#33. 旅先で名前を呼ぶ見知らぬ者。
タルーから補給品とコル地方にある都市・エルケへと向かう地図を受け取ったエルナは、鐘塔を抜け出しながらグレンに尋ねた。
「グレン、さっきコル地方には食料を調達できる場所がないって言ってたよね?」
「はい、その通りです」
キンタの情報によれば、コル中心部に位置するエルケは様々な種族の獣人が集まって暮らす集落であり、村の規模はラディオンと同程度だという。
ダンジョンに近いだけあって多数の冒険者が滞在しているが、その分物資の消費も激しいため、定期的に補給品を持ち込まなければならないのだそうだ。
(ラディオンからエルケまでは徒歩で十日ほどか……ふむ、どうしようかな)
補給品の量が思ったよりも多かったせいで、収納バッグがパンパンになってしまっていた。
エルナ個人の物資は余裕を持って一ヶ月分が備えられているから、エルナの分をグレンに分け与えれば問題ないだろうが、万が一の状況に備えて予備は十分に用意しておきたい。
エルナが収納バッグに視線を釘付けにしたまま考え込んでいると、グレンが恐る恐る口を開いた。
「エルナ、差し支えなければ、少しお金を借りることはできませんか?」
「あ、そういえばグレンにも必要なものがあるよね。気が回らなくてごめん。いくらあれば足りる?」
ほんの昨日までお金どころか人間扱いすらされていなかったグレンだ。
服は魔法で作れるとしても、他の道具が必要になるだろう。
エルナがバッグの中から財布を取り出しながら尋ねると、グレンは申し訳なさそうな顔で答えた。
「収納バッグが買える程度で結構です。補給品の一部を私が持てば、エルナ様のバッグに空きができるでしょうから」
「あら? 収納バッグって街で買えるものなの?」
「ええ、ここは冒険者が集まる場所ですから」
「なるほど……」
そういうこともあるか。ハメルーンには冒険者や旅人がほとんどいないため、人気の魔道具であっても普通の店で購入することは不可能だった。ハメルーンでは注文してから一ヶ月ほど待たなければ手に入らない高級品なのだ。ラディオンではどうだろうか?
「グレン、収納バッグはどこで売ってるの? 雑貨屋? 衣料品店? それとも鍛冶屋? 魔道具だから魔道具店かな?」
エルナがそれらしい場所を次々と挙げ始めると、グレンはかすかな笑みを浮かべて答えた。
「ラカンタにおいて収納バッグは日用品に近いので、通常は雑貨屋で売られています。ただ、品質の良い収納バッグを手に入れたいのであれば、鍛冶屋や高級魔道具店に行く必要がありますね」
「そう? じゃあ鍛冶屋に行こう」
「えっ? いえ、私は雑貨屋にある普及品のものでも構いません」
「私が構わないの。グレンが良い収納バッグを持ってくれれば、私のバッグにも余裕ができるじゃない」
もちろん、グレンにより良い物を与えたいという気持ちの方が強かった。だが、贈り物だと言えば拒むのは目に見えている。
拒むに拒めないエルナの理屈に、グレンは困惑した表情を浮かべながらも、仕方のない様子でうなずいた。
「そういうことでしたら……この借りは必ず返します」
「ゆっくりでいいよ。一生返さなくてもいいし。さあ、それじゃあ商業地区に行こう」
エルナはグレンの返事を待つこともなく、彼の襟元を掴んで引っ張った。グレンは仕方のなさそうな顔で彼女のあとについて歩きながら言った。
「エルナ、そちらではありません」
***
グレンの案内で商業地区に到着したエルナは、何よりもまず収納バッグを買うために鍛冶屋へと向かった。
予定通り収納バッグを買い、雑貨屋に立ち寄って日用品を揃え、非常食を購入し……。
物品の購入自体は特に問題なく進んだ。だが、人族の冒険者と、獣刑に処されたはずの白い狐という組み合わせを、誰もが知らんぷりして見過ごせるわけではないらしい。
立ち寄る店ごとにまとわりついてくる視線が尋常ではなかった。いや、店の中だけでなく通りを歩いていても視線が突き刺さってきて、感心してしまうほどだった。
(こんなにも熱い視線を浴びるなんて大したもんだわ)
普通の人なら身縮みしてしまうところだろうが、十余年にわたって王妃教育を受けてきたエルナにとって、大衆の視線を受け流すことなど呼吸をするよりも簡単なことだった。
ただ、グレンにとっては視線を受け流すのが難しいのか、なかなか店の中に入ろうとしなかった。数十年にわたって迫害されてきた反動のせいらしい。
「グレン、何度も言っているけれど、あなたがうつむいて縮こまる必要なんてまったくないのよ。だから、他人がどんな視線を向けてこようと、胸を堂々と張っていればいいの」
「しかし……私が一緒にいるせいで、エルナまで良からぬ視線を向けられているではありませんか」
「それがどうしたっていうの。あんな栄養にもならない視線より、あなたが堂々としている方がよっぽど大事よ」
「エルナ……」
「私がいるかぎり、誰もあなたに手出しはさせないわ。だから、難しいなら練習しなさい。わかった?」
少し強圧的でありながらも、実に頼もしいエルナの言葉に、グレンは優しい笑みを浮かべてうなずいた。
「ありがとうございます、エルナ」
「どうってことないわ。さあ、それじゃあ買うものは全部買ったみたいだけど……グレン、他に買うものある?」
「さあ……」
エルナの問いかけに言葉を濁したグレンの視線が、エルナの背後、人でごった返す通りへと向けられた。
何かを考えるように目を細めたグレンが、突然エルナの肩を抱き寄せた。
「グレン?」
「エルナ、もしかしてここまであなたを探しに来るような人物がいますか?」
「ううん? どうして?」
質問があまりにも唐突だった。おまけに、エルナを隠すような仕草まで見せる。
エルナはグレンにぴったりと寄り添いながら聞き返した。
「誰かいるの?」
「はい。あなたのお名前を呼びながら探しているようです」
(ラカンタで私の名前を呼ぶ人だって?)




