#04. 行くべき場所。
大きな声で声を上げて泣いたのはいつぶりだっただろうか。
墓標に抱きつきながらとめどなく泣いていたエルナが目を覚ましたのは、あまりにも見慣れた自分の部屋の中だった。
「泣き疲れて眠っちゃったのかな」
それとも途中で気絶でもしたのだろうか。分からない。
しかし、いつの間にか暗い夜は過ぎ去っており、薄明かりの黎明の光がエルナを優しく包み込んでいた。
「ザハード……」
正気を失うほどとめどなく泣いたおかげだろうか。混濁して沈み込んでいた精神が徐々に元通りに戻り始めた。
いつかザハードが言った。
人生は童話ではないから「みんなで幸せに暮らしました」と終わるわけではないと。
悲しくて死んでしまいそうな夜がどれほど長くとも朝はやって来るものだし、残された人間は生を続けなければならない。
ベッドから起き上がったエルナは閉まっていた窓を開けた。清々しい夜明けの空気が、悲しみで締め付けられていた胸にしみわたった。
「一度の失敗なんて大したことない。そうでしょ? ザハード」
たとえ一緒にいくという約束を守れなかったとしても、今のエルナならザハードを故郷に連れて行ってあげることくらいはできる。
故郷で眠りにつくことほど幸せなことはないと言っていたあなた。それなら私があなたの魂を連れていってあげる。
「そのためにはやるべきことが本当にたくさんある。大丈夫。私にはできる。難しくて辛いことはもう何もないから」
決心したエルナは素早く身支度を済ませた。侍女を呼んでもよかったが、こんなところで時間を無駄にしたくなかったからだ。
「こうして見ると別宮での暮らしも悪くはなかったみたい。自分で身支度ができる貴族なんてそうそういないから」
何でも一人でできるということは、無駄なことに時間を費やす必要がないということであり、何でも気の向くままにできるということでもある。
長い黒髪をひとつに結い上げたエルナは自分の部屋を出た。待機していた侍女たちは驚いてエルナを見つめたが、侍女たちを相手にしている暇はなかった。
侍女たちに別の業務を指示した後、エルナはすぐに公爵の執務室へと向かった。まだ朝が来るには早い時間、しかし朝寝坊をしない父親ならきっと起きているはずだと思った。
「エルナ様。お目覚めになられました」
「久しぶりね、ヘルト。お父様は中にいらっしゃる?」
「はい。お取り次ぎしますので少々お待ちいただけますか」
「うん」
執務室の前にはテオドールの忠実な腹心であり、公爵家の従者であるヘルトが立っていた。早朝に前触れもなく訪れたというのに、ヘルトは自然にエルナに対応した。
ヘルトが先に執務室の中に入り、そう時間を置かずに執務室の扉が開いた。
夜明けだというのに隙のない姿で執務室に座っていたテオドールが、エルナが部屋に入るのと同時に立ち上がり彼女を出迎えてくれた。
「エルナ。早起きだな。もう少し休んだほうがいいのではないか?」
「ううん。十分に休んだわ、お父様。ザハードの遺品はまだある?」
最低限の挨拶すら交わさずに単刀直入に本題に入る娘の姿に、テオドールが苦笑いを浮かべながら答えた。
「お前がせっかちなのは今更だが、挨拶もなしに切り出すとはひどくないか。私は一応お前の父親なのだが」
「だって、お父様だからこうやって駄々をこねてるのよ。他人だったらこんな風に振る舞ったりしないもの」
エルナは心を開いていない相手には一分の隙も見せない。いつ首に刃物が飛んでくるか分からない状況だったからだ。
そんなエルナが無理難題を言って駄々をこねるということは、それだけ心を開いた相手だということだ。
娘の気持ちが分からないわけではないが、それでも寂しいものは寂しいのだ。
「ザハードの遺品はある。だがエルナ。獣人の大陸は遠い。作業用の破氷船を使っても二か月近くかかるということを知っているのか?」
「知ってるわ」
「船旅はお前の想像以上に過酷だ。いつ命を落とすか分からない危険も伴う。だから、もう少し落ち着いて気持ちを整理し、将来のことを考えてみたらどうだ? ここはお前の家だ。王都が嫌なら公爵領で休息をとってもいいだろう」
「お父様。私はもうオルテンス家の人間に非ず。王妃でなくなった私がここにいられるわけないじゃない?」
「誰がそんなことを言った? 王妃でなかろうと、お前は私の娘でありオルテンス公爵令嬢だ。お前がここにいることを快く思わない者がいるなら、誰であれ排除してやろう」
王城で冷遇されたとしても、それはあくまで王城という狭い井戸の中での話だ。
聖女の光が強いために公爵家の力が目立たなかっただけで、オルテンス家は名実ともにハーメルンの大貴族だった。
王妃でなくなったとしてもエルナは公爵令嬢。欲しいものは何でも手に入れることができる権力者の一人だ。
テオドールが言った言葉の意味は分かっている。しかし今エルナが欲しいものは王都のタウンハウスでも、領地内にある別荘でもない。
今彼女が望むものは一つ。
エルナが微笑みながら言った。
「お父様。私、獣人の大陸に行くわ。私が父の元に戻ってくるのは、ザハードをあそこで休ませてあげた後だから」
エルナの答えにテオドールが深いため息をついた。
「寂しいものだな、エルナ。ザハードをあれほど大切にしながら、父親の願いは聞いてくれないのか」
「お父様も本当に。言ったでしょう。これは甘えだって。お父様は世界一のお父様なのだから、娘の願いを叶えてくれるでしょ?」
「はあ、まったく。領地に船の手配をしておこう。だが今すぐはダメだ。母親がどれほどお前を心配したか分かっているのか? せめて朝食は食べてから出発しなさい」
テオドールの答えに、エルナは父親の元へ駆け寄り勢いよく抱きついた。
エルナの突発的な行動によろめきながらも、テオドールはエルナを強く抱きしめ返した。
「ありがとうございます、お父様」
「必ず無事に帰ってこなければならない。これは頼みではなく命令だ」
「もちろんよ。面白い話を山ほど持って帰ってくるから」




