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雛代の箱庭  作者: N


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23/25

23話


 ある日、キクが村人たちに供物を捧げさせていた。


白い布の上に並ぶ米と塩。花。

手を合わせる指先。下げた頭。


その光景を見た瞬間、胸の奥が冷えた。

あの村の匂いがした。


私に笑いかけながら、

誰も手を握らなかった村。

優しさの形で、私を箱へ入れた村。


喉の奥が、急に狭くなる。


「キク……供物は、捧げなくていいよ」


なるべく穏やかに言ったつもりだった。

でも、自分でも分かるくらい、声は硬かった。


キクは振り返る。

怒りも驚きも見せず、ただ柔らかく笑った。


「だめだよ」


その言い方があまりにも自然で、

私は一瞬、言葉を失った。


キクは白布の上を見ながら続ける。


「村人たちには、ちゃんと上下関係を植え付けておかなきゃ。

そのうち暴走する」


ぞくり、と背中が粟立つ。


「……そんなの、しなくていい」


「必要だよ」


キクは笑ったままだった。

怒鳴りもしない。責めもしない。

ただ、最初から答えが決まっている人の声だった。


「ヒナは優しいから、すぐ忘れちゃうけど。

人ってね、近づけると、どこまでも来るんだよ」


その瞬間、井戸の男と、川で見つかった女の指先が脳裏をよぎった。

私は息を詰める。


でもキクは気づかないふりのまま、穏やかに言葉を重ねる。


「少し怖がらせておくくらいが、ちょうどいいの」


もう、だめだった。


「いいからっ、やめさせて!」


気づいたときには、声が出ていた。


自分でも驚くほど大きな声だった。

村人たちの手が一斉に止まり、目が揃ってこちらを向いた。


空気が、ぴたりと止まる。


キクは一瞬だけ目を見開いた。

ほんのわずかに驚いた顔をして、

それから、ゆっくり瞬きをする。


「……わかった」


彼女は柔らかく微笑んだ。


「ヒナが言うなら、やめるね」


そう言って、村人たちへ目を向ける。

それだけで、皆は一斉に手を下ろした。


従う、という形だった。

その素直さが、なぜだか余計に怖かった。


その場ではもう何も言えなかった。

私はただ、息を整えることしかできなかった。


私は、ウメがしていたみたいに、

みんなが対等で笑い合える村にしたかった。

キクにも、友だちを作ってほしかった。


でも彼女は、村人たちに私を崇めさせようとする。

手を合わせるたび、名前を唱えるたび、息が浅くなる。


ーーそれは、あの村と同じだ。


私は神になりたくない。

あの村の人たちが作った、都合のいい神になりたくない。


私は神じゃない。

ただの人だ。

それを、キクにも分かってほしかった。


けれどキクは、何かにつけて村人たちに信仰させようとする。

「雛様」と呼ばせる。手を合わせさせる。掟まで作る。


見つけるたび、私はやめてと言った。

そのたびにキクは、少し寂しそうに笑って、

でも結局、形を変えて同じことを続けた。


夜。

私はキクと向かい合って座っていた。


あの日のことが、まだ胸の中に残っている。

白い布。米と塩。下げられた頭。

目を閉じても、消えなかった。


「やめて、キク。私は神じゃない」


絞り出すみたいに言うと、

キクはまっすぐ私を見た。


まるで、聞き分けの悪い子を諭すみたいな、

やさしい目だった。


「ヒナ」


甘い声だった。

けれど、結論だけは少しも揺れない。


「ヒナは神様だよ。……もちろん、私も。

一緒だね」


私は首を振った。


「違う」


「違わないよ」


キクは静かに笑う。


「だって、ヒナが“人”だと、一緒じゃなくなっちゃう」


その言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。

ただ、胸の奥だけが先にざわつく。


「村人たちと私たちは、対等じゃだめなの」


キクは笑ったまま、声だけを落とした。


「対等だと届くから……」


一拍おいて、囁く。


「ヒナに触れようとする手が出てくる」


井戸のそばの視線。

指先を撫でた女の感触。

私を避けるようになった村人たち。

全部が、一瞬にしてひとつにつながった気がした。


私は、黙ったままキクを見た。


キクは私の沈黙を拒絶とは受け取らない。

むしろ、言い聞かせるように続ける。


「これはヒナを守るために仕方ないの。

対等なんて、傷つくだけだよ」


胸の奥に熱が溜まっていく。


キクが人を見下していることに。

そして、その“見下せる場所”に私を閉じ込めようとしていることにも。


でも、もっと怖かったのは、

キクがそれを本気で“守ること”だと思っていることだった。


私はようやく分かった。


キクは、もうやめる気がない。

私が嫌だと言っても、

やさしい顔のまま、必要だからと続けるつもりなのだ。


言葉では、止まらない。


その認識が胸に落ちた瞬間、

冷たいものが腹の底まで沈んだ。


怖かった。

キクが、ではない。

このままいけば、私がまた“あの形”に戻されることが。


神様。

祈られるもの。

触れてはいけないもの。

都合よく祭られ、都合よく閉じ込められるもの。


私は、もう一度だけ言った。


「……やめて」


キクは首を傾げる。

困った子を見るみたいに、やわらかく。


「大丈夫だよ。

ヒナは分からなくていいの」


その一言で、何かが切れた。


分からなくていい。

知らなくていい。

考えなくていい。


そうやって、私の嫌がる形だけが決められていく。


もう、言葉では届かない。


その夜、私はキクの力を使えなくした。


眠れなかった。

灯りもつけないまま、暗い部屋で何度も迷った。


やめようと思った。

朝になったら、もう一度話そうとも思った。

泣いてでも頼めば、まだ間に合うかもしれないと。


でも、目を閉じるたびに白布の上の供物が浮かんだ。

頭を下げる村人たちの背中が浮かんだ。

あの村の、あの箱の暗さまで蘇った。


このまま眠って、明日また同じ光景を見るのだと思うと、

息ができなかった。


私はキクのそばに座った。


眠っている顔は、いつもと同じだった。

私に触れるときの、あのやさしい指先の主と同じ顔。


それでも私は、手を伸ばした。


キクの力に触れると、細い糸の束が指先に絡んだ。

景色を作るとき、季節を重ねたとき、

二人でこの世界を満たしていったときの感触に似ていた。


それが、余計につらかった。


「……ごめん」


声が震えた。


一本。

また一本。


糸をほどくたび、

胸の奥のどこかまで切れていく気がした。


指先が震える。

涙が落ちる。

途中で何度も手が止まった。


それでも、ほどいた。


止めないといけないと思った。

このままでは、キクも、私も、もう戻れなくなる気がしたから。


朝になると、キクは怒るでも泣くでもなく言った。

まるで最初から、こうなるのを知っていたみたいに。


「それが雛の答えなら、従うよ」


微笑みだけは消えない。

私を責めない笑み。

私の選択を丸ごと抱く笑み。


でも、その奥で、

何か別のものが、ひそかに光った気がした。


「……うん」


私がうまく返せずにいると、

キクは私の手を取って、指先に口づけを落とした。


「これでいい」


囁きが甘い。


「雛が一番上になって、守られる。

神様が一人なら、権力も祈りも散らないから」


その言い方は、安心の形をしていた。

雛を守るため、という形のまま。


けれど私は、背中が少しだけ冷えた。


“守る”が、また別の檻に変わった気がしたから。


キクは神ではなくなった。

村人たちと同じ目線に立った。


それでもキクは、少しだけ満足そうに息を吐いた。

まるで、ずっと探していた答えに辿り着いたみたいに。


けれどその日、村人たちはいっそう深く頭を下げた。

キクじゃなく、私に。


私が力を見せた日から、

私に逆らおうとする者はいなくなった。


口答えは消えた。

代わりに、笑顔だけが増えた。


それがいちばん怖かった。


そして、矛先はすぐに別の場所へ向かった。

キクだった。


村人たちはキクに直接は何も言わない。

ただ、挨拶の声が一段低い。

目が合うと、すぐに逸らす。

近くを通ると、話が途切れる。


「あれは、前は偉そうだった」

「いつまで雛様の近くにいるつもりなんだ」


そんな囁きが、キクの背中に刺さっていった。


それでもキクは、私の前ではいつも通りに笑った。

何もなかったみたいに、甘く。

私の不安を見抜いて、わざと柔らかくするみたいに。


私と歩くとき、キクは黙って半歩下がる。


「やめて」


私が手を伸ばすと、

キクは小さく首を振った。


ーーいいの。もう対等ではないから。


そう言っているみたいだった。


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