表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雛代の箱庭  作者: N


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/25

14話

それから、キクはあまり喋らなくなった。


怒っているわけではなかった。

避けているわけでもない。


ただ、言葉を使わなくてもいいみたいに、

静かに過ごす時間が増えただけだった。


縁側に座っても、

前みたいに遊びを提案してくることはない。


私が話しかければ、ちゃんと返事はする。


でも。


「うん」

「そうだね」


それだけで終わることが多くなった。


声が減ったぶん、

キクはよく触れるようになった。


帯を直す。

髪を整える。

隣に座るとき、少しだけ距離が近い。


まるで、

言葉の代わりに確かめているみたいだった。


灯りの数。声の数。誰かの視線が行き交う速さ。


村は、ますます賑やかになっていった。


新しい家が建ち、

灯りが増え、

知らない顔が笑っている。


私はその変化が嬉しかった。


ここが、ちゃんと“生きている場所”になっていく気がしたから。


でもキクは、

人の増えたほうをあまり見なかった。


代わりに、よく川のほうを見ていた。


ある日の夕方だった。


私は村の中心から戻ってきて、

縁側に座るキクを見つけた。


「ねえ、今日ね——」


話しかけかけて、止まる。


キクは

自分の手を見ていた。


ぎゅっと握って、

開いて、

また握って。


何かを試しているみたいに。


「……キク?」


呼ぶと、顔を上げる。


ちゃんと笑った。


「おかえり」


いつも通りの声だった。


でも。


その笑顔が、

どこにも届いていない気がした。



夜。


祭りの準備で灯りが増えていた。


遠くから歌が聞こえる。


私はその音を少し離れた場所で聞いていた。


隣にはキクがいた。


何も言わないまま、

ただ座っている。


「行かないの?」


そう聞くと、

キクは首を横に振った。


「ここでいい」


少しして、

私の袖を掴んだ。


強くはない。

でも離さない力だった。


「……ヒナ」


「なに?」


「ここ、変わったね」


私は笑った。


「うん。賑やかになった」


その言葉のあと、

キクは何も言わなかった。


しばらくして、

ぽつりと呟いた。


「……変わらなければよかったのに」


風に紛れるくらい、小さい声だった。


聞き返そうとしたけれど、

そのとき遠くで歓声が上がった。


灯りが一斉に揺れる。


私は、そっちを見てしまった。


——その一瞬。


袖を掴んでいたキクの手が、

ゆっくり離れたことに、

気づかなかった。


月明かりが綺麗な晩だった。障子越しに当たる明かりが心地よかった。


キクはずっと起きていた。


灯りの消えた村を見ている。


まるで、

全部忘れないようにしているみたいに。


その横顔を見て、私は初めて気づいた。

キクは「楽しい」を嫌っているんじゃない。


楽しいの中に混ざっている“奪う気配”を、先に嗅いでしまうのだ。


静かだった。


虫の声もない、

やけに音の薄い夜だった。


——ぱち。


小さな音で、私は気のせいかと思った。


だから最初は気にしなかった。


でも。


もう一度、音がした。


……木が、割れるような音。


胸の奥がざわついた。


立ち上がって、障子を開ける。


暗闇の向こう。

村の端。


そこだけが、ぼんやり明るい。


最初は灯りと思った。


でも違う。


光が、揺れている。


呼吸みたいに膨らんで、

次の瞬間、屋根の輪郭が崩れた。


——燃えている。


理解した瞬間、身体が動いていた。



走り出してから、

ようやく人の気配に気づいた。


広場のほうに人が集まっている。


でも、

騒ぎ声がない。


泣き声も、

怒鳴り声も。


ただ、ざわざわと、

低い息づかいだけが重なっていた。


火は、端の家から燃えていた。


勢いよく広がっているわけじゃない。

ゆっくり、紙を舐めるみたいに、

静かに屋根を食べている。


誰かが消そうとしている様子もなかった。


人々は、避難させられていた。


誘導していたのは、ウメだった。


「大丈夫、大丈夫だからね」

「順番にこっちへ」


あの明るい声で、

いつも通りに、

人を安心させる声で。


その少し後ろに——


キクが立っていた。


私はそこで足を止めた。


キクは

何もしていなかった。


ただ、

そこにいた。


ウメの声を聞きながら、

集まってくる人々を見ている。


その目が、

あまりにも静かで。


「……キク?」


呼んだはずなのに、

自分の声が届いた気がしなかった。


その瞬間だった。


人々の足元に、

細い影が走った。


糸。


気づいたときには、

それはもう絡みついていた。


手首に。

首に。

足に。


逃げようとした人が、

その場で止まる。


声が出ない。


叫ぼうとしているのに、

喉だけが閉じている。


ウメが振り返った。


「……え?」


それが最後だった。


糸が引かれた。


音はほとんどしなかった。


布が裂けるような、

小さな重なりだけ。


一斉に人が倒れていく。


ウメだけが、

最後まで立っていた。


絡め取られながらも、

前を見ていた。


その視線の先にいたのはキクだった。


「……どうして」


声が出たのかどうかも分からない。


キクは

ゆっくりウメに近づいた。


燃える家の光が、

横顔を赤く染めていた。


でも、その顔には、

怒りも、憎しみもなかった。


糸が、

静かに締まる。


ウメの体が、崩れ落ちる。


それで全部、終わった。


火はまだ燃えているのに、

村はもう音を失っていた。


私は動けなかった。


キクがこちらを見る。


逃げようとも、

隠そうともしていない。


「……ヒナ」


その呼び方だけが、

いつもと同じだった。


火は、まだ静かに燃えていた。


家の柱が崩れる音だけが、

遠くで遅れて響く。


私は動けないまま、

キクを見ていた。


「……どうして」


やっと出た声は、

思っていたより小さかった。


責める言い方にも、

怒る力にもならなかった。


キクはすぐに答えなかった。


まるで、

何から話せばいいか分からないみたいに、

視線が揺れた。


指先が、着物の袖をぎゅっと掴む。


「……あのね」


声が、かすれていた。


キクは一度、息を吸う。

でも、最後まで吸いきれない。


「……また、そうなる気がしたの」


私は、意味が分からなかった。


「そうなる、って……」


キクは周囲を見た。

倒れた人たちじゃない。

燃えている家でもない。


もっと遠く。

もう存在していない“どこか”を見ていた。


「外にいたときと、同じ感じがした」


言葉が途切れる。


自分で言っていて、

怖くなっているみたいだった。


「最初は、みんな優しいの。

笑ってて、入れてくれて……」


ぎこちなく笑おうとして、

失敗する。


「でも、そのうち……順番ができる」


手が震えていた。


隠そうともしていない。


「いらない人が、決まるの」


私は何も言えなかった。


キクは私を見た。

助けを求めるみたいに。


「ここは違うと思ったの。

雛が作ってくれた場所だから。

二人でいられる場所だから」


一歩、近づいてくる。


「でも……増えていったら」


言葉が出なくなる。


「ヒナが、あっちに行く気がした」


「え……」


「みんなと笑って、

みんなのほうを見て、

私を置いていく気がした」


それは責める言い方じゃなかった。


ただ、怯えた人の声だった。


首を振る。


「頭では分かってたのに、ヒナはそんなことしないって」


また、袖を握りしめる。


「でも……怖くて」


燃えている村より、

ずっと弱い響きだった。


「なくなるくらいなら」


言いかけて、

言葉を止める。


しばらく沈黙が落ちた。


火の音だけが、ぱち、と鳴る。


キクは小さく息を吐いて、

ようやく最後まで言った。


「……最初から、なかったことにしたほうがいいって思ったの」


顔を上げる。


「なくなるくらいなら、最初からいらなかった」


私は、キクの言葉の意味がすぐには分からなかった。

でも次の瞬間、胸の底が冷えた。


救われていたのは、私のほうだと思っていた。

けれど、キクは私以上に、私に救われていた。


そして私は、救い方を間違えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ