うんうん。最初はみんな緊張するかもしれないけど、雛がいたら大丈夫だと思う」


私は思わず笑った。


「なんで私」


「だって雛、ちゃんと話聞いてくれるし」


ウメは当たり前みたいに言う。


「怖くないし。優しいし。一緒に座ってくれるし」


その無邪気さに、

少し照れくさくなる。


けれどその横で、

キクの袖が小さく鳴った。


布が擦れる、かすかな音。


見ると、

キクは自分の袖口を指先で整えていた。


皺なんてないのに、

何度も同じところを撫でる。


「それにね」


ウメは椅子の端を嬉しそうに撫でながら言った。


「もっと人が増えたら、村みたいになるかも」


その言葉に、

今度ははっきり分かった。


隣の空気が、すこし冷えた。


私はそっとキクを見る。


キクは笑っていた。


ちゃんと、

今まで通りの、

きれいな笑い方で。


「村みたいに?」


私が聞くと、

ウメは頷いた。


「うん。今のここも好きだけど、もっと賑やかで、みんながいて、誰かが笑ってて、ふらっと行っても誰かいる感じ」


言葉を選びながら、

少しずつ夢みたいに広げていく。


「そういうの、いいなって」


私はまた白い場所を思い浮かべた。


人が増えて、

声が増えて、

空いていたところが埋まっていく。


それは少し、楽しそうにも思えた。


「……たしかに」


私がそう言うと、

キクがゆっくりこちらを向いた。


動きは静かだった。

でも、

あまりに静かすぎて、

その瞬間だけまわりの音が遠くなった気がした。


「ヒナも、そう思う?」


キクの問いかけは穏やかだった。


確認するだけみたいな声。


「え?」


「もっと増えたら、いいって」


私は少し迷った。


でも、ウメの言うことも分かる。

ひとりでいる子が寂しい思いをしないなら、

それは悪いことじゃない気がする。


「……うん」


小さく頷く。


「そういうのも、いいかもしれない」


言った途端、

キクの指先が、そっと私の袖に触れた。


「そっか」


ただ、微笑んで、

私の袖口の端を指先で撫でる。


「寂しい子が来ても、ヒナがいるなら安心するもんね」


やさしく言う。


その言葉に、

ウメは嬉しそうに頷いた。


「そうそう!」


キクはそのまま、

今度は私の袖を膝のほうへ少しだけ寄せた。


引っ張るほどじゃない。

でも、風でずれた布を直すみたいに、

自分のすぐ近くへ戻す。


「ヒナの隣は広くなくていいけど」


一瞬、

何を言われたのか分からなかった。


ウメが先に、きょとんとする。


「え?」


キクは笑ったまま、

私の袖から指を離さない。


「だって、増やしすぎたら座れなくなるでしょ」


言い方は軽い。

その場を和ませるみたいな口調。


ウメは少し遅れて笑った。


「そっか。それは困るかも」


キクは頷く。


「三人で座れるくらいが、ちょうどいいのかもね」


私は返事ができなかった。


その“ちょうどいい”が、

誰にとってのものなのか。


風が吹いた。


どこかで吊るしていた飾りが小さく鳴る。


ウメはまだ楽しそうに、

「でも四人でもいけるかな」とか、

「もう大きい椅子にしたらどうだろう」とか、

明るく話している。


私は相づちを打ちながら、

隣の気配を意識してしまう。


キクはずっと穏やかだった。


笑っているし、

ちゃんとウメの話も聞いている。


それなのに、

私の袖の端だけは、

いつまでもキクの指先の近くにあった。


まるで、

増えていく話の中で、

それだけは先に取っておきたいみたいに。


やがてウメが立ち上がる。


「ちょっと花のところ見てくる!」


そう言って、

ぱたぱたと軽い足音で離れていく。


私とキクだけが、

椅子に残った。


少しの沈黙。


私は隣を見た。


キクは前を向いたまま、

静かに息をしている。


「……キク?」


呼ぶと、

こちらを見た。


目はいつも通りだった。

やさしくて、澄んでいて、

何も隠していないみたいな顔。


「なに?」


「さっきの……」


言いかけて、

その先が出てこない。


何を聞きたいのか、

自分でもうまく言葉にならなかった。


キクは少しだけ首を傾げる。


それから、

私の袖口を見た。


「ヒナ」


静かな声で言う。


「増やしてもいいよ」


その言葉に、

私は少しだけほっとしかけた。


けれど次にキクが微笑んで、


「でも、ヒナがいなくなるのはだめ」


と、あまりにも自然に言ったので、

私は何も言えなくなった。


遠くで、ウメの笑い声がした。


なにか見つけたのか、

明るい声で呼んでいる。


その声を聞きながら、

キクは私の袖を一度だけ整えて、

ようやく手を離した。


「……行こっか」


立ち上がり言う声は、

どこまでもいつも通りだった。

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