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雛代の箱庭  作者: N


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19/25

19話

試しに、三人だけ連れてくることにした。

今度はキクも協力してくれて、彼らの家を作ってくれた。

 

手際がよかった。まるで最初からこうなると知っていたみたいに。


村に人が増えると言葉が増えた。笑い声も増えた。景色も増えて物の形もはっきりとした。


その中心でキクは、皆とよく話した。

笑って、相槌を打って、時には冗談まで言って。

私が知らなかったキクが、そこで生きていた。


私はそれを見るのが、嬉しかった。

胸が温かくなる。


——嬉しいはずなのに、背中の糸が少しだけ張った。


キクは村の人たちに言った。

「ヒナとキクは、雛代の神なんだよ」

 

声は柔らかい。お願いみたいに聞こえる。

「だから、もう怖がらなくていい。困ったら呼んで」


皆は頷き、手を合わせた。

その日から村には、祈りが増えた。

雛の名、キクの名が、歌みたいに繰り返された。


村はすぐに賑やかになった。

笑い声が増え、足音が増え、灯りが増える。

 

家を作る手つきも、日ごとに確かになっていった。

人の暮らしはこうして形になるのだと、私は初めて知った。


——箱庭は人の記憶が混ざるほど、世界は現実みたいにはっきりして強くなる。

 

土が重くなり、木の肌がざらつき、灯りの匂いまで残る。

作り物のはずなのに、触れた指先が嘘をつけなくなる。今まで時間が経っても壊れなかった建物も古くなって壊れていたこともあった。


村人たちはキクに家の作り方を教えた。

梁の組み方、土壁の混ぜ方、屋根の角度。

 

「こうしないと冬に割れる」「風が抜けない」

そんな言葉が、当たり前みたいに飛び交う。


百年間、閉じこもっていた私たちには知らない言葉ばかりだった。

 

知らないのに、皆はそれを当然として話す。

それが衝撃だった。

 

まるで、時間だけが先に走ってしまって、私たちだけが取り残されているみたいに思えた。


それ以上に衝撃だったのはキクの顔だ。

生き生きとしている。

頬が少し赤くなって、目がよく動いて、笑い方まで軽い。

——こんな表情を見るのは初めてだった。


最初の頃、キクは彼らを見下すみたいに眺めていた。

目を細めて、距離を測るように。

近づけば汚れるものを、先に遠ざけるみたいに。


けれどいつの間にか、村人の話を真剣に聞くようになった。

頷いて、質問をして、手を動かして。

その熱が増すほど、私は嬉しくて——少しだけ、嫌な胸騒ぎがした。


「ねえヒナ、あの人すごいの」

キクは息を弾ませて言った。

「面白いの。考え方が……あんなこと言うんだよ」


その笑顔は、宝物を見せるみたいだった。

私に見せたい、という顔だった。

それが嬉しくて、私まで笑ってしまう。


「あ……でも、たまに……」

キクは言いかけて、言葉を飲み込んだ。

笑みは残ったままなのに、目の奥だけが一瞬だけ暗くなる。


「……何?」

私はできるだけ軽く聞いた。


「ううん。なんでもない。ヒナがいるから平気。

 ……そうだ、何か困ったことある?」


キクが自分からたくさん喋ってくれて私まで嬉しくなった。

——嬉しいはずだった。


その日は歩いていた。二人で村を歩くのは、久しぶりだった。


家と家の間の道は、前よりもずっと固くて、土が踏み固められている。

足音がちゃんと返ってくる。

草の匂いも、炊いた火の残り香も、風に混じって薄く漂っていた。


こんなふうに「暮らし」の匂いがするのが、私はまだ少し嬉しい。


「見て」


キクが少し先を指さす。


道の端に、小さな木が一本あった。

葉の影に、点々と赤いものがぶら下がっている。


「……実?」


「うん。村の人が植えたのかも」


キクは背伸びして、一つ取った。

丸い。艶があって、熟れた赤が光を吸っている。


私はそれを受け取って、指先で転がした。


「食べられるのかな」


「さあ?試してみる?」


キクが悪戯っぽく笑う。


「毒だったらどうするの」


「そんなので私たちは簡単に死なないでしょ」


「……それはそうかもだけど」


言い返しながら、私は木の実を口に入れる。

少し舌の上で転がして形を確かめた後、軽く噛もうとした瞬間ーー

「私も」


キクがすぐ近くで言った。


「え?」


口の中で、赤い実がころんと転がる。

どうすればいいのか分からずに目を瞬いたら、キクが一歩近づいてきた。


距離が急に狭くなる。


キクは私の頬に手を添えて、唇を合わせる。

舌が唇を押し広げて中に入ってくる。


「ん……!?」


私は驚いて目を見開いた。


キクの顔が、すぐ目の前にある。

触れたのはほんの一瞬だったのに、何をされたのか理解するのに少し時間がかかった。


唇が離れる。


キクは何事もなかったみたいな顔で口の中の実をもぐもぐしていた。


「……なるほど」


小さく言う。


私はしばらく固まって、それからやっと状況を理解する。


「ちょっと、キク……今……」


言葉がうまく続かない。


キクは飲み込んでから、満足そうに息を吐いた。


「甘いね」


それから、少しだけ首を傾げて。


「ヒナの味もした」


「な、なにそれ……!」


顔が熱くなるのが自分でも分かる。

別に初めてじゃない。口づけなんて、もう何度もしているのに。


こういうのは聞いてない。


「びっくりした?」


キクが覗き込んでくる。

悪いことをした顔じゃない。ただ、こっちの反応を確かめている目だった。


「……するに決まってる」


そう言い返すと、キクは少しだけ笑った。


「だって、半分こしてくれなかったから」


「小さすぎてできないよ……」


「でも、したかった」


あまりにも素直に言うから、怒る理由を見失う。


キクは指先で、私の唇の端を軽く拭った。


その仕草のほうが、さっきより落ち着かなくて。私は思わず手を払った。


「……もう一個取ってきなよ、自分で」


「うん。でも」


キクは少しだけ近づいて、小さく言った。


「こうやって食べるほうが好き」


私は返事をしなかった。

できなかった、というほうが近い。


代わりに、さっきと同じ木の実をもう一つ取って、キクの口元へ差し出す。

乱暴にならないように、指先だけでそっと。


キクは嬉しそうに口を開けて、ぱくりと受け取った。


「もう……恥ずかしがり屋なんだから……」


そう言われると、なんだか負けた気がして、余計に頬が熱くなる。


「じゃあ……今度はヒナが——」


言いかけた瞬間、遠くから声が飛んだ。


「キク様ー!」


キクがぴくりと肩を跳ねさせて、そっちを見る。


「何かあったのかな?」


「……さあ」


一拍おいて、キクは私のほうへ顔を向けてきた。

視線だけじゃなく、身体ごと。


「でも、今はこっちのほうが大事」


言い終わるより早く、唇が重なる。

舌先に、柔らかい果肉が触れた。


キクがゆっくり押し込んでくる、丁寧に。

私は息を呑んで、それを受け取るしかない。


——視界の端で、人影が止まった。

気配が増える。見られている。


それでもキクは離れなかった。

むしろ、離さないことを選ぶみたいに、もう一度だけ深く触れてくる。


ようやく唇が離れる。


「ちゃんと味わってね」


小さく笑って、キクは小走りに村人のほうへ駆けていった。

揺れる袖と、ほどけないように丁寧に結われた髪。


その背中を見ていると、胸の奥がほんの少しだけ痛くなった。

さっきまでここにあった温度が、もう届かないみたいで。


ゆっくり噛んだ実は酸っぱかった。

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